晴れた日のねどこ

答えの出ないことばかり考えている

Take me out 考察。シェーン、キッピー、ダレン(までやって力尽きた)

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 ▼初見感想はこちら▼


 

初見の印象は「こわい」だった。登場人物の行動や心理がわからない部分が多くて。
その後見たときは愛や絆の部分がわかりやすく増してるように感じ、救いがあった。
そして頭のなかで登場人物の行動の理由などを毎日ぐるぐる考えて、それぞれの輪郭が薄ぼんやりと見えてきた気がする。

メイソンの言う悲劇がどういうことか初めはわからなかったけど、やっぱりこれは悲劇だ。



楽園という箱庭を失ってなお、そこに留まろうとした者と、そこから外に出た者。
ある部分では他者から虐げられる者が、無自覚に他者を排斥すること。
得られたものも大きいけど、失ったものも多く、失われた「楽園」には皆もう二度と戻れない。
それが良いことか否かは、きっとそれぞれの登場人物によって違うのだと思う。

 

※今回はがっつりネタバレしてます※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





シェーン

シェーンの異常な潔癖症は自分の排泄物まみれで発見されたという出自のせいもあると思う。

けれどゲイについての差別意識や、ダレンに沐浴について触れられたシーンの態度から考えると性的虐待を受けていた(ないしは同性にレイプされた経験がある)可能性もあるのでは?と思って、アメリカの当時の事情を調べてるけどなかなかない。


アメリカで起きる虐待の中で一番大きな割合を占めるのは、里親からのものだそうだ。シェーンはすぐに施設に返されたと言っていたので、その辺りは不明。ただ、転々としていたということなので、なんども別の里親に引き取られては戻された可能性も考えられるかもしれない。

施設での虐待というと、カトリック神父の小児性愛についての話が思い浮かぶけど、多分シェーンはキリスト教系の施設には入居してなかったんじゃないかなあ。宗教が母体になってる施設なら、信仰についての話もおそらくあると思うので。



●有色人種への差別意識

テレビインタビューのシーンでは「黒いのや黄色いのやサンバ踊ってるような奴がいるから気にならない」という、違いを受容しているような発言を彼はしている。これは自分と同じく、全員が野球をするという目的の下で動いているため違いが気にならないという意味かなと思う。

まともな教育を受けられなかったであろう彼は、自分が何を考えているのかを表す言葉を知らず、喋ること、書くことに若干のハンデがある。つまり他人との意思疎通に問題が生じていたはずだ。
だが、野球という世界では彼は唯一自由になれた。他者と共通の言語を使えた。そこでは人種は関係ない。それぞれが自分の役割を果たし、勝つことが目的だ。


つまり、人種や言語は関係ない。
彼は「黒いのや黄色いのやサンバ踊ってそうな奴」…言葉以外でコミュニケーションを取る人間が自分以外にもいることで、ハンデを感じずにいられた。つまり、救われていたんじゃないのか。

ただ、これはあくまでもマウンドやロッカールームという、野球の下に成立していた楽園のなかでの話。そこを出れば、彼は無知・無教養から人種差別主義者になる。
有色人種だと言われれば激昂するし、他者を「白人じゃない奴」「お前は半分人間じゃない」などという言葉を叫ぶ。
このシーンの、2/5は人間じゃない、どんな本にでも書いてある、つまりお前は半分人間じゃない!というような台詞、かなりきつい。
簡単な読み書きすら困難な彼が言う「どんな本にでも書いてある」という台詞。
自分の考えではなく、他者の考えを「正しいもの」の証明として振りかざすこと。
これこそが彼の未発達さ、からっぽさの象徴という感じだ。

おそらくシェーンは、野球の下に成立していた楽園では有色人種を受容し、楽園の外では否定している。その矛盾に気づいていない。これがまず、ひとつの悲劇だと思う。



●シェーンの抱える「からっぽ」さ
「俺にとって世の中は、知らないことがいいことの方が多い」
「それはお前が馬鹿だからだ」
シェーンとダレンのこのやりとりは印象的だと思う。

「誰もが羨む中産階級(ところで中産階級が「誰もが羨む」ものだというのがわからなかった…そうなの?)」で「(有色人種でありながら)白人にペコペコしないでいい」「神がかって」おり、自分に自信がある(ように見える)ダレンは、十分な教育を受けていたことが予想される。

