晴れた日のねどこ

答えの出ないことばかり考えている

感想を言うのがこわかった〜自分の考えを言うことの恐怖とその克服〜

 

感想を言うのがこわかった 晴れた日のねどこ

 

 


今でこそ求められてもいないのにべらべらと自分の考えや感想、意見を書き連ねているけれど、実のところ、それはごく最近になって身につけたものだ。

わたしは自分の意見を述べるのを恐れる子どもで、大人になってもそれはしばらく変わらなかった。



こわいよね、自分の頭のなかを他人に見せるのって。



何がこわいって、間違えるのがこわい。
間違えて、否定されたり馬鹿にされるのがこわい。
不用意なことを言ったら、相手の考えと違うことを言ってしまったら、死んでしまうのではないかと割と長いこと思ってた(これは当然比喩だけれど)

でも意外と死なないもんだなー!と最近思うし、思ったことは言葉にして公開してみようか、という気持ちになってきた。


今日は発信することの怖さ、特に舞台について何か意見を言うのはハードルが高いな…と尻込みしていた話、その怖さがなくなった話を書こうと思います。
これを書こうと思ったのは、今上演してるTake me out 2018がきっかけです。
もし興味があれば、いろんな人にこの舞台を観に行ってほしい…!そして #takemeout2018 のタグを見て、いろんな人の感想を読んで欲しい…!おもしろいから!当日券もあるから!(おもしろさを伝えられるような舞台自体のちゃんとしたエントリも書きたい…今書いている4つは主に自分用にざっくり書きなぐった部分ば大きいから)


このエントリを要約すると「自分語りがふんだんに入ってしまっているから手紙に書くには重たすぎるけど、Take me out してもらったと感じたこの気持ちを伝えたくて書いた暑苦しいラブレター」です。
とはいえ、普遍的な内容として読めるようにも配慮はしているので、お時間があれば読んでください。(本当なら、これ2エントリに分けたほうがいいやつだと思うんだけど。カテ違いだと感じたらすみません…)





内容は大きく分けて3つ。

 





他者に意見を言うのはなぜ怖いのか

わたしが自分の考えを述べるのが苦手だったのは、何かを発した瞬間、間髪入れずにそれを否定される環境に長くいたからです。
今考えてもあの否定の精度はすごい。お前…敏腕スナイパーだな!!?!!??
くらいの驚くべき反射神経で、口に出したことすべてを否定された。考えを述べれば論破され、感情を述べれば鼻で笑われ罵倒された。
ワーかわいそう!!!かわいそうな子供時代だ!!!!痛みに耐えてよく頑張った!感動した!(しない)

言葉でどうこうすることは無理だと無意識のうちに悟って、わたしはその他の分野で戦って結果を出して、他人を黙らせることにした。
記録だったり、賞だったり、そういうことで。
世に名を轟かすほどの傑出した才能はなかったけど、コンビニもないような田舎では、わたし程度のそこそこの能力でも戦うことは十分に可能だった*1



生きることは勝ち負け、戦いだという意識自体を幼い頃に持ってしまったこと、これって結構その後の人生に影響を与えるなと思う。
なにもわたしの話だけじゃない。きっと多くの人がそういう意識を持って、長い間苦しむんじゃないかと思う。


人によっては死ぬまで。


勝ち組だとか負け組だとか、マウンティングとか。
世の中には人より優位に立ちたい人で溢れてる。

きっとみんな、心が擦り切れて、つかれて、悲しくて、認められたいんだと思う。
人より優れてることが認められる条件だと思ってるんだと思う。


しんどいよね。




意見を言うのは怖くないと気づき、克服した経緯

わたしは幸運にも大人になってから、勝ち負けだとか上とか下とか、そういう意識を持たない人たちと出会うことができた。
そして彼らと話をするなかで、「どうやら自分の考えを話しても、否定をしない人、馬鹿にしない人というのもこの世の中にはいるらしい」「それどころか、自分と違うことを面白がる人たちがいるらしい」というのをゆっくりと学んでいった。

こじらせにこじらせていたから、彼らのまっすぐな視線や問いかけを「責められている」と感じて勝手にこわくなったり、「実は無知で無学なわたしを笑っているのでは…?いやしかしこんな良い人たちがそんなことを?わたしの心が汚れているからそんなことを思うのでは?」とぐるぐると考えたりしたこともあった。
めんっっっどくせーーーな!!!
めんどくささがカンストどころか天元突破してる人間と普通に接してくれるなんて、彼らは前世でどんな徳を積んだんだろうか。




話を戻しつつ、質問です。


自分の意見を否定されて、腹立たしさや悲しさを感じるのって、なんでだと思いますか?







 

 

 






それは、「自分自身を否定された」と感じるからだとわたしは思います。
少なくともわたしはそうでした。

他人とつながりたくて、自分のことをつたない言葉で発信しようとしたけれど、受け入れられることはなかった。それを何度も何度も繰り返すたびに、だんだん自分が取るに足らない存在のように感じた。
それを補うために、「自分は素晴らしい人間だ」と自分で自分に何度も心のなかで言い聞かせた。そして少しずつ自分以外に苛立ちを募らせて、攻撃的になっていった。


今になって思えば、ただただ誰かに大事にされたかったんだなと思う。
大丈夫だよ、ここにいていいよと誰かに承認して欲しかった。
そんな弱さを認めたくなくて…というか気づくこともできなくて、泣くことすらできなかった。



なぜその状態を脱したかというと、先に述べた周りの人間のおかげというのがある。
彼らから学んだことはたくさんあるけれど、今回はテーマに沿って2つを取り上げる。

「考えと感情は別物である」
「意見を述べることと相手の人格を尊重すること・粗末にすることは別問題である」



この二つを混同している人は驚くほど多い。
順を追って話していく。






考えと感情は別物である

感情(かんじょう)とは、ヒトなどの動物がものごとやヒトなどに対して抱く気持ちのこと。喜び、悲しみ、怒り、諦め、驚き、嫌悪、恐怖などがある

・六情…6種類の代表的な感情
喜/怒/哀/楽/愛 (いとしみ)/憎 (にくしみ)

国などによってはそれ+別カテゴリとして、懼 (おそれ)、欲などが入ったりもする
Wikipedia 感情 より引用


雑に言うと、心が動くのが感情。


大辞林 第三版の解説
いけん【意見】( 名 ) スル
① ある事についてもっている考え。 「 -を述べる」 「 -を聞く」 「 -書」

kotobank.jp



雑に言うと、頭で考えたのが意見。


切り離すことは難しいけれど、この二つは別物。

  1. 自分の感情に向き合うことで自分の意見を持つことができる
  2. 意見を述べる時に感情的になることもある
  3. だけど「感情を乗せずに意見を述べる」こともできる。



1,2の例を挙げると
「シイタケはまずい。存在が許せない。あれは人の食べ物じゃない」
→シイタケに不快感を感じ、「まずい」という意見を持った(1)
→「存在が許せない」と感情的に意見を述べている(2。さらにここでは主語も大きくした)

これが1,3だと
「わたしはシイタケをまずいと思った」「シイタケは自分の口に合わなかった」
という感じに置き換えることができる。



というのを前提として、次の話。




意見を述べることと相手の人格を尊重すること・粗末にすることは別問題


先に述べた「感情」、これがすごく厄介だなと常々思っている。


人は、びっくりするほど言葉に感情を乗せて話す。
例えば居酒屋で上司が、部下が、本当に使えなくてムカつくんだよ、なんて管を巻いたり。
なんでわかってくれないの、と苛立ちを相手にぶつけたり。
盛り上がるために、内容のない会話でハイテンションに振舞ったり。
情報の伝達が目的なのに、そこに主観が紛れ込み、私情を交えて報告をしてしまったり。(無意識にこれをやる人間はものすごい数いる。むしろ主観と事実を分けて話せる人自体がものすごく希少。これでエントリ書ける内容なので今回は深くは触れない)


それは、コミュニケーションのゴールが「感情のやりとり・共有」を目的としていることが多いから。

よく「男は目的を持って話をするが、女は感情でものを言う、内容のない話を延々としてる。」なんて話を聞く。
確かにその傾向はある気はするけど程度問題で、男性でも議論をしつつ熱くなる人は多くいる。


言葉に感情を乗せずに、事実だけを伝えているなら熱くなることすらない。




感情のやりとりを重視すると、意見が食い違った時に「勝敗をつける」「とりあえず先延ばしにする」「気づかないふりをする」などが起きて、モヤモヤを抱いたり火種になったりしやすい。なぜかというと、意見を交換するのが目的じゃなくて、感情の交換が目的になってしまうから。


例えばシイタケが好きな人と嫌いな人が感情的に話した場合
「シイタケはまずい。存在が許せない。あれは人の食べ物じゃない」
「は?シイタケうまいじゃん。何言ってんの?シイタケの良さがわからないとか、お前人生の半分損してるわwwwwww」

キノコひとつで人類やら人生やらの話になって不穏。


ここで、感情を挟まず情報のみをやりとりする会話を例に挙げると
「シイタケは自分の口に合わない。まずく感じる」
「わたしはシイタケが好きですが、あなたは苦手なんですね」

冷静ですね。
え、それって盛り上がらないじゃんという人もいると思いますが(というか、たぶんそれが多数派なんだろうな…)、ここから会話を展開する方法はいろいろあります。
が、今回の主題とは逸れるので割愛します。



前振りが長くなってしまったけど、他人の意見に左右されてしまう人の多くはこう思ってる人が多いんじゃないか。

自分と同じ意見を言った人=自分自身を肯定してくれた
自分と異なる意見を言った人=自分自身を否定・攻撃した

それは感情のやりとりがメインになっていること、意見を交換しているようで、その実そこに乗せられた感情に振り回されてしまっていること、そして自他の区別がやや曖昧なことが原因かと思う。

でも実際は同意/反論をすることと、相手の人格を尊重する/粗末にすることはまったくの別問題。

シイタケを食べるくらいなら死ぬ!というシイタケ or dieな人と、一時間おきにシイタケを食べないと発狂する人でも、仲良くなることはできる。たぶん。そこまで極端だとちょっとどうかわからないけど。というかシイタケ or dieってなんなの。



それはさておき、相手が意見や情報のやりとりをしたいのか、感情の交換を求めているのかを把握できれば、他人の言動に必要以上に右往左往する必要は無くなる。
異なる意見を喧嘩腰で言ってくる人は、コミュニケーションを取るふりをして、相手を感情をぶつけるサンドバッグにしたいだけなので、取り合う必要はない(もちろん喧嘩腰だったり感情的に話していたとしても、聞くに値する場合もある。頭ごなしに決めつけるのはよくない)

