晴れた日のねどこ

答えの出ないことばかり考えている

自分の見る世界は“normal”か 〜他者を愛し愛されたいと願う物語〜TENTHネクスト・トゥ・ノーマル感想

N2N ネクストトゥノーマル感想 晴れた日のねどこ

 


2019年1月10日、TENTH 1週目、ネクスト・トゥ・ノーマル(Next To Normal、以下N2N)を観に行きました。

 

 


普通とは何なのかとか、それに付随する問題として精神疾患発達障害、「常識」についてはよく考えるテーマなので「どんな話なんだろうなー、パンを床に敷き詰める?奇行に振り回される家族の話なのかな…」とぼんやりした気持ちで観に行ったのですが、予想を大きく裏切られました。
最高だった。
あまりにも衝撃が大きすぎて、1部が終わったあと指と脚が震えてました。

 

そして帰りは逆方向の電車に乗っていた…。

 

 

 

 

<作品解説>
2009年トニー賞11部門ノミネート、主演女優賞・楽曲賞・編曲賞 3部門を受賞。2010年には『RENT』に次いで、ミュージカルとしては史上2番目のピューリッツアー賞受賞作となる。
作品タイトルから連想される「何が普通で、何が普通でないのか?」という普遍的なテーマを、力強いポップ&ロックで描く。

<ストーリー>
父と母、娘と息子。現代アメリカの平凡な家庭のはずだった。しかし、母親であるダイアナは双極性障害を患い、現実と幻想の間で生きている。朝食のサンドイッチ用のパンを床一面に敷き詰めたり、一人で会話をしたり、不可解な行動を取る彼女・・・そんな彼女をなんとか支えようとする夫のダン。そんな日常の中でなんとか「普通」に振舞おうとする娘のナタリー。16年間の闘病の中での苦痛、喪失、そしてその先に見えた希望の光とは。

 

 

 

 

 

 

 

以下、感想です。(決定的なネタバレは避けていますが、ストーリーについては触れています)

 

恥ずかしながら、ミュージカルという事すら知らずに行きました。
開始早々、キャストの皆さんの歌声の力強さに打ちのめされ、登場人物それぞれに感情移入し、観ながら何度も泣いてしまいました。

 

ネクスト・トゥ・ノーマルは「亡霊」にずっと縛られ続ける家族が、自分の信じる「普通」を求め、他者にぶつけ、愛されたいと願う物語だった。ゲイブのここにいる、生きている、というのは全員の心の叫びの代弁なんだろうな…

↑ 観劇当日にTwitter(ふせったー)に投稿した感想です。

 


妻のダイアナは夫のダンが、喪失、闇の中にいる自分を理解してくれないと思っている。夫のダンは妻のダイアナが、献身的に支える自分を理解してくれていないと思っている。


母のダイアナは娘のナタリーを、「天才だけど変人」だと評している。娘のナタリーは母のダイアナに、完璧な兄の影を追い続け自分に向き合ってくれないという不満を抱いている。


ナタリーは恋人のヘンリーを家族のいざこざに巻き込みたくなくて遠ざけようとし、ヘンリーはナタリーを受け入れようとし、自分が差し伸べる手をどうか掴んで、諦めないでと懇願する。

 

 


娘、息子と母親

ダイアナとダンの息子・ゲイブは18歳になるのに家を出て行かない。

 

後から振り返るとこのゲイブ、あらすじを知ってから見ると全然見え方が変わるキャラクターなんだろうな…と思います。
ゲイブに対して「いい歳をして(出て行かないなんて)」というようなダイアナの台詞が始めの方に確かあったかと思うのだけれど、ダイアナのゲイブに対する態度、ゲイブのダイアナに対する態度、これがなんだかいびつなんですよね。
微妙な違和感がある。距離感が少しおかしい。親と子供という関係よりも、なんだかうっすらと、恋人同士のような雰囲気すらある。

 