一定水準以上の人間には、知識は有益なものになる。
だがそれに満たない人間には、自分自身の居場所や現実を突きつけられる毒のようなものかと思う。


「シェーン、お前はそんなことを考えてない」
「そうなのか?教えてくれキッピー」


自らを語る言葉を持たず、粗末に扱われてきたであろうシェーン。「自分に話しかけてくれたから」お前は友人だとキッピーを評するシェーン。彼は、恐ろしいほどからっぽだ。

キッピーは「自分はシェーンを理解できる」との傲慢さから彼に声をかける。「お前はそんなことを考えていない」、これも「シェーンを理解できている」という前提からの言葉だ。
キッピーは、実は少しもシェーンを理解していない。
言葉で全てを明らかにし、言葉によって世界を説明し理解できると思い込むキッピーには、その外側の世界にいる「言葉を持たざるもの」であるシェーンのことを理解できない。二人はすれ違っている。

「からっぽ」のシェーンはキッピーの傲慢さを見抜けない。それを優しさだと思う。
「からっぽ」のシェーンは、自分が何を考えているかがわからない。だからキッピーの言葉を自分の本心だと思う。

シェーンは、憎むべきダレンの言葉さえ受け入れてしまう。「からっぽ」だから。


「死ね」


ダレンがデイビーに放った言葉、シェーンはそれをそのまま実行する。自分が自由になれる「野球」という世界で、クローザーとして。
カワバタが言っていたように、シェーンにとってもきっと「負けることは死ぬこと」だ。
だからシェーンはデイビーを「殺した」
結果的にそれは、野球の試合という閉じた世界を飛び越えて、デイビーの命そのものを奪ってしまった。


痛々しいくらいに剥き出しのシェーンの姿や叫び、それを理解できると思ったキッピーの傲慢さ。
自らを語る言葉も、他者を理解する言葉も持たず、ある意味で子どものように無垢に、野球だけに生きるシェーンに、デイビーへの言葉を聞かれてしまったこと。
これもまた悲劇だ。



少し引っかかってる部分が少し。
キッピーとダレンが面会に来た場面での「白人じゃない奴が一人いなくなっただけだ」という台詞。あれはデイビーについて指していると思うのだけど、デイビーは有色人種ではないのでは…?
そこで混乱した。誰か教えて欲しい…






キッピー

繰り返し彼について考えるうちに、自分のなかのキッピー像というのが少し変わってきた。

 引用失礼します


キッピーは頭が良く、スウェーデン系だからなのか性的マイノリティに関しても理解があり、「チームの中で」ダレンの一番の友人だ。
エンパイアーズの他のメンバーと同じく、野球を愛し、おそらく勝つことへの意欲も強い。

今私が考えているキッピーの手紙代筆の理由はこんな感じだ

  1. 負け始めたエンパイアーズをまた勝たせるため
  2. チームメイトのシェーンへの嫌悪感の緩和
  3. シェーンを理解できているという傲慢さ
  4. ダレンへの好意



1〜3は初見でも感じていたんだけど、4は物語を反芻していて思い至った。


キッピーは、物分かりがいい大人なんかじゃないのかもしれない。
意外とこどもっぽいところがある人間なのでは?


はじめ、わたしはキッピーのダレンへの謝罪の意味がよくわからなかった。
シェーンの手紙を書いたことではなくて「自分がデイビーをあまり好きではなかったこと」を謝罪するというのが、今ひとつピンとこなかった。

→すみませんこのシーンではまだ手紙の話は出てなかった。(4/13訂正)

でもこれ、彼の行動原理を考えるときに重要な部分なのでは?
キッピーはダレンの理解者でいようとしたけれど、もしかして彼を理解できていなかったのかもしれない。


  • ダレンのようなスーパースターがすべての選手をチェックしてると思うか?という冗談めかした太鼓持ち的な発言
  • 5ツールプレイヤー、更に彼にしかない6つ目の要素〜という「主観的な」賛美のナレーション
  • 神がかっていたダレンよりも、人間らしい今のダレンが好きだという発言(=自分に理解できる存在にダレンが近づいたということ)
  • 自分はチームでの親友、デイビーは本当の親友というような発言
  • デイビーに嫉妬していたという発言
  • 俺たち友達に戻れるか?というラストの発言