 


関連するっぽい話はここにも書いてるので、もしよろしければ是非。

 その①ってなんなんだろ、続ける気だったんだっけ…ウッ頭が…! そしてコメントの返信はお待ちください。今か今かと待ちわびていらっしゃると申し訳ないので、読者登録をするとベリーグッドです。レッツ登録。

 




「舞台」について話すのは抵抗があるのは…


他人に意見を言うことや反論されることは徐々に克服していった訳だけれど、なぜだか「舞台」について話すこと、これはには長い間抵抗があった。
(といっても、観劇するようになって日が浅いから1年ちょっとか)


わたしは「これは◯◯だ」と言い切る話し方をほとんどしない。
それが他人を操るのに有効な手段だということは知っているけど、極力使いたくない。
なぜなら、絶対的な正解などないと思っているから。

「Aさんはいい人だ」とBさんが言ったとしても、実は外面がいいだけで家では暴力を振るっているかもしれない。Bさんにとって良い人でも、Aさんの家族には彼は悪魔かもしれない。

「このリンゴは傷がついてるから売り物にならない」と農家のCさんが言ったとしても、アイデアマンのDさんが「訳あり商品として安く売れるよ」と言うかもしれない。


だけど、舞台に関してはそうは思えなかった。
「脚本家や演出家や役者には意図があり、それぞれのスキルを用いて舞台を作り上げている」
…つまりそれは、「彼らなりの明確な正解がある」ということだと思った。

その「正解」を表現し伝えることを目指しているんだと思った。






わたしは自分のスキルを目に見える形にアウトプットすることを生業にしている。
自分の仕事に対する姿勢にそれなりに矜持を持っているし、ここは絶対に譲れないという考えもある。

だからこそ、多くの人間が自分の技術を総動員し作る舞台に(的外れかもしれないけれど)ある種のシンパシーや尊敬の念を感じるし、大多数の観客の感情を動かすその世界自体が好きだ。

先に述べた、人の数だけ真実があるという考え。
そしてその世界への尊敬の気持ちがあるからこそ、「あそこの演出はこうだ」とか「この時の彼の気持ちはこうだ」と訳知り顔で断言口調で話す人に対してもやもやとした気持ちを抱えてしまう。

だって、それは「あなたが思ったこと」でしょう?
「あなたが目で見て、あなたのフィルタを通して、あなたが感じたこと」でしょう?
どうしてそれを絶対の正解みたいに話すの?

どういう立場で観ればいいんだろう、と宙ぶらりんな気持ちになることが結構あった。



だけど舞台Take Me Out 2018 がはじまって、毎日そのことばかり考えていて、ある時ハッとした。

その日もわたしは自分の解釈が正解なのかどうか分からなくて、初演の2016年の感想を書いたブログを探したり、ハッシュタグで他の人の意見を読んでうんうん唸っていた。
主人公・ダレンとデイビーの関係性について、自分と違う意見を見かけて考え込んでいた。


だけどふと、本当にふと思った。

正解ってあるのかな、自分が感じたことが正解でいいんじゃないかな、と。

普通に生きてても他人の行動の受け取り方は人それぞれだから、演劇なら尚更では?
絶対に伝えたいメッセージがあるとするなら、そこをうまく伝えるのが演出家であり役者の仕事なのだろうけど、100人いたら100通りの感想が出てくるだろうし、それはそれで良いのかもしれない。

観客である自分が気にすることではないのかもしれない。



Take Me Out 2018 は、観るたびに演技が違うなと感じる。
全体のテンポが速いと感じる時もあるしゆっくりだと感じるの時もある。同じ台詞なのに口調が違う時もあるし、雰囲気というか、舞台の上の空気がまるいなと感じる日もある。

ある回のアフタートークで、一つとして同じ舞台はない、役者さんそれぞれの空気でその一回限りの舞台を作り上げているという話が演出の藤田さんから出ていた(意訳)
神保町でやっていた山口公一さんの写真展「NYの足跡 Shohei」で、拙いながらも「何回か観劇したけど、いつも見え方が全然違う」と在廊されていた章平さんにお伝えしたら、「そうなんですよ、毎回違うんです!」とふわっと笑って答えてくれた*2

 


あ、そうか。

自分が見て、感じたものを大事にしていいのかもしれない。
何回も何回も表参道の劇場に足を運んで、毎日あのシーンはどうなんだろう、このシーンはこういうことなのかなと考えて、なんだかようやく腑に落ちた気がした。
 


真実はいつもひとつ!とある漫画の主人公は言うけれど、いつだってただ一つあるのは事実だけで、真実は人の数だけ無数に存在するんだと思う。

自分の意見を外に出さない限り、自分から手を伸ばす努力をしない限り、新しいものや違うもの、「外側」のものは入ってこないし触れられないと思う。都合よく自分をどこかへ連れ出してくれる存在なんていない。*3

だから、わたしはわたしが感じた気持ちを「わたしの真実」として、これからも世界の端っこのほうで書き連ねていく。
もしかしたら、巡り巡ってそれが誰かの「Take Me Out」のきっかけになるかもしれないので。*4
 
 
 
 
 
マシュマロやってます。感想でもお題でも。
 
 
 
 

*1:よっしゃ一旗揚げてやるぞオラ!と思って船出して、マストが折れるどころか船体まで破損し、数年かけてそこから立ち直ったのはまた別の話

*2:お見送りしてくださったんですけど、出て少し歩いてから振り返ったらまだ立っていて、ぺこっとお辞儀をしてくれて、あっ…これがイケメン仕草か…と思いました。そしてわたしは画廊で目があったご本人に「あ、本人(人の顔を見ないので本人だとあんまりわかってなかった)」とか、すごく馬鹿っぽいことを言った。馬鹿だから…仕方がない…

*3:ここでの「手を伸ばす」は主に多ステと毎日TMOについて考えること。やりたくてやってるので努力というわけではないけれど

*4:英語の使い方微妙じゃね?とかそういう細けえことはいいんだよ!

【ドラフト】Take Me Out 2018感想ざっくりまとめ

 

 

こんにちは。寝ても覚めてもTMO。かんそうぶんです。

 

f:id:Bn295:20180425170917p:plain

Take me out される☆の絵です

毎日Take Me Out 2018について考えてばかりで、ブログをまとめようにもツイートが溜まってばかりなので、一端ツイートを貼り付けます。

またしても記事という体裁にこだわらない自由な形式をチョイスする。
 
それが…
 
 
 
 
 
 
Style!!!!
 
 
 
 

 

 
観ていない人にはなにも面白くない気がすごくするので、一応ざっくりあらすじを貼ります。私の感想はネタバレと考察しかないです。
そしてこの内容からまた意見が変わっていっている…。公演期間一ヶ月ってすごい。自分も一緒に物語と一緒に成長できる気がする。ありがたい…
 

男たちの魂と身体が燃え滾る、「ロッカールーム」。彼らにとってそこは、すべてをさらけ出せる楽園だった。ひとりのスター選手による、あの告白までは-。

黒人の母と白人の父を持つメジャーリーグのスター選手、ダレン・レミングは、敵チームにいる親友デイビー・バトルの言葉に感化され、ある日突然「ゲイ」であることを告白。それは、150 年に及ぶメジャーリーグの歴史を塗り替えるスキャンダルであった。しかしダレンが所属するエンパイアーズ内には軋轢が生じ、次第にチームは負けが込んでいく……。

そんなときに現れたのが、天才的だがどこか影のある投手、シェーン・マンギット。圧倒的な強さを誇る彼の魔球は、暗雲立ち込めるエンパイアーズに希望の光をもたらしたのだが-。

https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b1893903

 

メジャーリーガーの華やかな選手たちの関係を捉えながら、
そこに渦巻く閉鎖性によって浮き彫りになる人種問題、LGBTなどの社会的マイノリティに深く切り込み、
私たちが向き合うべき実情にスポットを当てた「Take me out」。
2016年12月に日本初演、その年の第51回 紀伊國屋演劇賞 団体賞の対象作品に選ばれた本作が、
DDD青山クロスシアターにて早くも再演決定!密着空間でのあの熱いドラマが蘇る!

https://www.stagegate.jp/stagegate/performance/2018/take_me_out/

 

2016年版だけどちょっとくわしいあらすじ

 

 

 

 

 

 

ダレン

 
 ダレンは意図的に他人の感情を逆撫でする言動繰り返して他者を試してる印象がある。威圧的な振る舞いを割とするよね。これは驕りと怖れが混じり合った結果の行動なのかなあ。

 

ダレンの笑顔がはじめと途中からで全然違う。彼はメイソンに外側に連れ出してもらったんだと思った。外に出た者と出られなかったデイビー、対照的な2人だと思う。ましてやデイビーは愛について説いた側だから皮肉。

 

ダレンは監督と話してる時、メイソンと話してる時、デイビーと話してる時は、普段何枚か被った仮面を少し脱いだみたいな表情をしてて、ウワーー!ってなる。

 

ダレンがピッチングするときの目線席に入ったことがあるんだけど、あの表情はやばいな…。あの自信満々で挑発するような表情する人、めっちゃくちゃ好きなんですよ男女問わず。(エマワトソンとかよくやる印象がある)


演技でよかった、日常生活であの表情する人に会ってたら即落ちだわ…
自分の能力がわかってて、それで相手を挑発する表情する人って、めちゃくちゃセクシーじゃないですか…。お!?やんのか!?と思ってテンション上がるやん…。

ダレンめちゃくちゃセクシーだよな。監督と話してる時の弱い表情と、チームメイトと話してる時の強気な表情の落差も良い…

 

 


デイビー


デイビーとダレンが酒場で話してる時、腕を組んでそれを見てるキッピーの表情とか、「ダレンが大事なんですね?」と言われた時のキッピーの反応を見ると、胸が詰まる。そしてそこのシーンは毎回デイビーー!、!!!お、お、おまえーーーー!!!って思います。
「大事なんですねぇ(語尾をあげる)*1」ってなんだよ!デイビーむかつく!!!!

