ままならなさを抱えて生きる私たち〜ミュージカルVIOLET 2024感想〜
ストーリー
1964年、アメリカ南部の片田舎。
幼い頃、父親による不慮の事故で顔に大きな傷を負ったヴァイオレットは、
25歳の今まで人目を避けて暮らしていた。
しかし今日、彼女は決意の表情でバス停にいる。
あらゆる傷を癒す奇跡のテレビ伝道師に会う為、西へ1500キロ、人生初の旅に出るのだ。
長距離バスに揺られながら、ヴァイオレットは様々な人と多様な価値観に出会い、
少しずつ変化していく。長い旅の先に彼女が辿り着いたのは―。
引用:公式サイトより
ミュージカルVIOLET日本初演は、2020年に東京芸術劇場プレイハウスにて上演された。
当初予定されていた日程では公演が叶わず、2020年秋に、3日間5公演しか上演されなかった。
まだコロナとの付き合い方がわからない時分での上演だったこともあり、演者や関係者だけではなく、劇場に足を運んだ観客たちもある意味必死だったのだと思う。
並々ならぬ思い、覚悟で迎えた千秋楽。カーテンコールの鳴り止まない拍手は、今でも心に残っている。
どうかこの気持ちがステージの上の演者に届きますように。いつか挫けそうになったとき、この万雷の拍手を、劇場での光景を、あなたが思い出しますように。
あんなにも祈りと願いを込めて必死に拍手をしたのは、奇跡のような公演だったからだ。
VIOLET待ってた!!!!!!なきそう。
— かんそうぶん (@KansouBn) 2023年7月14日
VIOLET再演の一報を目にした時、たとえ推しが出なくてもこれは絶対に観に行くとX(旧Twitter)でつぶやいたのを覚えている。
東京公演は、東京芸術劇場で4月7日から4月21日まで行われた。例年より遅い桜の開花から散るまでを、この公演と共に過ごせてうれしかった。
ヴァイオレット役は三浦透子さんと屋比久知奈さんのWキャスト。
個人的にびっくりしたのが、バスで出会う2人の兵士が、今回は東啓介さん、立石俊樹さんだったこと。初演では吉原光夫さん、成河さんが演じたこの役を、若手俳優と呼ばれるこのふたりが今回どう演じるのか…と気になっていた。
彼らの演じた役にも触れつつ、感想を書きたいと思う。
- 黒人差別について
- 父との邂逅で成長をするヴァイオレットと、恋により救われるヴァイオレット
- 遊び人だがある意味誠実なモンティ
- はじめから「心で見ていた」フリック
- 父親とヤングヴァイオレット
- 父との邂逅
- 不器用な父親
- 望んだ奇跡が起きなくても
- ままならなさを抱えて生きるわたしたち
- その他いろいろ
黒人差別について
VIOLETの舞台である1964年は、黒人差別が顕著な時代だ。前年に公民権法が成立し、法律上は人種差別が撤廃されたものの、まだ根強く差別が残る時代。
舞台冒頭のシーンは初演と違い、映像と3人の黒人役の演技により、差別問題がわかりやすくなるような演出がなされていた。
ヴァイオレットが乗り込んだバスには黒人女性ふたりと、東さん演じる黒人兵士フリックが乗っていた。
バスに乗り込んだ老婦人は、フリックを見てなるべく離れた席に移動をする。
バスの休憩時間、黒人の3人は、それぞれ売店で食べ物や飲み物を買おうとするが、ウェイターの男から露骨な差別を受ける。
現代の日本で生きるわたしたちには、このウェイターの男がいけすかない奴に見える。けれど、この時代ではこれが多数派なんだと思わせるのが、彼が白人の運転手とはにこやかに談笑しているシーンだ。
人には色々な面がある。
このシーンは当時の差別に思いを馳せるきっかけにもなった。
父との邂逅で成長をするヴァイオレットと、恋により救われるヴァイオレット
屋比久さんはみずみずしさが詰まったフルーツみたいで、伝道師さまに会えるのがうれしくてたまらないという感じ。
— かんそうぶん (@KansouBn) 2024年4月14日
三浦さんは少し影があって、はすっぱな感じ。だけど伝道師さまに対して静かに情熱を燃やしているのが伝わってくる。#VIOLETここが好き
三浦さんと屋比久さんのヴァイオレットの差はとても印象的だった。
特に、東さん演じる黒人兵士のフリック、立石さん演じる白人兵士のモンティが一緒に舞台上にいる場面では、上手下手の立ち位置が両ヴァイオレットによって正反対のシーンがいくつかあった。
記者発表で演出の藤田さんがおっしゃっていたように、全く印象の違うヴァイオレットだった。
劇中、ヴァイオレットは5年前に亡くなった父と会話をするシーンがあるのだが、三浦ヴァイオレットは父の愛、そしてフリックとの出会いで、自分の周りに作っていた壁を壊したように見えた。