もしかすると彼は、羨望の気持ちを隠してダレンと接していたんじゃないか。



ロッカールームでのダレンとの軽妙なやりとりは、なんだか気の合う男子学生のそれみたいだと感じた。
そして試合の場面。音楽に合わせてダンスをするシーンで、キッピーはメイソンの 尻をいたずらっぽい顔をしながらグローブでつついていた。


俺はお前の理解者だ、そんな顔をしながらキッピーはダレンと接しつつも、本当のところは彼を同じ地平に立つ対等な人間だとは思ってなかったのかもしれない。デイビーとダレン、天才二人の関係に嫉妬し、羨んでいたのかもしれない。

キッピーは、チームの低迷した士気を立て直すために手紙を代筆した。ダレンのことを考えるなら、それは奇妙な行為のようにも見える。けれど、「皆が野球を愛し、勝ちたいと思う」のが正しい集団で、彼はきっと「上手くやれる」と思い、それを実行した。そして、ダレンが孤立することもそれで防ごうとしたんじゃないかと思う。

彼が今まで積み上げてきた上手く立ち振る舞える技能、これもまた悲劇の一端を担っていたんじゃないかと思う。




ダレン
この人は本当に自信満々な人なのか?と思ったこともあったけど、今では考えが元に戻った。
ダレンは虚勢を張り、自らを強く見せようと振る舞う人物だと思う。

ダレンは不安を抱えている。ゲイであることがある種彼の負い目になっていたんじゃないかと思う。それはデイビーの発言に対し「本当のことを言っても自分を受け入れてくれるか」と問いかけた部分からも見て取れる。


きっとダレンは愛とか恋じゃなく、ただデイビーが好きだったんだと思う。
キッピーがダレンに憧れていたように。
自分と同じように野球の才能があり、何事にも動じず、物事を冷静に分析できるデイビー。

そんなデイビーに「俺は妻と子どもがいる。その点で、男として優れている」「お前のことがよくわからない」と言われるダレン。

ダレンは友達も知り合いもあまりいないと後半、メイソンに語っている。
それはおそらく真実で、彼は心を開いて他者とコミュニケーションを取っておらず、そのため「友人」と呼べる存在がいなかったんだと思う。


誰が見ても二人は親友だ。
ダレン自身も、それが事実だと信じたかった。
だからカミングアウトした。


デイビーも、彼なりにダレンが大事だし、好きだったはずだ。
でなければ、あれほどまでに怒る必要がない。
ダレンもデイビーもきっとお互いを信じたかった。
ダレンはデイビーの言葉を聞き、自分自身をさらけ出すことを選んだ。デイビーが受け入れてくれると信じて。
そしてデイビーはそれを受け入れられなかった。
敬虔なクリスチャンである彼は、戒律というの下に彼を糾弾した。


ダレンはデイビーに幻想を抱いていたんだと思う。
強く、物事に動じることのない、優秀な人間だというような。
しかしそれは、信仰によって守られた箱庭のなかでしか成立しなかった。

ボタンをかけ違ったまま進んだ8年という時間は、お互いにとって長すぎた。


デイビーは箱庭から出ることを拒んだ。
「楽園」を壊したのはお前だ、自分は裏切られたと叫んだ。


セクシャルマイノリティや信仰云々を抜きにしても、心を開いていない人間に対し、相手が無条件に自分を受け入れてくれるなんていうのは残念ながら都合のいい幻想だ。
(だからと言ってデイビーの行動を許容していいわけではない)



けれど、この話の登場人物全てが悲劇の担い手になっているわけではない。
自分と相手との価値観の違いをこえて、ダレンを「外」に連れ出した人間がいる。


メイソンだ。



 

 

 

 