 

盛り場のシーンのデイビーの「だな」、言い方が違う時があるんだけど、「だ〜なっ」の時は変人感が増してる感じがして、その後の展開を知ってるだけにちょっとイラっとする笑
でもダレンの話をぐーっと身体を傾けて聞いてるのを見て、良い奴だな…と思い直すんだけども…。推しだからかな…チョロいな…

 

盛り場のシーンでデイビーがステップ踏んでたのは、一体何日間なんだろう…。あの演出、酔ってご機嫌になってる感じでキュートだった。(髪の毛の後ろの方がまだ若干ぴよっとしてた時だと思う)

 

 

ジェイソン


ジェイソンはスペイン語ペアが「これなんて言うの?」って本を指差してたら「これはねえ…」って答えようとしててかわいい。リングを首からネックレスにして下げてるからたぶん既婚者なんだろうな。あと、がっしりしてる上に鍛えてて、体つきがすごくかっこいい。野球選手!って感じ。
トッディとしょっちゅうにこにこしててかわいい。

 

 

キッピー


キッピーは物語の進行役だが語りに主観が多く含まれているので実は信用ならない。例えばダレンを性欲が薄いと言ってるけど、ダレンの言葉は正確には「チームメイトとは寝たいと思ってない」なんだよね。

 

 


差別意識

カワバタが心情を吐露しジェイソンとハグした後、笑顔でホモ野郎と言うのがピンとこなかったんだけど、チーム内で日本人というマイノリティであるカワバタが、性的マイノリティを差別する側になるという描写…?と思い至り怖くなった 。

差別する側って一定ではない。一人の人間が持つ属性ってたくさんあるから、どこから対象を眺めるかによって、差別する側/される側というのは容易に変わるよね。

 

 

目が足りない

登場人物がそれぞれの役柄に沿って行動してるから、見るところがたくさんあって目が足りない。
どっちがマルティネスでどっちがロドリゲスかわからないマンなんだけども、シェーンの告白の時に寝転んでおなかぱたぱたしてるのと、それを見てロッカーの方を向いてエアドラムし始めたスペイン語勢がかわいかった。
違う日はロッカーにかけた写真を二人で見ながらシェーンを指差して何か話してたから、英語が堪能な方が「あいつ、家族がいないんだってよ」みたいなことを話してるんだろうな。*2

 

 


物語全体の考察

片思いっていうのは、ある意味自分の理想を相手に求めること。
TMOは片想いとすれ違いの物語。

愛とか恋じゃなく、キッピーはダレンに、ダレンはデイビーに、デイビーは神様に片思いしてて、みんな自分の中の理想を相手を求めてすれ違ったのかと思う。ある意味デイビーは死ぬことで思いを成就したとも言えるけど。

 


「Take me out」されたのは?

 TMOは箱庭(自分の狭い意識)を巡る話だと思う。Take me outされたのはメイソン、ダレン、キッピー。楽園が壊れたと嘆き、出られなかった、出る気すらなかったのはデイビー、監督(=ダンジガー)

 

キーパーソンはメイソン。
「俺らは楽園を失った」がTMOのキャッチコピー。
楽園 = 何も意識せずに野球のことだけ考えていればよかったという環境 だと思う。
そこに所属してないメイソンは初めから「外側」の人間だけど、ここで語るのは「自分の意識の壁」みたいなものの話。

 

メイソンはダレンに、ダレンはメイソンに、キッピーはメイソンにTake me out されてる。
メイソンは言わずもがな。劇中で自分でも言ってるからここでは割愛。

 

ダレン。
ダレンはカミングアウトすることで初めて「完全なるダレン・レミング」として存在できた。「これでよかったんだ。だって俺は、ダレン・レミングなんだから」という独白。あれはつまり今まで(COする前)はダレン・レミング「らしからぬ」振る舞いをしてたってことだと思う。


本当のダレン・レミングを丸ごと許容したのも、何も隠さずむき出しでぶつかってきてくれたのも、あの中でメイソンだけだったんだよね。
デイビーはダレンを拒否した。キッピーとは心が通じ合ってない(そもそもキッピーとは野球の技量の差の問題なのか、実は同じ目線に立ってない。キッピーがダレンに向ける思いの方が強くて、関係性がイーブンじゃない。)

 

シェーンの件がなくても、ダレンはキッピーの言葉を一度拒絶してる。

「こんな時だから言うんじゃなくて、俺はお前のことが好きだ」みたいなことをキッピーが電話で告げたシーン。「心の内を全部話すのが大事だと思う」とキッピーは言ったけど、ダレンはデイビーとの一件もあって「それはどうかな」とかなり強張った顔でそれを拒否してる。あれはキッピーの無神経さへの怒りももしかしたらあったのかもしれない(しっかし、この時の険しい表情と、その直後のメイソンと話す時の気を許したダレンの表情の落差がさ〜〜〜、ほんとさ〜〜〜!!!!)

 

最後にメイソンの思いを受け止めて、パーティーに一緒に〜と言って、戻って迎えに来たところ。あそこで二人の気持ちは完全に通じ合った = ダレンは心からメイソンのことを信用したし、メイソンもダレンに思いが通じたということで、お互いがお互いをTake me outしたと思う。

 

で、キッピー。彼も実はメイソンによって救われてる一人だと思う。
キッピーは物語の語り部だけど、実は語る内容にかなり主観が入ってる(https://fusetter.com/tw/tCShR#all)し、全然中庸な立場じゃない。彼は言葉を信じ、巧みに使いすぎ、それに溺れてしまった人物だと思う。
(ある一定のレンジにおさまる対象には言葉は有効だけど、そこから外れた人間には言葉の力自体が無効化される。今回の場合はシェーン)

 

彼は言葉ですべてを解決できると思っていた。でも実はそんなことはなくて、彼はシェーンの登場によって少なからず傷ついたと思う。デイビーに嫉妬し、「チームの親友」であるダレンとの友情にも亀裂が入った。(でもそもそもダレンはキッピーを友人だと思ってない気がするけど。切ない…)

 


それを救ったのがメイソン。
彼の「言葉にするのは難しいという気持ちを言葉によって表現したんです!」(だっけ?)という台詞で、キッピーは「すべてを言語化しなくてもいい」と許されたんじゃないかなと思う。


たぶんキッピーは、シェーンの「俺が何を考えているか知りたいのか?それなのか?」「知らねーよ!!」という言葉を理解できなかった(シェーンは本当に、あの投球の理由を自分ではわからないし「知らない」と思う)
だけど、メイソンのその台詞によって、シェーンに対して少し理解できたり、自分が言葉に頼りすぎるところを自覚できたんじゃないかな。

 

「会えてよかったよ、本当に」

キッピーがそう言ってメイソンに握手を求めたのは、心からの台詞だと思う。


生きていると、何気ない言葉が誰かを傷つけたり救ったりするものだと思うのだけれど、その一端を見せられたようなシーンだなと思いました。

 

 

ラストシーン考察①


最後のシーンって、もしかしてメイソンはダレンの言葉を信じず、パーティーにも行かずに去ろうとしていたからあの場所に残って別れを噛み締めていたということだったりする…?

 

あのシーンがどうしてもよくわからなくて悶々としてたんだけど。もしかしてメイはダレンが信じきれなくて、あの場所に残ろうとしたんじゃないかなあ。


ダレンは「ゲイの子どもへの支援を」と言ったり、「明日引退しない、明後日する」と言ったり「ゲイカップルと一緒にエレベーターに乗って、お前にキスしてやるよ」と言ったりして、結構メイソンを翻弄してたよね。

 

自分の潜在意識が形を持ったようだとまで感じてる相手に、剥き出しでぶつかって好意を伝えてるのに何度もかわされたら、それは傷つく。

メイソンは、ああまただ、こんなに焦がれてるのに届かないんだなと思った。
優勝チームがもらうリングに価値があるとはダレンは思ってなかった。だから指輪をはめてもらっても、信じきれなかった。
だけどダレンにボールを渡されて戸惑った。
一体どっちなんだろうって心が揺れて立ち尽くして、その後「(やっぱり本気じゃなくて気持ちは届いてない、だから)悲劇だった」ってつぶやいたんじゃないか。

 

だけどダレンが(「ごめん」と謝らずに「俺も」で済ませたダレンが…!)戻って迎えにきて、笑顔で自分の方を見たから、メイソンは本当の意味で「連れ出してもらった」と思ってダレンに抱きついたんじゃないかなあ。

 

野球を愛したダレンがボールを持っていて、と自分に手渡したこと、そして迎えにきてくれたこと。

それを受けて、メイソンはダレンが野球を辞めることを考え直した、つまり自分の想いは通じたと思ったんじゃないか。

だからこそ「春が来るまでなにをしよう」、つまり次のシーズンが始まるまで何をしよう、って言葉につながったんじゃないかな…と思った。

 


ラストシーン考察②

観客…つまり私たちは物語全体を見て「悲劇だった」という意味を考えるけど、メイソンは初めから終わりまで「ダレン(と野球)と自分」について話してた。

彼の前ではダレン以外の人物は脇役なんだよね。最後の場面で、キッピーと会った時も「一方的に見たことがある人」みたいな扱いでしかないし(なんならダレンに夢中でキッピーは視界に入ってなかった。恋は盲目かよ…かわいいな…)、シェーンについても「ダレンに失礼なことを言った人物」みたいな扱い。

 

メイソンの世界は、ある意味ですごく狭くて完結してる。
「昨年のモデルの世界であなたは私だったんです!(意訳)」という言葉からも、ちょっと視野が狭そうな感じが伝わってくるし、一方的に夢中で話してしまうところも、コミュニケーション能力がそれほど高くないのかもな…って感じがする。(でも、ナレーションの部分では少し低くて響く感じの発声/ダレンと話す時は高めの上ずった声、という対比がわかりやすい演技をしてた時もあったから、あれはダレンの前だけ…という可能性もある。かわいいな…!?)