一方屋比久ヴァイオレットは、父との邂逅で彼とのわだかまりを克服したのはもちろんなのだけれど、フリックとの恋のウエイトが大きいように見えた。
オンステージシートから見た屋比久さんと東さんの、きらきらと光る目が今でも忘れられない。フリックとヴァイオレットの恋する瞳、熱を感じるまなざしがすごく伝わってきた…。
二人のヴァイオレットの違いは結構顕著で、フリックは屋比久ヴァイオレットを後ろから抱きしめるシーンがあったけれど、三浦ヴァイオレットはフリックとの物理的な接触があまりなかった。
初演の時も思ったけど、フリックに惹かれる気持ちがあるけれど、扉を開けて踏み出したのがモンティと一夜を過ごすことというのが、ちょっとはすっぱにも見えるんだよな。優河さんと三浦さんのヴァイオレットだとそう感じて、唯月さんと屋比久さんだとあまりそう感じなかった。
— かんそうぶん (@KansouBn) 2024年4月21日
これも初演でも感じたことだけど、ヴァイオレット役はベクトルが違う俳優を意図的に起用しているように思える。このWキャスト(そしてヤングヴァイオレットのトリプルキャスト)だからこそ、同じタイトルで違う印象の話になるんだろうなと感じた。
遊び人だがある意味誠実なモンティ
立石さんのモンティ、きれいな顔立ちで忘れそうになるけど、すごい下衆なことを言ってたり、さらっと「(ヴァイオレットが傷ついた時)俺はそばにいないから」と言ってたりするのでひどいよなあ。
— かんそうぶん (@KansouBn) 2024年4月21日
このモンティは顔の良さで免責されていた部分が大きそう。
「この前のメンフィス」では二杯だけで裸になった女がおり、二人目とも暴れたと言い、バーでの約束がわかる女が好きだとヴァイオレットに悪びれず言う(メンフィス(Last Time I Came to Memphis)より)モンティ、ある種の誠実さがある。クズではあるけれど、ちゃんと自己申告しているあたりが…
モンティは遊び人だし下衆で女関係は駄目だけれど、いい奴ではある。
連絡を取り合うことのない「はとこ」より、(バスでの旅で一緒にすごした)俺らの方がもう仲がいいだろとさらっとヴァイオレットに言うところや、フリックが差別的な言動を受けた際、ウェイターに噛み付くところとか。
しかし、劇中でフリックが(黒人だから)上の階級にはなれないというシーンがあるのだけれど、それを知ってるはずなのに「最高の兵士しかベトナムには行けない」とぽろっと言うあたりなどは、本当にひどい。
モンティのピュアで悪気がないところはすごくリアルだと感じた。
いい奴だが、どうしようもない部分もある。そして世渡りがうまいモンティに、フリックは複雑な感情を抱く時も多かったのかもなと思う。
はじめから「心で見ていた」フリック
ヴァイオレットの傷を見ても動じず、「まるで他にもっと酷いものをたくさん見てきた」ような様子を指し、彼女から「あんたのそういうところが好き」と言われるフリック。
ヴァイオレットが一歩を踏み出せるよう「足を踏み出せ、前に進もう」と背中を押した彼だけれど、ヴァイオレットとモンティが一夜を共にした時の怒りがすごかった。
まあそうだよな…ちょっと気になってる女性の背中を押したら、その相手が同じ兵士であるモンティと関係を持ち、さらに翌朝バスの中でじゃれあってる姿を見たら、そりゃ穏やかではいられないよね…一夜を共にしたふたりの周りに流れる空気、親しい人との間に流れるちょっと雑だけど親密な空気がすごく伝わってきたし…
しかもフリックは初めからヴァイオレットの傷ではなく、中身を見ていた。
それは怒っている時さえも同じ。
モンティと一夜を過ごしたヴァイオレットにいらだちをぶつけるフリックだけれど、そのシーンでもなお「お前はどこにでもいるただの女だ」と、傷痕を気にせず、ただまっすぐ、心で彼女を見て接している部分にグッとくるよね…#VIOLETここが好き
— かんそうぶん (@KansouBn) 2024年4月21日
だからこそ、いい奴ではあるけど軽薄で薄情な部分があるモンティに先を越され、「特別じゃない、どこにでもいるただの女」の彼女に怒りが込み上げたのだろう。
ソロナンバーである「歌え(Let It Sing)」ではポジティブな感情を歌い上げ、「さよなら(Hard to say Goodbye)」で感情を爆発させる姿に、ヴァイオレットへの気持ちが溢れていた。
父親とヤングヴァイオレット
劇中には幼い頃のヴァイオレットが出て来るシーンがある。ヤングヴァイオレットの年齢は13歳。しかし演じている3人の子役の年齢は約10歳。