…ってここまで書いたんですけど、めっちゃ長いな!思ったので次回に回します。
以下、ふんわりした脳直の感想。





ジェイソン
ジェイソンはゲイフレンドリーに見えて、心の底では偏見がある。
それはダレンがジェイソンにハグした時の彼の表情からも明らか。

「うわあ…」って顔してるよね。悪気はないんだろうけどなあ。悪気や悪意がない差別意識って厄介だよね…
ここの演技がわかりやすく変化していたありがたかった。




メイソン
メイソンかわいいよね。あのワーー!ってなってるところも、縋るような目も、喜びを隠しきれないところもかわいい。連れ出してもらったと思いながら、メイソンはダレンを連れ出してもいるんだよね。
わたしは「えっ、二人は惹かれあっていたんですか!?」くらい初見でぼんやり見てしまったので、次にダレンが愛おしそうにメイソンを見つめているのを目撃して「ワーーーー!」と思った。なんや…その表情…。圧倒的彼氏感。そしてメイソンの可愛さ。

ダークなところばかり見ようとしてしまうので、次はメイソンを追いかけて、ラブっぽい方面でも感想を書きたい次第。




スキッパー監督
ウィリアム・R・ダンジガー = スキッパー監督という話が英語版ガイドに載っているらしい。
その話を聞いて、ヒッ…っと息を呑んだ。
一体、次わたしはどんな気持ちで彼を観たらいいんだ…。
TMOは愛も描かれてるけれど、それぞれの背景を考えるとやっぱりすごく怖い話なのでは、と感じる。でもきっと、それがこの世の中のリアルな姿なのだろう。

ウィリアム・R・ダンジガーの手紙の「もしも自分の息子がゲイだったら…もちろん選択してそうなったら、という意味ですが」ってところに、いくら他の文でフォローしても拭えない根深い差別意識と無理解を感じた。選択してLGBTになるって考えなんだなと。
こわいよ!監督!!!!





デイビー
デイビーの四角四面な性格からなんとなく子どもの数は意図して決めたのでは?と思った。なのでクリスチャンのバース・コントロールについて少しググったんだけど、同性愛と同じくカトリックプロテスタントでサクッと「こうだ」と分けられるものでもないっぽい…?

キリスト教の中でも同性愛について認めようとする派閥もあるらしいけど「繁栄という正しきもの」から逸れた傾向ということで「同情」の対象として、との考えだったりするところもあるらしくて、いろんな考えがあるんだなあと。

TMOでもロマーレでも「悪魔」という言葉が出てくるのは、やはりキリスト教が関わる話だからなのかなあ。


spiさんのデイビーの演技好きだなあ…。
「そういう考えを持って生きてる人」って説得力がすごい。だからこわい。発言の意味や理由がわかるぶん、とてもこわい。


ちょっと気になってることがあるんですけどね、デイビー、髪の毛の後ろがピヨっとしてることないですか?わたしが見たときだけかな? ね、ね、ねぐせ!?!?こんな堅物なのにねぐせかな!?と思って動揺したんですけど、そういうセットですかね…。個人的にはかなりグッときました
かわいいやん…大人の男の人にねぐせついてるとか、かわいいしかないやん…しかもあんなかたい役なのに…。いや、セットなんだろうけどさ。
あと、踊ってるところかわいい。かたい人物かと思いきや、パジャマみたいなラフなボトムなのもかわいい。さすが脳直の感想。エモーショナル(物は言いよう)
 

はじめはダレンとのシーンを見て「おいデイビー!!!お前!!!」と思ったんだけど、あれ?もしかして彼も彼なりに葛藤が?とか思い始めると深みにはまってしまいそう。
デイビーについて、またちゃんと感想を書きたい。
こんな萌え語りじゃなくてな!!! 真面目なやつをな!!









「俺たちまた友達に戻れるかな」
「俺たち友達だったのか?」

というあたり、カラッとしてるというか、日本の話ではないなという感じがして好き。
うれしいことも悲しいこともひっくるめてそれが人生だし、また日々は続いていく…という感じがNext to normalを思い出した。海外原作のお芝居は、そういう雰囲気のものが多かったりするのかしら。



座席の関係もあると思うけど、演出も、回を重ねるとよりわかりやすくなっているように感じた。登場人物が纏う空気や感情がより伝わって来たし、エンパイアーズの団結力や阿吽の呼吸みたいなものももっと感じられた。お芝居ってナマモノだ。この舞台が1ヶ月上演されて、それを何度も観られるのがうれしい。



つぎはどんな発見があるかな。たのしみ!
 
 
 
 
「外側」の話とか「わからないものをわからないものとして理解する」話と絡めて書きたかったけど、今日は一旦ここまで。
TMO、考えること多いなー!
 
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