「大変なシーズンだったな」とダレンに言われ「ええ、悲劇でした」と返したところは相槌だから、ダレン目線での答えだと思う。

ダレンの親友・デイビーが、チームメイトであるシェーンのデッドボールで亡くなったこと、シェーンが拘留されたこと、デイビーの言葉がきっかけで「事件」が起こったこと。(でも、ダレンのカミングアウトでメジャーリーグ全体に激震が走った、みたいな目線では話してなさそう。メイソンは最初から最後までダレンと自分しか見てないから。ダレンのカミングアウトを自分の感情と絡めてメジャーリーグ全体の問題として捉えたのは、おそらくデイビーとスキッパー監督(=ダンジガー)だけ。他の登場人物はチームメイトの問題としてしか捉えてないっぽい)

 


一方、ダレンと別れてからのメイソンの独白の「悲劇だった」は、自分についての話なのかなと思う。これについては後に書く。


メイソンはダレンに一目惚れしたんじゃないかなあ。メイソンは一人ぼっちで生きてきた人なんじゃないかと思う。ちょっとそれについて下記に書く。

 

元会計士の引退はダレンがいぶかしんだ通り実は嘘で、ダレンのCOがきっかけで担当を外れたんじゃないかと思う。「関節炎、動脈硬化、南の島」って、ちょっと辻褄が合ってない。病気で余命いくばくもないから引退して南の島に行ったの?とも思ったけど、それなら病気については一つだけでいいのに、なんで「関節炎、動脈硬化」ってふたつも話してるんだろう? それにしっかりとした引き継ぎもしてないなんておかしい。

 

メイソンはユダヤ系。ユダヤ系は家族の結びつきが強い。だけどユダヤ教徒は同性愛は禁止だったはず。となると、メイソンは家族とは絶縁している可能性がある(家族はユダヤ教徒じゃなくてキリスト教徒かもしれないけど、それでもデイビーみたいに同性愛禁止派もあるし)。


「ゲイコミュニティには所属していない、というかできない、自分はその下にいる」とメイソンが言ったのは、おそらくユダヤ人差別が原因。ということは、家族との結びつきもなくて、ゲイコミュニティとも関わりがない。マーゼック姓はユダヤ系だとわかる苗字なので(たぶん。詳しくは調べてない)、それをオープンにしてる=差別される環境にあって、メイソンは孤独に生きてるのかもなと思った。
ユダヤ人はお金に強いので、会計士という職業だからあえてそれをオープンにしてる可能性もある。メイソンは自分の人生をつまらないと言っていたけれど、仕事の話をしてた時はすごく嬉しそうだった。仕事に打ち込む…というよりは仕事しか楽しみがない人生なのかもなあ…。あんなにキュートなのに…!

 


話が逸れたので戻す。メイソン一目惚れ説の続き。
メイソンはダレンに一目惚れしたと思う。その根拠はダレンの会計士に決まった時に「どうかあんまり舞い上がりませんように」と言ってたこと。そして自分の潜在意識が形を持って現れたように感じた、というナレーション。確かこれに続く言葉は「皆がそう思ったと思う」みたいな主観にあふれたものだったかと記憶している(話がそれるけど、主語を大きくして主観で語るって、きみはキッピーかよ!という感じだな。いえ、キッピーも好きです)。


それに、会って2〜3週間で仕事についての話じゃなくて、お互いを知るために面会をしてる。(クライアントとの距離を詰めるのが彼の仕事のスタイルかもしれないけれど)
その時の緊張した様子が、ちょっとビジネスじゃなくて私情が入ってる気がするんだよなあ。

@setsuya_stさんの伏せ字ツイート | fusetter(ふせったー)

 

この方の感想も読んでふむー…と思ったんだけど、「メイはダレンと関係があることを自分のステータスにしようとしてて」ってとこはわたしはちょっと意見が違う(否定したいわけじゃなくって、あくまでもわたしはこう思ったって話。次はこの視点で見てみたいと思います)。


メイソンのあの芝居がかった「まあーダレン!?ダレン・レミングさんですかー!?」「また隣のゲイカップルが〜」というやり取りから察するに、ダレンはメイソンの対応をわざとだって知ってたわけじゃない?
わたしは、あれはメイソンのダレンに対する甘えだと思うんだよね。「ああはいはい、わかったわかった」ってやってもらいたくてちょっと苛立たせるような、試すようなことをするような(メイソンかわいい。あれ?わたしメイソン大好きなのかな?)


「いつかお前の家に行って、エレベーターに乗ってそのゲイカップルの目の前でキスしてやるよ」に対して「今から来ませんか?9分後に」とか、その後の「明日」って言われた時の落胆とか、かわいすぎるでしょ…。めっちゃ恋愛やん…。メイソン、めっちゃダレン大好きやん…かわいい。
(クラブハウスに行ったら緊張して倒れちゃう、ってなんで?と思ってたけど、あれは試合後のギラギラした感じのダレンはセクシーすぎるからということか?といまふと気づいた。章平さんが相手を挑発してバットを振る時のちょうど目線席に入ったことがあるんだけど、最ッッッッッッ高にセクシーでした…。やばい。あれはやばい。お芝居でよかった。日常生活であの表情する人にエンカウントしたら即堕ちやぞ…。まじでやべーーーわ。あと関係ないけど写真の展示を見て、すごく壊れやすそうな繊細な表情や、色っぽい表情される方なんだな…と思いました)

 

また話が逸れた。
「ダレンと別れてからのメイソンの独白の「悲劇だった」は、自分についての話」これについて。

 

自分の潜在意識が形を持ったように感じる相手、野球界のスーパースター。交わることがないはずの存在と出会ってしまったこと、彼に惹かれたこと。でもダレンは自分を翻弄するだけで本気じゃなさそうなこと。(ゲイの子供を支援する基金を立ち上げる…と言った後に耳元で冗談だよ、と嘲るように言ったり、エレベーターでキスしてやるよ、をかわしたり、明日引退しないと言ったけど明後日と言ったり(←これはキャッキャウフフな会話とも取れるけど))

 

そして彼が引退をしてしまえば、会計士としてさえも関わることができなくなること。


メイソンは劇中、明日引退するというダレンに対し「私のために引退しないでください」の後に「あなたのビジネスマネージャーのために」と付け足してるんだよね。これは「ダレンのことを好きなメイソン・マーゼック」という人間としての発言の後、会計士メイソンとして言い直したんだと思う。
生身の、むき出しの自分自身の言葉だと、きっとまたかわされると思ったんじゃないかな。そしてメイソン自身も傷つきたくなかった。だから、ビジネスパートナーとして、と言葉に保険をかけたかったのかも。


メイソン一人ぼっち説補足
「神を信じていない」という台詞から、信仰する宗教がないことがわかる。だから彼は本当にどのコミュニティにも属してないんじゃないかなあ。家族親族、ゲイコミュニティ、宗教。姓をオープンにすることで人種差別にもあって、友人もほぼいないのかも。

 

 

カテコとかあれこれ

はけてく時の俳優さんの素に戻る感じ良いよね。いつかの回で、カテコで浜中さんが帽子を脱ぎ損ねた?時、味方さんが「おい〜笑」みたいに笑って、浜中さんがちょっと恥ずかしそうにしてて、はけてくときに2人で何か喋ってた時があって微笑ましかった。

栗原類くんは独特の雰囲気があって、カテコもぎゅん!っておじぎをしてて、それがすごく印象的。他のお芝居も観てみたいなあ。

 

spiさん、TMO始まった時と比べてカテコの表情がやわらかくなってる気がする。よいですなあ…。
spiさんの立ち振る舞いが美しい。足を少しずらして50度くらいにつま先を広げて立ち、左手を後ろに、右手を胸に当ててお辞儀してた。紳士…。
なのに舞台から降りた後何か蹴っ飛ばすみたいな子どもっぽい動きをしてて、そのあまりのギャップにわたしは死んだ。


デイビーの後頭部のセットは
激しくぴよっとしてる
→撫で付けてるけど毛先がぴよっとしてる
→撫で付けてるけどよく見ると少しだけ毛先がぴよっとしてる
→撫で付けてぴよっとしてない(休演日に切った?)
みたいな変遷を辿ったと記憶している。

 

 
 

TMOのベンチシート座ったときに、「うわー、今ここで目の前に立ってる役者さんにカンチョーしたら舞台が台無しになるのに、みんなそれをやらないなんて!!!!舞台って信用の上に成り立つものなんだな…」と感じて、グッとくるものがあった。(某日ツイートより)

 

たまにこういう雑念にまみれたことを考えてしまう。もっと集中したい。

 

 

 

 

 

本当に毎日TMOのことばかり考えているけど、全然退屈しない。

公演期間が長い舞台で良いなと今回感じたのは、役者さんの演技も変わる、演出も変わる、自分の解釈も変わるのが身にしみてわかったこと。
 
「自分の考えを言って、演出家の意図と違ってたらちょっと恥ずかしいな…」って気持ちがあったりもしたんだけど、いろんな方の感想を読んで、「自分が感じたままでいいんだ!」って思えるようになったこと。
このあたりの話はまた別エントリに書きたいな。
 
 
 
残り8公演、幸運にもまだ現場に入る機会に恵まれたので、1公演1公演を大事に噛み締めたい。
 
 
 
 
▼関連記事▼


 

 

 
 

*1:語尾を上げない日もある

*2:後日カワバタさんに注目して、彼のかわいさや複雑さに「…すき…」と思いました。

ガチ恋って恥ずかしいのかな 〜ガチ恋の謎と開票結果〜

若手俳優 ガチ恋 晴れた日のねどこ


 

 

みなさんこんにちは。


若手俳優のオタクって、徐々に頭がおかしくなっていく人が割と多いじゃないですか(突然の暴論)


それってなんでだろうなあと考えたとき、2つの点がポイントなのかなと思った。

  1. 俳優とファンが交差する事があると考えている
  2. 自分の気持ちに嘘をついて、物事を正当化している


1は実際にあり得る事なのでいいんだけど、問題は2だよなと思う。


またTwitterでつらつらとツイートしてた事+アルファを一旦放流。

もし気に触る事を言っていたらごめんなさい。


 

 


若手俳優にはまって頭がおかしくなっていく人って、俳優とファンが交差すると考えてる気がする。認知とかあるからそう思うんだろうけど。ファンにできることって、おとなしくお金を払ってその対価として楽しませてもらうことしか基本的にはないと思うんだよなあ…。

だからこそガチ恋の人はつらいんだろうなと思うし、ガチ恋を否定したいわけではない。
ただ、あわよくば…と思ってるのにそれを頑なに否定する人はなんで?と思う。頭がおかしくなるのって、その層だと思う。ガチ恋認めてる人は病むけどおかしくなる率は低いのではないか…という推測。

好きなら好きで別によくない?と思うんだよな。他人に何か言われて気になるなら伏せておけばいいし。わたしがわからないのは、自分にまで嘘ついてる人なんだよね。いや、認めればいいじゃん…という気持ち。


 


 
若手俳優のオタクは恥ずかしいのか

若手俳優を好きだったり追いかけてるのは恥ずかしい事なのかな。
確かに「ああー…」みたいな視線で見られる事は多そう。
で、隠す人は多そう。
かく言うわたしも、色々めんどくさそうなのであんまりオープンにはしていない。

これは持論なんだけど、オタクって気持ち悪いじゃないですか。

「一般的な」人とは価値観が大きく異なってるので、理解されづらい。
これはなんのオタクでもそうで、ファッションだとかメイクだとか、華やかなものでも例外ではないと思う。サブカルだったりニッチなものの方が理解されづらい傾向はあるけど)



だってさ、1万円前後の舞台を何回も見たり数万のお花を送ったりって、クレイジーでしかないじゃないですか。お花なんて場合によっては1日しか飾られなかったりするわけで。
だけどオタク的にはまあ多ステしたりお花出したり、人によっては数万のプレを贈ったりする。わかる。