役の年齢より幼い子どもがキャスティングされているのは、意図があってのことだと思う。というのは、ヤングヴァイオレットと父親の関係を見て感じたことだ。
ヤングヴァイオレットが算数のテストを捨てたシーンでは、父親は彼女を膝に乗せて語りかける。またあるシーンでは、父親の足の甲にヤングヴァイオレットが乗り、ダンスをする。
13歳は、もうティーンエイジャーと呼べる年齢だ。けれど父は幼い子をあやすように、父は彼女を膝に乗せて話をしている。だけどそのすぐ後に「(男と接する時に)いつか必ず必要になる」と言ってポーカーを教えるのが、愛と不器用さと悲しさを感じる。
父との邂逅
先に述べたように、この父娘はどこかしら違和感がある関係だと思う。
娘は、父がわざと事故を起こしたのだろうと糾弾する。曰く、娘が自分から離れていかないように、娘が誰からも相手にされないように、顔に傷をつけたのだろうと。
なんだかそれは、スプルースパインという土地に、父によって囚われてしまったという叫びのようにも聞こえる。
事実、ヴァイオレットがテレビ伝導師に会いに行こうとしたのは、父が亡くなってからだ。
「それぐらいしか(That’s What I Could Do)」という父親のソロナンバーがある。
毎朝起こしたこと。小遣いをやって映画を見せたこと。自分より強く育て上げたこと。ヴァイオレットにしてあげたことはそれくらいしかない、という歌詞の曲だ。
ヴァイオレットは父への思いの丈を吐き出し、父の気持ちを聞いたことで、「パパを祝福してあげたい」「(この傷は、そしておそらく自分の送ってきた人生も)パパからの贈り物」だと思うことができた。
父親がヴァイオレットを抱き、泣きながら頭にやさしく3回キスをしている回を観た時は、涙腺が緩んでしまった。
二人のヴァイオレットとの温度感、そして不器用さと包容力を持ってこの役を演じられるのはspiさんだけだな…と観るたびに思った。
「パパ、私を見たときに何が見える?」というヴァイオレットの問いに、父親は「いつまでも眠れそうだよ」と答える。それは娘が自分を肯定した姿で生きていれば、ずっと眠れそう(なくらいに安心できる)という言葉なんだろうな…
不器用な父親
腕っぷしの強さで家族を支えてきたであろう父親は、妻の死後、きっとどうヴァイオレットに接したらいいのかわからなかったんだと思う。
だから幼い子どもの延長のように、ヤングヴァイオレットに接する。
だから大人相手に勝負するように、ヤングヴァイオレットにポーカーを教える。15歳からは酒も一緒に。
「それぐらいしか」できない父親だけれど、そこには愛があった。けれどどうしようもなく不器用だし、他者と接するための方法がポーカーというのが、彼自身の取れる手段の少なさを表しており、切なくもなる。
山奥で、娘とふたりきりの暮らし。暖炉の前で繰り返されるポーカーと酒。閉塞感。ヴァイオレットに向けられる視線。暴言。
ふたりはどんな気持ちで暮らしていたんだろうか。
父親は、「いつか(男と接する時に)絶対に必要になる」とポーカーをはじめて教える時に口にする。
ヴァイオレットの顔に傷痕があったとしても、そんなことは関係なく、心を見て接してくれる男性とこの先出会えると思っている。それは愛であり祈りだったのかもしれない。
望んだ奇跡が起きなくても
テレビ伝道師が起こす癒しの力で顔をきれいにしたかったヴァイオレット。しかし、テレビ伝道師からは「君の傷はもう癒えている。君はその傷とうまく向き合っていかなければならない」と告げられる。
このテレビ伝道師、胡散臭い人間なのかと思いきや、ものすごく真っ当でびっくりした。
自分の扱いを「癒しのジュークボックス」だと言い、トラックの荷台で始めた、当時の伝導について想いを馳せる。
パフォーマンスは原田優一さんなのでメチャクチャに面白いのですが(笑)、この人も業を抱えて生きているのだ…という描写が伝道師様にもあったので、ヴァイオレットに告げる言葉のリアリティが増していたと思う。
ままならなさを抱えて生きるわたしたち
私たちは毎日些細なことで傷ついている。 打ちのめされ、疲弊し、心はささくれ立っている。 だけどその傷をなかったことにする人は多い。 認めれば本当に傷ついてしまう。惨めになってしまう。弱い自分を自覚せざるを得なくなる。 だから目を背ける。自分の心を守るために、大したことないと笑い、傷つけた相手を悪く言う。そうやってやり過ごす。
STAY WITH ME の伏線 〜spiファンミーティング0910〜 - 晴れた日のねどこ