それはさっきのセリフでもそう。非難するような響きではなく、お互いに依存しあったような雰囲気。
医師からもらった錠剤を捨て「夫は気づいてくれるかしら…」と呟くダイアナに嘲るように笑うゲイブの姿だったり、ナタリーとヘンリーの関係に気づくダイアナに対して「娘を監視してるの?」と問いかける姿だったりする部分でも感じました。(ダイアナとゲイブの関係は、物語のなかで明らかになります)

 

 

そしてあの、問題のバースデーケーキのシーン。
ナタリーが恋人のヘンリーを頑ななまでに家族に会わせようとしなかった理由が明かされます。


「パーフェクト」なゲイブを愛する母に振り向いてもらうべく、「完璧」でいたいナタリー。「完璧」になれば、ダイアナは自分を見てくれる。「ノーマル」になってくれる。この家族は「ノーマル」になる。

だけどそれは叶わない。

 


「認められるために完璧を目指す子ども」というのは物語としてありふれている。
けれど、N2Nは母親が精神疾患(双極性障害)を患っている部分、そして母と娘だけではなく、母、娘、息子、父、娘の恋人が抱える問題(そして医療問題)がそれぞれ複雑に絡み合うのがすごいなあ…と思います。

 

 


ナタリーとヘンリー

ナタリーは、人物としてはクレイジーだけど「音楽は」ノーマルなモーツァルトを弾く。一分の遊びもなく決まった音符を決められた通りに弾くクラシックを選ぶのは、「完璧」でいるために。
普通でありたい、普通でいなければ…と「普通」に囚われるナタリーだから、クラシックを選択するんでしょう。
一方、ヘンリーが「自由な」ジャズを好むのは、キャラクター造形としてすごくすんなりくる。「普通」「完璧」の呪縛から彼がナタリーを解き放つわけで。

 


ヘンリーが注意欠陥障害(ADD)という設定がそこまで絡んできてないように感じたけど、フルサイズ版だと違うんでしょうか。医療用マリファナの部分しか自分は読み取れなかった…。恋人同士の関係より、親子、夫婦関係を描くことに重きを置いて編集したのかな。フルサイズ版が観たい。

…と思ったけど、これは自分の周りに発達障害の人や、自分の意見をはっきりと表明する人(日本人的な過剰に空気を読む遠回しなコミュニケーションではなく、意見の主張をしっかりする人)が割と多いため気にならなかっただけかもしれない。

 

 

ヘンリーの「君のパーフェクトになりたい」という発言は、印象的でした。
普通に考えて「完璧になる」なんて無理ですよね。
人間だから。

 

そういうことを言ってしまうヘンリーはこどもっぽい男の子なのかしらと思っていましたが、最後の「僕も狂うかもしれない」という台詞で、彼の気持ちや覚悟が生半可なものではないことがわかり、ナタリーへの愛の深さにぐっときました…。


ヘンリーの「僕をあきらめないで」という台詞は、ナタリーに寄り添うようでいて、必死に懇願する心の叫びみたいで胸が詰まりました。(そしてこういう言い回しが海外の作品…という感じがした)

 

 

 

 

 夫と妻

ダンは舞台後半で、ECT (電気けいれん療法)を受け記憶を無くしてしまったダイアナと一からやり直そうとします。

 

「失ってしまった記憶、出来事よりももっと素晴らしいことがあるかもしれない」

過去を無かったことにしようというダンの姿勢は、上記の一節からも明らかです(と言いながら歌詞はうろ覚え)。しかし、当然そんなことはできるわけがない。


起こってしまったことは、なかったことにはできない。


ダンの行動は、不安定な基礎の上に新しく家を建てようとするようなもので。徐々に記憶を取り戻すダイアナと、それを止めたいダンの気持ちを思って胸が苦しくなりました。

 

 

 


現実を受け入れるダン


夫を愛しているけれど、事実を受け入れ回復のために家を出ることを選択するダイアナ。
このあたりの「全て解決、何も問題のないハッピーエンド」として終わらせない部分がわたしは好きです。