でも、常人にはそれって異常なんだよね。

わたしはその辺のあれこれを説明するのも、変に興味を持ったふりして掘り下げられるの面倒なので「舞台を観に行くのが好きで」くらいにしか言ってない。
友人には推しがいる事は言ってるけど。




わたしは他人と関わる上で、あんまりコストをかけたくない。
石を投げてきたり、わざとぶつかってきた人間に対しては対応するけど、当たり障りない程度の付き合いの人間相手にあまり色々話したくないTwitterやブログはある意味壁打ちなのでその限りではない)

そして他人からの評価については、すでに一生分くらい気にした自意識過剰すぎる過去を持っているので、そろそろ「どう見られるか」という部分が割とどうでもよくなってきた。


だから例えば、年齢を理由に推し事を恥ずかしがるとかはよくわからない。
別に迷惑かけてないならよくない?と思う。
この「いい歳して…」みたいな風潮って完全なる同調圧力だと思うので、別に気にしなくてもいいと思うんだけどなあ。

年齢関係なくだけど、昔懐かしい韓流ブームも、いまの.5ブームも、メディアの取り上げ方がキワモノというか嘲笑まじり、「この人たち、よくわからない事に夢中になってるw」みたいな角度で切り取っている感じで、個人的にはあまり好きではない。
他人の好きなものを笑ってばかにして、自分をスタンダードだと思おうとするのは、あんまり品がよくないと個人的には思う。



 
なんでガチ恋だと認めないんだろう

面倒だからとか恥ずかしいからだとか、いろいろな理由から若手俳優のオタクだと公言しない人はいるだろうと思うけど、わからないのは自分自身に嘘をついてる人。
「わたしはガチ恋じゃない」って頑なに認めようとしない人。
ガチ恋じゃない」と否定しながら、繋がりたいと思ってるタイプの人。


 



上記は以前わたしが出した仮説のツイート。ここからのツイートをちょっと貼っていく。


「観劇沼の住人→推しに対してはモブおじさんでいい」
若手俳優沼の住人→推しに対しては夢女でいたい」
こんな感じなのではなかろうか…


夢女じゃありません!りあこ・ガチ恋じゃないし!って人もたくさんいる気がするんだけど、推しに嫌われたくないと思ってる時点で「自分と推し」って関係性を想像してるから夢女的なところがあると思う。少なくともモブではないよなー。
でもって、それが悪いとか言いたい訳では一切無いです。

だって、そういう部分を提供するのも仕事のうちだと思うんだよね。少なくとも接触でアイドル的な売り方してる俳優は絶対そういうのあるでしょ。だから夢女でも、りあこ・ガチ恋でも全然いいと思う。迷惑かけなければだけど。

なんか、りあこ・ガチ恋が恥ずかしいから「わたしはそんなんじゃないです!」みたいに言う人多い印象あるけど、別に好きなら好きで良くない?と思う。ただ、ガチで狙いにいくなら戦略練らないと無理では…?ノープランで突っ込んでったらそりゃ「ああー…」みたいに見られるんじゃ…?とは思う。





ガチ恋って恥ずかしいのかなー。
恥ずかしいとしたら、それは誰に対して気にしてるんだろ。

他人?

でも赤の他人の目を気にして、何かメリットあるのか…? と思うんだよね。


好きなら好きでよくない?
それで迷惑かけたり、迷惑をかけているかもって視点が抜けてたら相当やばいと思うけど。(「好き」を免罪符にしてしまうと、極論ストーカーもDVもオッケーになる)

なんというか、自分で自分の事まで否定しなくても良いと思う。
わたしは二十数年自己否定しまくってた過去があるので、気持ちもわかるんだけども。

でも人生って、放っといても誰かが否定してくるわけじゃないですか。
そして生きてる限り、絶対に誰かに憎まれたりするわけじゃないですか。
なのになんで、自分で自分の事まで否定しちゃうんだろうね、むずかしいね。

 


なんというか、みなさんあまり自分が間違っているのでは!?とか思わずに、あったかいものでも飲んで過ごしてください、と思う。
心の中で何を思っても自由なので。


だけど、「わたしガチ恋じゃないしww」「ガチ恋とかww」と言いながらガチ恋をばかにして笑って、内心では繋がりたいと思ってるのをひた隠しにしているタイプのオタクははっきり言って性格悪いし醜いと思います。


若手俳優沼の住人→推しに対しては夢女でいたい」


推しと自分を同等に扱った時点で、夢女だろうがガチ恋だろうが関係ないし、どっちが上だとか下だとか言ってマウント取りに行くのは無意味じゃない…?と個人的に思う。


みたいな話を「夢女がガチ恋を馬鹿にする地獄〜若手俳優沼のマウンティング〜」みたいなタイトルで書こうと思って放置している。

マウンティング話は他にも書きたい話があるんだけど、文章書くのって難しいし時間かかかるね。
 
 
 
 
2019年4月追記------------------------------------------------------------

ガチ恋の心理

ガチ恋についてのマシュマロいただきました!(タイトル変更したので違ってますがこの記事についてです)
公開してよかったのかな…? 貴重なご意見ありがとうございます!
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
 
 
 
何も考えずに今日はこんなぽやんとした感じで放流します。
皆様のガチ恋エントリを見るたびに、「そうかー!そうなのかー!!」と思って読ませていただいてます。ブロググループの方は真摯に自分の気持ちに向き合ってる感じがして好きです。(なので、今回のわたしのエントリでもし気分を害された方がいたら申し訳ないです)
 
 
いや、ガチ恋というのはだな…!とか、お前はわかっていないぞ!とか、何かあったらアレしてください。DMでもリプライでも良いです。
 
 
 
▼マシュマロやってます▼

気軽にどうぞ。だいたいTwitterで答えてます。

回答スタンスは「丁寧なものには丁寧に、無礼なものにはそれ相応に」

 

 

 

 

▼ツイ廃です▼

かんそうぶん (@KansouBn) | Twitter

 

気軽にフォローするとTLが埋まります。 

 
 
 
 
あと、このエントリの開票結果置いときますね!


f:id:Bn295:20180406153513p:plain

f:id:Bn295:20180417182237p:plain

 
投票してくださった方、ありがとうございました!
匿名だけど意外と(?)Dゾーンはいないんだなというのが面白かったです。
 
 
 
 
それでは皆さん良い推し事ライフを!!(無理やり締める)
 
 
 
▼関係ありそうな記事▼
 

▼推し方に悩んでるならこちら▼ 

 

 

 

▼激熱!双眼鏡ダイマ記事▼ 

 

 

Take me out 考察。シェーン、キッピー、ダレン(までやって力尽きた)

f:id:Bn295:20180403192016p:plain

 

 ▼初見感想はこちら▼


 

初見の印象は「こわい」だった。登場人物の行動や心理がわからない部分が多くて。
その後見たときは愛や絆の部分がわかりやすく増してるように感じ、救いがあった。
そして頭のなかで登場人物の行動の理由などを毎日ぐるぐる考えて、それぞれの輪郭が薄ぼんやりと見えてきた気がする。

メイソンの言う悲劇がどういうことか初めはわからなかったけど、やっぱりこれは悲劇だ。



楽園という箱庭を失ってなお、そこに留まろうとした者と、そこから外に出た者。
ある部分では他者から虐げられる者が、無自覚に他者を排斥すること。
得られたものも大きいけど、失ったものも多く、失われた「楽園」には皆もう二度と戻れない。
それが良いことか否かは、きっとそれぞれの登場人物によって違うのだと思う。

 

※今回はがっつりネタバレしてます※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





シェーン

シェーンの異常な潔癖症は自分の排泄物まみれで発見されたという出自のせいもあると思う。

けれどゲイについての差別意識や、ダレンに沐浴について触れられたシーンの態度から考えると性的虐待を受けていた(ないしは同性にレイプされた経験がある)可能性もあるのでは?と思って、アメリカの当時の事情を調べてるけどなかなかない。


アメリカで起きる虐待の中で一番大きな割合を占めるのは、里親からのものだそうだ。シェーンはすぐに施設に返されたと言っていたので、その辺りは不明。ただ、転々としていたということなので、なんども別の里親に引き取られては戻された可能性も考えられるかもしれない。

施設での虐待というと、カトリック神父の小児性愛についての話が思い浮かぶけど、多分シェーンはキリスト教系の施設には入居してなかったんじゃないかなあ。宗教が母体になってる施設なら、信仰についての話もおそらくあると思うので。



●有色人種への差別意識

テレビインタビューのシーンでは「黒いのや黄色いのやサンバ踊ってるような奴がいるから気にならない」という、違いを受容しているような発言を彼はしている。これは自分と同じく、全員が野球をするという目的の下で動いているため違いが気にならないという意味かなと思う。

まともな教育を受けられなかったであろう彼は、自分が何を考えているのかを表す言葉を知らず、喋ること、書くことに若干のハンデがある。つまり他人との意思疎通に問題が生じていたはずだ。
だが、野球という世界では彼は唯一自由になれた。他者と共通の言語を使えた。そこでは人種は関係ない。それぞれが自分の役割を果たし、勝つことが目的だ。


つまり、人種や言語は関係ない。
彼は「黒いのや黄色いのやサンバ踊ってそうな奴」…言葉以外でコミュニケーションを取る人間が自分以外にもいることで、ハンデを感じずにいられた。つまり、救われていたんじゃないのか。

ただ、これはあくまでもマウンドやロッカールームという、野球の下に成立していた楽園のなかでの話。そこを出れば、彼は無知・無教養から人種差別主義者になる。
有色人種だと言われれば激昂するし、他者を「白人じゃない奴」「お前は半分人間じゃない」などという言葉を叫ぶ。
このシーンの、2/5は人間じゃない、どんな本にでも書いてある、つまりお前は半分人間じゃない!というような台詞、かなりきつい。
簡単な読み書きすら困難な彼が言う「どんな本にでも書いてある」という台詞。
自分の考えではなく、他者の考えを「正しいもの」の証明として振りかざすこと。
これこそが彼の未発達さ、からっぽさの象徴という感じだ。

おそらくシェーンは、野球の下に成立していた楽園では有色人種を受容し、楽園の外では否定している。その矛盾に気づいていない。これがまず、ひとつの悲劇だと思う。



●シェーンの抱える「からっぽ」さ
「俺にとって世の中は、知らないことがいいことの方が多い」
「それはお前が馬鹿だからだ」
シェーンとダレンのこのやりとりは印象的だと思う。