VIOLETに出てくる人々は、ままならなさを抱えて生きている。マイ・ウェイ(On My Way)で語られる、人種差別、親戚との不和など、さまざまな境遇。
伝道師の言葉はヴァイオレットだけではなく、今を生きる人全てに当てはまるものでもあると思う。
わたしたちは皆、傷を抱えている。
望んだ奇跡が起きなくても、ままならないことばかりでも、毎日は続く。
自分の傷と向き合い、それとうまく付き合っていかなければならない。
だからわたしたちは、誰かと関わり、時にはぶつかり、足を前に踏み出して生きていくしかない。
たとえ望んだものが与えられなかったとしても、奇跡は自分の力で起こすことができるし、踏み出した足でより良い未来に進むことができる。
VIOLETはそのことを教えてくれる舞台だったと思う。
その他いろいろ
オンステージシート
近すぎる距離から見られる俳優の姿、強い照明、通常では見られないアングルから観ることが出来た舞台など、非常に良い体験になった。
VIOLET初演は当初、舞台の四方を客席で囲むプランだったのだけれど、少しそれに近しい体験できたような気持ちにもなった。
「マイ・ウェイ」では通常の座席からだと観られない奥の方のキャストも観られて、舞台への解像度が上がった気がする。
ゴスペル隊に扮する森山大輔さんや谷口ゆうなさんがニッコニコでオンステージシートに座る我々に構ってくれて、テンションが上がりました(笑)
脇を固める演技派の俳優陣
Saraさんのパワフルな歌声と笑顔!めちゃくちゃ素敵だったー!
意を決して売店で飲み物を買い、一息で飲み干す演技の繊細さよ…
それを優しく見つめる谷口ゆうなさんの安定感。歌う姿も、宿の女主人として振る舞う姿も存在感がすごかった。
森山大輔さんはリロイの時とゴスペル隊の時の差がすごい。
若林星弥さんのウェイターには「本当にこんな感じの人がたくさんいたんだろうな」と思わせられた。
樹里咲穂さんのおしゃべりでおせっかいな老婦人もリアリティがあった。そして着替えるスピードが早い…大変そう…と毎回思っていた。
舞台を楽しむために
おそらく奥さんに連れられてきた男性が、原田さんのパフォーマンスにめちゃくちゃ笑うし指笛を吹くしで、すごく楽しんでいた。(その後「ピーとかいらないんだよ」と伝道師様にいじられていた…笑)
ミュージカルはこれくらいの気持ちのほうが楽しめるのかもな…と改めて思った。
パパとのダンス
パパの足の甲の上にバイオレットが乗って、2人でダンスするのを見ると、自分が父と同じことをしていたのを思い出した(ダンスではなく移動するだけだけど)。
実家ではしんどいことも色々あったのだけれど、わたしもバイオレットと同じように、父から愛されていたのかもしれない…とVIOLETを観ていて感じた。すごく自然に。
この舞台が始まる前、身内の不幸でものすごく久しぶりに帰省をしたのだけれど、意地を張って帰らなかったことを後悔する時が来るのかもしれないと思った。
折り合いをつけるのはなかなか難しいけれど、これからはせめて、もう少し顔を見せに帰ろうかと、加齢により背が縮んだ両親の姿を見て思った。
自分は推しや舞台から色々なことを学ばせてもらっていると感じる。ありがたい。
ミュージカルとわたし
わたしは耳があまり良くなくて、歌の歌詞を聞き取ることが難しいから、同じ演目を何回か観ることが多い。
— かんそうぶん (@KansouBn) 2024年4月21日
大事なことを歌に乗せるミュージカルと相性が良くないのだけれど、歌詞がわかった時に、世界が広がって目の前が開けたように感じる。
本当にヒアリングがだめで、4回目くらいでやっと歌詞が少しわかる感じのスペック。ほかの人は一発で聞き取ってるのかな、わたしはコスパが悪いな…と毎度思っている。
だからパンフに歌詞が載っているととてもありがたい…再再演があったらぜひお願いします…!
あと、CDが欲しいです!!!!!
開演前のホワイエで友人とスパークリングワインを飲んだり、終演後にごはんを食べに行ったり、マチソワ間でパフェを食べたり。コラボメニューを出しているカフェで、ドリンクを飲んだりもした。
コロナ禍の初演時にはできなかったことがたくさんできて、そういえば観劇って、こういうことも含めての「体験」だったな…と、遅ばせながら思い出した。
ヴァイオレット達の旅は、残すところ福岡と宮城です。
わたしも次の「乗車」を楽しみにしつつ、この辺りでペンを置きたいと思います。
大千穐楽まで無事に走り抜けられますように。
感想をいただけるとうれしいです。
回答スタンスは「丁寧なものには丁寧に、無礼なものにはそれ相応に」
▼spiさん関連
今回の舞台とちょっと繋がるところがあるかも。