「誰もが羨む中産階級(ところで中産階級が「誰もが羨む」ものだというのがわからなかった…そうなの?)」で「(有色人種でありながら)白人にペコペコしないでいい」「神がかって」おり、自分に自信がある(ように見える)ダレンは、十分な教育を受けていたことが予想される。

一定水準以上の人間には、知識は有益なものになる。
だがそれに満たない人間には、自分自身の居場所や現実を突きつけられる毒のようなものかと思う。


「シェーン、お前はそんなことを考えてない」
「そうなのか?教えてくれキッピー」


自らを語る言葉を持たず、粗末に扱われてきたであろうシェーン。「自分に話しかけてくれたから」お前は友人だとキッピーを評するシェーン。彼は、恐ろしいほどからっぽだ。

キッピーは「自分はシェーンを理解できる」との傲慢さから彼に声をかける。「お前はそんなことを考えていない」、これも「シェーンを理解できている」という前提からの言葉だ。
キッピーは、実は少しもシェーンを理解していない。
言葉で全てを明らかにし、言葉によって世界を説明し理解できると思い込むキッピーには、その外側の世界にいる「言葉を持たざるもの」であるシェーンのことを理解できない。二人はすれ違っている。

「からっぽ」のシェーンはキッピーの傲慢さを見抜けない。それを優しさだと思う。
「からっぽ」のシェーンは、自分が何を考えているかがわからない。だからキッピーの言葉を自分の本心だと思う。

シェーンは、憎むべきダレンの言葉さえ受け入れてしまう。「からっぽ」だから。


「死ね」


ダレンがデイビーに放った言葉、シェーンはそれをそのまま実行する。自分が自由になれる「野球」という世界で、クローザーとして。
カワバタが言っていたように、シェーンにとってもきっと「負けることは死ぬこと」だ。
だからシェーンはデイビーを「殺した」
結果的にそれは、野球の試合という閉じた世界を飛び越えて、デイビーの命そのものを奪ってしまった。


痛々しいくらいに剥き出しのシェーンの姿や叫び、それを理解できると思ったキッピーの傲慢さ。
自らを語る言葉も、他者を理解する言葉も持たず、ある意味で子どものように無垢に、野球だけに生きるシェーンに、デイビーへの言葉を聞かれてしまったこと。
これもまた悲劇だ。



少し引っかかってる部分が少し。
キッピーとダレンが面会に来た場面での「白人じゃない奴が一人いなくなっただけだ」という台詞。あれはデイビーについて指していると思うのだけど、デイビーは有色人種ではないのでは…?
そこで混乱した。誰か教えて欲しい…






キッピー

繰り返し彼について考えるうちに、自分のなかのキッピー像というのが少し変わってきた。

 引用失礼します


キッピーは頭が良く、スウェーデン系だからなのか性的マイノリティに関しても理解があり、「チームの中で」ダレンの一番の友人だ。
エンパイアーズの他のメンバーと同じく、野球を愛し、おそらく勝つことへの意欲も強い。

今私が考えているキッピーの手紙代筆の理由はこんな感じだ

  1. 負け始めたエンパイアーズをまた勝たせるため
  2. チームメイトのシェーンへの嫌悪感の緩和
  3. シェーンを理解できているという傲慢さ
  4. ダレンへの好意



1〜3は初見でも感じていたんだけど、4は物語を反芻していて思い至った。


キッピーは、物分かりがいい大人なんかじゃないのかもしれない。
意外とこどもっぽいところがある人間なのでは?


はじめ、わたしはキッピーのダレンへの謝罪の意味がよくわからなかった。
シェーンの手紙を書いたことではなくて「自分がデイビーをあまり好きではなかったこと」を謝罪するというのが、今ひとつピンとこなかった。

→すみませんこのシーンではまだ手紙の話は出てなかった。(4/13訂正)

でもこれ、彼の行動原理を考えるときに重要な部分なのでは?
キッピーはダレンの理解者でいようとしたけれど、もしかして彼を理解できていなかったのかもしれない。


  • ダレンのようなスーパースターがすべての選手をチェックしてると思うか?という冗談めかした太鼓持ち的な発言
  • 5ツールプレイヤー、更に彼にしかない6つ目の要素〜という「主観的な」賛美のナレーション
  • 神がかっていたダレンよりも、人間らしい今のダレンが好きだという発言(=自分に理解できる存在にダレンが近づいたということ)
  • 自分はチームでの親友、デイビーは本当の親友というような発言
  • デイビーに嫉妬していたという発言
  • 俺たち友達に戻れるか?というラストの発言


もしかすると彼は、羨望の気持ちを隠してダレンと接していたんじゃないか。



ロッカールームでのダレンとの軽妙なやりとりは、なんだか気の合う男子学生のそれみたいだと感じた。
そして試合の場面。音楽に合わせてダンスをするシーンで、キッピーはメイソンの 尻をいたずらっぽい顔をしながらグローブでつついていた。


俺はお前の理解者だ、そんな顔をしながらキッピーはダレンと接しつつも、本当のところは彼を同じ地平に立つ対等な人間だとは思ってなかったのかもしれない。デイビーとダレン、天才二人の関係に嫉妬し、羨んでいたのかもしれない。

キッピーは、チームの低迷した士気を立て直すために手紙を代筆した。ダレンのことを考えるなら、それは奇妙な行為のようにも見える。けれど、「皆が野球を愛し、勝ちたいと思う」のが正しい集団で、彼はきっと「上手くやれる」と思い、それを実行した。そして、ダレンが孤立することもそれで防ごうとしたんじゃないかと思う。

彼が今まで積み上げてきた上手く立ち振る舞える技能、これもまた悲劇の一端を担っていたんじゃないかと思う。




ダレン
この人は本当に自信満々な人なのか?と思ったこともあったけど、今では考えが元に戻った。
ダレンは虚勢を張り、自らを強く見せようと振る舞う人物だと思う。

ダレンは不安を抱えている。ゲイであることがある種彼の負い目になっていたんじゃないかと思う。それはデイビーの発言に対し「本当のことを言っても自分を受け入れてくれるか」と問いかけた部分からも見て取れる。


きっとダレンは愛とか恋じゃなく、ただデイビーが好きだったんだと思う。
キッピーがダレンに憧れていたように。
自分と同じように野球の才能があり、何事にも動じず、物事を冷静に分析できるデイビー。

そんなデイビーに「俺は妻と子どもがいる。その点で、男として優れている」「お前のことがよくわからない」と言われるダレン。

ダレンは友達も知り合いもあまりいないと後半、メイソンに語っている。
それはおそらく真実で、彼は心を開いて他者とコミュニケーションを取っておらず、そのため「友人」と呼べる存在がいなかったんだと思う。


誰が見ても二人は親友だ。
ダレン自身も、それが事実だと信じたかった。
だからカミングアウトした。


デイビーも、彼なりにダレンが大事だし、好きだったはずだ。
でなければ、あれほどまでに怒る必要がない。
ダレンもデイビーもきっとお互いを信じたかった。
ダレンはデイビーの言葉を聞き、自分自身をさらけ出すことを選んだ。デイビーが受け入れてくれると信じて。
そしてデイビーはそれを受け入れられなかった。
敬虔なクリスチャンである彼は、戒律というの下に彼を糾弾した。


ダレンはデイビーに幻想を抱いていたんだと思う。
強く、物事に動じることのない、優秀な人間だというような。
しかしそれは、信仰によって守られた箱庭のなかでしか成立しなかった。

ボタンをかけ違ったまま進んだ8年という時間は、お互いにとって長すぎた。


デイビーは箱庭から出ることを拒んだ。
「楽園」を壊したのはお前だ、自分は裏切られたと叫んだ。


セクシャルマイノリティや信仰云々を抜きにしても、心を開いていない人間に対し、相手が無条件に自分を受け入れてくれるなんていうのは残念ながら都合のいい幻想だ。
(だからと言ってデイビーの行動を許容していいわけではない)



けれど、この話の登場人物全てが悲劇の担い手になっているわけではない。
自分と相手との価値観の違いをこえて、ダレンを「外」に連れ出した人間がいる。


メイソンだ。



 

 

 

 



…ってここまで書いたんですけど、めっちゃ長いな!思ったので次回に回します。
以下、ふんわりした脳直の感想。





ジェイソン
ジェイソンはゲイフレンドリーに見えて、心の底では偏見がある。
それはダレンがジェイソンにハグした時の彼の表情からも明らか。

「うわあ…」って顔してるよね。悪気はないんだろうけどなあ。悪気や悪意がない差別意識って厄介だよね…
ここの演技がわかりやすく変化していたありがたかった。




メイソン
メイソンかわいいよね。あのワーー!ってなってるところも、縋るような目も、喜びを隠しきれないところもかわいい。連れ出してもらったと思いながら、メイソンはダレンを連れ出してもいるんだよね。
わたしは「えっ、二人は惹かれあっていたんですか!?」くらい初見でぼんやり見てしまったので、次にダレンが愛おしそうにメイソンを見つめているのを目撃して「ワーーーー!」と思った。なんや…その表情…。圧倒的彼氏感。そしてメイソンの可愛さ。

ダークなところばかり見ようとしてしまうので、次はメイソンを追いかけて、ラブっぽい方面でも感想を書きたい次第。




スキッパー監督
ウィリアム・R・ダンジガー = スキッパー監督という話が英語版ガイドに載っているらしい。
その話を聞いて、ヒッ…っと息を呑んだ。
一体、次わたしはどんな気持ちで彼を観たらいいんだ…。
TMOは愛も描かれてるけれど、それぞれの背景を考えるとやっぱりすごく怖い話なのでは、と感じる。でもきっと、それがこの世の中のリアルな姿なのだろう。

ウィリアム・R・ダンジガーの手紙の「もしも自分の息子がゲイだったら…もちろん選択してそうなったら、という意味ですが」ってところに、いくら他の文でフォローしても拭えない根深い差別意識と無理解を感じた。選択してLGBTになるって考えなんだなと。
こわいよ!監督!!!!





デイビー
デイビーの四角四面な性格からなんとなく子どもの数は意図して決めたのでは?と思った。なのでクリスチャンのバース・コントロールについて少しググったんだけど、同性愛と同じくカトリックプロテスタントでサクッと「こうだ」と分けられるものでもないっぽい…?

キリスト教の中でも同性愛について認めようとする派閥もあるらしいけど「繁栄という正しきもの」から逸れた傾向ということで「同情」の対象として、との考えだったりするところもあるらしくて、いろんな考えがあるんだなあと。

TMOでもロマーレでも「悪魔」という言葉が出てくるのは、やはりキリスト教が関わる話だからなのかなあ。


spiさんのデイビーの演技好きだなあ…。
「そういう考えを持って生きてる人」って説得力がすごい。だからこわい。発言の意味や理由がわかるぶん、とてもこわい。


ちょっと気になってることがあるんですけどね、デイビー、髪の毛の後ろがピヨっとしてることないですか?わたしが見たときだけかな? ね、ね、ねぐせ!?!?こんな堅物なのにねぐせかな!?と思って動揺したんですけど、そういうセットですかね…。個人的にはかなりグッときました
かわいいやん…大人の男の人にねぐせついてるとか、かわいいしかないやん…しかもあんなかたい役なのに…。いや、セットなんだろうけどさ。
あと、踊ってるところかわいい。かたい人物かと思いきや、パジャマみたいなラフなボトムなのもかわいい。さすが脳直の感想。エモーショナル(物は言いよう)
 

はじめはダレンとのシーンを見て「おいデイビー!!!お前!!!」と思ったんだけど、あれ?もしかして彼も彼なりに葛藤が?とか思い始めると深みにはまってしまいそう。
デイビーについて、またちゃんと感想を書きたい。
こんな萌え語りじゃなくてな!!! 真面目なやつをな!!









「俺たちまた友達に戻れるかな」
「俺たち友達だったのか?」

というあたり、カラッとしてるというか、日本の話ではないなという感じがして好き。
うれしいことも悲しいこともひっくるめてそれが人生だし、また日々は続いていく…という感じがNext to normalを思い出した。海外原作のお芝居は、そういう雰囲気のものが多かったりするのかしら。



座席の関係もあると思うけど、演出も、回を重ねるとよりわかりやすくなっているように感じた。登場人物が纏う空気や感情がより伝わって来たし、エンパイアーズの団結力や阿吽の呼吸みたいなものももっと感じられた。お芝居ってナマモノだ。この舞台が1ヶ月上演されて、それを何度も観られるのがうれしい。



つぎはどんな発見があるかな。たのしみ!
 
 
 
 
「外側」の話とか「わからないものをわからないものとして理解する」話と絡めて書きたかったけど、今日は一旦ここまで。
TMO、考えること多いなー!
 
▼関連記事▼
 

自分の差別意識と折り合いをつけ「外側」に気づいた話〜TMO感想前書きとして〜

 

 

 

 


Take Me Outの感想を書こうと思っていたけれど、いま自分のTwitterのTLに多く流れている話から、これは自分のためにも独立して書いておくべき内容かもなあと思った。


今日は、わたしが自分のなかの差別意識に気づいた話と、それとどう付き合っていったのかという話をする。問題解決のための有効なプロセスが記しているわけではなくて、単純に運良くそれに気づき、今に至るまでの自分語りでしかない。だからこれが誰かのためになるかというと疑問が残る。
でも、自分が「普通の」「大多数の」人間のために作られた世の中で生きていこうとした時に感じた息苦しさや葛藤、何に差別意識があったかについては少しだけでも触れられるかと思う。

 

Take Me Outで語られる差別についてブログで感想や考察を書く、前書きみたいなものとして書き残しておく。(と言いながら、初見の感想はもう書いたけど。あとこのエントリに直接TMOの話はないです。ただ、そこから感じたことはすごく入ってる)

 

 

 

 

 

 

 

わたしは二十数年間「普通に」扱われることが少ない人生を送ってきた。

蔑まれたりこそこそと笑われたり、その逆で盲目的にちやほやされたり、何かを与える振りをして搾取対象として扱われたこともある。

誰かのゴミ箱になったりアクセサリーになったり、なんだか随分と上っ面の部分だけを良いように扱われることに諦めと憤りを感じつつ、それでも懲りずに相手に希望だったり期待だったりを持ち続けてしまうような、めんどくさいメンタリティで長い間過ごしていた。

周りの人間は皆それなりにうまくやっているように見えた。表層的な話をし、本心を喋らず、対峙する人間によって顔を使い分け、その場しのぎの内容を悪びれず口にしているように感じた。
彼らはそこから生じる矛盾に傷つき、心を痛めているようにも見えた。

なら初めからそんな面倒なことはしなければいいのにと思い、内心わたしはそれをばかにしていた。

 


わたしは幼い頃から、嘘をついてまで他人と関わろうとは思っていなかった。
相手にとっても自分にとっても、それは侮辱だと思っていた。
それが原因の一つとなってどこに行っても浮いていて、居心地の悪さを感じていた。
大多数の人間と同じように振舞えばよかったのかもしれない。
だけど、どうしてもそれができなかった。


言葉が通じる人は誰もいなかった。
嘘をついて上辺だけで他人と関わるなら、そんなものはいらないと思った。
だけど、諦めきれず手を伸ばして伸ばして、伸ばし続けた。
その度に自分はひとりきりなのだと痛感させられたとしても、
それでも心の底から誰かと繋がりたかった。



 

 


わたしは成人してから、初めてまともに他人と意思疎通ができるようになった。

それまでは同じ言語を話しているはずなのに、家族を含め言葉が通じる人間が一人としていなかった。

自分と同じだとは思えないけれど、自分と同じように他人を扱う人間がいるのか、というのを初めて知って、不思議な気持ちになった。

それを足がかりにし、少しずつ他人との会話や対話を学んだ。
言葉が通じる人間がいなかったわたしにとっての「コミュニケーション」は、長い間「自分の言いたいことをまっすぐ間違えず伝えること」だった(今思うと、相手不在のただの壁打ちだ。その頃はそもそも、自分が何を考えたり感じたりしているのかすらもわからなかった

そこから「相手が何を言っているか聞くこと」を徐々に覚えた。ほかの人より十数年遅れだ。
今では「お互いの頭の中にある手札を持ち寄って会話を楽しむ」くらいのこともできるようになった。

 
 

大人になって初めてできた友人たちは、わたしを「普通の人」として扱った。
押し付けがましさも、同情もそこにはなかった。
ただごく自然に、自分と同じように扱ってくれた。
嫌悪でも嘲笑でも、羨望でも嫉妬でも欲望の対象でもわたしはなかった。
檻の外から眺められる動物のような気持ちで相手を見なくてもよかった。
上でも下でもなく、年齢も性別も顔も名前も能力も、何も関係がなかった。

対等な立場の同じ人間として頭の中を見せて、自分の経験から考え感じたことを提示してくれた。
同じように話すわたしの考えを否定せず、そうなんだね、と彼らは頷いてくれた。

 
 

彼らはわたしを、暗い夜の底から救い出してくれた。




 
 
 




人生の途中、ある事柄でわたしはマイノリティ側の人間になった。


もともとどこに行っても対人関係に居心地の悪さを感じ安心できることなんてなかったし、良くも悪くも少数側の人間として扱われたり、逆にそれを利用して小狡く生きていたけれど、今度は紛れもなく「あちら側」「こちら側」に分かれている、そんな気がする場所に突然突き落とされてしまった(と当時は思った)

 

気持ちは複雑だった。
周りの人のおかげで今の自分があるということを忘れた訳ではなかった。
だから自分と同じ境遇の人を見て、なんでもないような顔をして理解を示した。でも、内心「うわ…」と思ったりした。
当事者なのに差別意識がなかなか消えずに何年も板挟みになった。
おかしな話だと思う。相手は自分と同じなのに。
 
周りの人が当たり前のようにやってくれたことを、わたしはできなかった。


わかったような顔をしてるのにわたしは本心ではちっともわかっていないし、「それ」と一緒にされたくないのか。
自分は「そっち側」に行きたくない。
「これは普通ではない」
「同じだと思われたくない」
 
 

初めはショックだった。
自分も差別主義者なんだという事実は、なかなかにこたえるものがあった。
認めて受け入れて折り合いをつけるのには長い時間が必要だった。
今はようやく、それを口に出して言えるまで消化できた。


 


なぜ折り合いがつけられたかというと、単純に運が良かったんだと思う。

ここ数年の間で、わたしは自分と同じ状況の友人ができ、たくさん話をした。
彼らは聡明で、わたしが悩んだり立ち止まったりした時に話を聞いてくれ、思いもよらなかった角度から物事に光を当ててくれた。
彼らは力強く、その場にとどまってなどいなかった。
事実をまっすぐに受け入れ、状況を分析し理解し、策を練り人生を切り拓いていた。
そして適度な無関心と愛情を持ち、わたしの領域を侵すことなく、ただ静かにそこにいてくれた。


わたしは自分の人生が他人によってめちゃくちゃにされ、損なわれてしまったと思ったし、自分が世の中の「普通」の人間より劣る存在になったと思っていた。
怯むことなく走り続けるような昔のあの強い自分には二度と戻れないし、それは永遠に失われたのだと思った。
 

しかし、それは間違っていた。
 
 

個を個として認識するのではなく、雑なくくりに押し込めて「◯◯はこうだ」と思い込み苦しんでいたわたしの前を、友人たちはしっかりと歩いていた。
決して他人を否定することなく、何度でも「それでいい」と肯定してくれた。
何が良いとも悪いとも断じたりせず、ただ自分が選び決めたことを淡々と進めていた。
その背中を見て、わたしは自分の思い込みの無意味さにゆっくりと気づくことができた。



他人の決めた基準などどうだっていいのだ。
そんなものは考え方ひとつで、いつだってひっくり返せる。

状態に色をつけるのは、自分や誰かだ。
自分と違う考えや能力を持つ他者が同時に存在しているだけで、
優劣さえも本当はそこにはない。

「ただ違う」それだけなんだな、と腑に落ちた。
 
 
 


強がりでもなんでもなく、わたしは失うことで、より多くのものを得られたのだと今では思う。

自分と違う誰かを見たときに、気の毒に思ったりかわいそうだと感じたりする気持ちは昔から極端に薄かったが、今では「この人はこういう人なんだな」思うだけだ。
自分から無関係な誰かに積極的に干渉しに行ったり、おかしいと糾弾したり、気味悪がったりということもない。
もちろん人間なので、例えば見慣れない容姿の人などが歩いていたら反射的にちょっとびっくりはすると思うけども。(都会にいて良いなと思うところは、人間のバラエティに富んでいるところだと思う。母数が大きい分、多様性に触れるチャンスが多い)



過去が間違ってたら、間違ってたと自覚して、正しい方向に進めるように努力したらいいだけだと思う。自分が差別意識を持ってると自覚するのはつらいと思うけど、だからと言って逃げていいわけじゃない。
 

差別はあるし、それはきっと消えない。
残念だけどそれが今の「普通の世の中」だと思う。
だけど、自分が心の中で無意識のうちに蔑んだり「かわいそう」と思っているマイノリティ側に突然なる事だってある。他人事じゃない。
それはいつだって地続きだと意識したほうがいい。例えば事故や病気で、身体や精神に障害を持つ事はある。自分に限らず、近しい人がそうなる可能性もある。
だから、少しずつでも理解しようと手を伸ばしたほうがいいと思う。拒絶をし続けていたら、きっと当事者になった時かなりきつい。


「かわいそう」と憐れむことは、それを自分とは違う異物だと見なす事だし、無意識の、悪意なき差別だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
個を個として認識するのではなく、雑なくくりに押し込めて「◯◯はこうだ」と思い込み苦しんでいたわたしの前を、友人たちはしっかりと歩いていた。
 
 
 
 
夜の底から救い出してもらったわたしは、今度は「箱」の外側に連れ出してもらったのだ。
 
 
 
そこは自由で、風通しが良い。
 
だから次は、わたしの番だ。



 
 
 
 
 
 
 
 
▼夜の底の話▼

 

▼TMO2018 初見感想▼

TMOは内側に留まる者と外側に出る者の話だと思う。
次の感想はまた今週中にでも書く。

 

 

 

推しへの「好き」の31のポイントと、気になる隣のガチ恋事情に答える

 

自分で作った質問に自分で答えます。

 

問1 推しへの好き度(10点満点)

推しはいろいろな面を見せてくれますね。
それぞれの場面で推しのことをどれくらい好きですか?

・板の上………………… 10点
・接触イベント………… 8点
・トラブル対応(板の上以外)… 3点
・仕事への意識………… 8点
SNS…………………… 8点
人間性………………… 10点
・顔、体格……………… 9点

自由記入欄)
好きです!!!特に板の上でのアクシデントにめちゃくちゃ強いところが最高にかっこいい。(でもトラブル対応は色々…色々頑張って欲しい)
 
 

問2 推しへの尊敬度(10点満点)

好きと尊敬は違います。「例えばクズな人間性が好き(尊敬はできない)」などもありうると思います。それぞれの場面で推しの尊敬度を教えてください。

・板の上………………… 9点
・接触イベント………… 6点
・トラブル対応(板の上以外)… 3点
・仕事への意識………… 8点
SNS…………………… 2点
人間性………………… 5点

自由記入欄)
演技に対する姿勢や考え方を尊敬しています。接触イベントはすごく疲れていたりするのが心配になるのでこの点数。
有名人なのでSNSの位置情報などには気をつけてください。まじで。まじで!!!
 
 

問3 推しへの気持ち(親しみ・情)(10点満点)

推しを見るとどんな気持ちになりますか? 時には我が子のように愛しい気持ちが湧いたり、兄弟のように親しみが湧いたりすると思います。それぞれ該当するものがあれば教えてください。なければ自由記入欄に項目の追加をどうぞ!

・知人レベルで見ている……………… ?点
・友人レベルで見ている……………… 4点
・肉親レベルで見ている……………… 0点
・生き別れの双子レベルに感じる…… 7点
・自分の子どものような気持ち……… 4点
・たまに会う親戚目線で見ている…… 8点
・憧れの先輩目線で見ている………… 6点
・かわいい後輩目線で見ている……… 2点
・観察対象(昆虫とか)……………… 10点

自由記入欄)
考え方が面白い、可愛い無垢な男の子!みたいな気持ちでほのぼの観てることが多い。
だから役に入ってる時に「えっかっこいい!!」「うわ、男らしい!!!!?!?」と思って動揺する。千の仮面を持つ男かよ…紅天女を演じてくれよ…
 
生き別れの双子レベルというのは、「ウワーー、言ってることめっちゃわかる!!!」と(一方的に)感じることがあるという意味です。あと観察対象。めちゃくちゃ観察したい。
 
 

問4 もしもなれるなら推しの…(10点満点)

プライベートな質問になってきましたね。回答は任意です。

・友達になりたい……………… 3点
・恋人になりたい……………… 1点
・嫁になりたい………………… 2点
・親戚になりたい……………… 8点
(自分の仕事の)先輩になってほしい……… 0点
(自分の仕事の)後輩になってほしい……… 2点
・ペットにしたい……………… ?点
・関わりたくない……………… 8点

自由記入欄)
推しのことは大好きなんですけど、関わりたくないです。心労で禿げそう。いや、実際に関わるのであればすごく素敵な人かもしれないんですけど、性格的になんかこう …めちゃくちゃ衝突するか意気投合するかの二極では、という感じがする(オタクの妄想)ので、あくまでも俳優として推したい気持ちです。ガチ恋ではないですが、わー、男の人やん!?かっこいい…と思う気持ちはあるので、恋人とか嫁にも若干点数を入れてみました。
そして書いてて思ったんだけど、ペットってなんなんだろう。
 
あ、あと、仕事の先輩後輩にはなりたくないけど、一緒に仕事をしたい気持ちはある。
自分の培ってきた能力で 推しの利益を出したい!!!みたいな気持ち…!!!!
 
 
 

問5 推しへの気持ち分布図

f:id:Bn295:20180406153513p:plain

各ゾーンを上下左右にさらに四分割しています。
16のマスから近いものを1位〜3位までお選びください。

http://tagvote.grinspace.jp/Cb01_Vote?Key=164ccd7c82f64498b4f2786798622813


開票は2018年4月13日(金)10時です。

もしよろしければ是非!!

 

 

こんなかんじです。

他の方の回答も聞きたいので、ブログのネタがなかった場合など是非!

 

と思ったけど、点数をつけるってなかなかやりづらいですね!?

 

 

あなたの「好き」の31のポイントと、気になる隣のガチ恋事情

桜が終わりつつありますね。
この季節だけ白くなった桜の木々をまぶしそうに見上げる人も好きだし、
風が吹くたびに散る花びらも、少し経ってから鮮やかに透き通った新緑が出てくるのもとても好きです。春はいいなあ。寒くないってだけで、気持ちがおおらかになります。



さて、突然ですが本題です。
推しがいる方々に聞いてみたい。


あなたは推しが好きですか?好きじゃないところはありますか?
尊敬していますか?してませんか?
親しみを感じますか?雲の上の人だと思いますか?
もしも関わることができるなら、どんな風に関わりたいですか?


というわけで、質問を考えてみました。
あなたの「好き」がどんな「好き」なのか、もし良ければ教えてください。

聞きたい!!!!!
以下、コピペ用です。画像を使っていただいても構いません。

書き足したいことがあれば自由記入欄をお使いください。 

 

 

 

問1 推しへの好き度(10点満点)

推しはいろいろな面を見せてくれますね。
それぞれの場面で推しのことをどれくらい好きですか?

f:id:Bn295:20180406152958p:plain

・板の上………………… 点
・接触イベント………… 点
・トラブル対応(板の上以外)… 点
・仕事への意識………… 点
SNS…………………… 点
人間性………………… 点
・顔、体格……………… 点
自由記入欄)

 

 

問2 推しへの尊敬度(10点満点)

好きと尊敬は違います。「例えばクズな人間性が好き(尊敬はできない)」などもありうると思います。それぞれの場面で推しの尊敬度を教えてください。

f:id:Bn295:20180406153139p:plain

・板の上………………… 点
・接触イベント………… 点
・トラブル対応(板の上以外)… 点
・仕事への意識………… 点
SNS…………………… 点
人間性………………… 点
自由記入欄)

 

 

問3 推しへの気持ち(親しみ・情)(10点満点)

推しを見るとどんな気持ちになりますか? 時には我が子のように愛しい気持ちが湧いたり、兄弟のように親しみが湧いたりすると思います。それぞれ該当するものがあれば教えてください。なければ自由記入欄に項目の追加をどうぞ! 

f:id:Bn295:20180406153245p:plain

・知人レベルで見ている……………… 点
・友人レベルで見ている……………… 点
・肉親レベルで見ている……………… 点
・生き別れの双子レベルに感じる…… 点
・自分の子どものような気持ち……… 点
・たまに会う親戚目線で見ている…… 点
・憧れの先輩目線で見ている………… 点
・かわいい後輩目線で見ている……… 点
・観察対象(昆虫とか)……………… 点
自由記入欄)

 

 

問4 もしもなれるなら推しの…(10点満点)

プライベートな質問になってきましたね。回答は任意です。

f:id:Bn295:20180406153358p:plain

・友達になりたい……………… 点
・恋人になりたい……………… 点
・嫁になりたい………………… 点
・親戚になりたい……………… 点
・(自分の仕事の)先輩になってほしい……… 点
・(自分の仕事の)後輩になってほしい……… 点
・ペットにしたい……………… 点
・関わりたくない……………… 点
自由記入欄)

 

 

問5 推しへの気持ち分布図

これが実は一番聞きたかった。

 

ところでガチ恋関連記事を読んでからこっち、すごく気になることがあります。 好きなタイプ、好きになるタイプ、付き合ってうまくいくタイプ、付き合いたいタイプ、付き合ってみたいタイプは全部違うと思うというのは前述の通りなんですが、「寝てみたいかどうか」というのも恋や愛に関係なく、独立して成立する問いだと思うんですよ。 推しを隠して語っているブロガーの方などに、ぜひその辺りを聞いてみたい。

愛にも恋にもなりきれない 〜ガチ恋アンサー〜 - 晴れた日のねどこ

 
もともとはガチ恋向けの質問でした*1。あなたの好きはどんな好きですか?
精神的な好きなのでしょうか。肉体的な好きなのでしょうか。

「付き合いたい!」がふわふわしたお付き合いなのか否か。
「ガチ恋じゃないけど機会があれば是非一度」という人もいるのではないか。
あまりそういう目では見ないな…という方もいると思います。
こっそり教えてください。(こっそりじゃなくてもいいです) 

 

f:id:Bn295:20180406153513p:plain

文字が見づらくて申し訳ない…横軸が精神/肉体、縦軸が恋愛感情のあるなしです


便宜的に

  • A純愛ゾーン
  • B大人ゾーン
  • C友達ゾーン
  • Dセフレゾーン

と名付けました。

さすがにこれは本音が言いづらい方も多いかと思うので、
無記名投票フォームを用意しました。
各ゾーンを上下左右にさらに四分割しています。
16のマスから近いものを1位〜3位までお選びください。

http://tagvote.grinspace.jp/Cb01_Vote?Key=164ccd7c82f64498b4f2786798622813


開票は2018年4月13日(金)10時です。

もしよろしければ是非!!

*1:余談ですがもともと記事タイトルを「ガチ恋☆グラデーション」にしようと思ってました。ちなみにきらりん☆レボリューションは見たことがありません