現実って、割り切れないことがたくさんありますから。

 

 

このシーンは回復を望み踏み出したダイアナの強さと、目を背け続けてきた現実と向き合うダンの対比が印象的でした。


ダンは「喪失」をなかったこととし、目をそらして生きることを選択しているため、「喪失」そのものに囚われ生きているダイアナとは分かり合えなかった。

 

病気で風変わりな行動をとる妻ダイアナを献身的に、「ノーマル」に支えてきたダン。
しかしながら、16年もの間ダイアナが同じ医師の下で薬漬けにされ、自分の思いや感情を他人のそれのように語るという症状を良しとした(変えようとしなかった)ことを考えると、やはりダンもまたノーマルではない。

それに気づいていなければまだ救いはありますが、ダンは自らの異常さに薄々気づいている。
舞台序盤でダンが歌うシーンで「狂っているのは俺のほうか」というような一節があるのですが、その辺りが闇が深いなあと思います。

 

 


精神疾患の症状を表す演出

 

「記憶をなくす」


この恐ろしさと絶望がよく表れているのが、ダイアナがドクターの名前を間違えたシーンだと思います。

 

ダイアナ「記憶をなくすことがあるとドクターミッシェルに言われたわ」
ダン「ダイアナ、ドクターの名前はマッデンだよ」

 

個人的には、このシーンが怖かった。


わたしは過去に病気で記憶障害の症状が出たことがあります。
「覚えていない」というのは、絶望であり恐怖です。

自分が出来事を覚えていないと自覚してしまった時の絶望。
自分の知らない自分を、他人が知っているという恐怖。
「覚えていないという事実」に触れた時のまわりの腫れ物にさわるような反応。
まるでそんなことがなかったかのように振る舞われフォローされるたびに、ざらざらとした感情に心が乱れたことを覚えています。

 

簡潔なセリフのやり取りだけのシーンですが、その時のことを思い出して苦い気持ちになりました。だからこそ、その後の、自分のことを覚えていないダイアナを責めるナタリーも、覚えていないことを良しとして、都合の悪い過去から目を逸らせようとするダンの姿もつらい…。

 

 

 

そしてこのN2Nで「おお…!」と思ったのは、ダイアナの症状を観客にも擬似的に体験させる演出でした。
具体的には、ドクターマッデンと初めて会うシーン。
緑のライトに照らされる舞台、大音量で鳴り響く音楽と大声で話すドクター。
ああ、ダイアナに見えている世界はこういう世界なのか…と思うと、コミカルに見えるけれど笑うことができなかった。

 

他人が見ている風景、感じていることを同じように体感することはできないけれど、お芝居を通じて擬似的に体験ができるのはいいな、芸術っていいな…と妙なところで思いました。

 

 

 

 

これははじめに知っておきたかった

=ノーマル
=クレイジー
赤+青=紫=next to normal
=弔い、死
=ノーマル

https://genshinactor.wordpress.com/2013/09/10/nexttonormal/

 

上記ブログにあるこの部分、これは予備知識として仕入れておきたかったな…と思いました。
わたしは観劇の際に、あえて情報を入れずに行く事が多いのですが、あとからこれを見てなるほどなー…と思いました。

 

 

ラストシーンでナタリーの服の色だけは赤が使われておらず紫なのが、何かを示唆しているようで少しぞっとした…


観劇後、上記の感想を持ったのですが、色もしっかり話に絡んできてるんですね。
ほかのシーンの色をそんなに覚えていない…。

 

覚えているところは
・冒頭のダイアナのシャツワンピース…白
・息子ゲイブのTシャツ…紫(?)
・病院に行くダイアナのワンピース…赤
・ダンスパーティーに行くナタリーのドレス…青
・クラブに行っているナタリー服…黒
・ヘンリーがナタリーに着せる服…青(緑だけど青にカウント?)
・ラストシーン…ナタリー以外赤と黒

 

 

余談

※ネタバレ部分反転で読めます
ダンも負い目というか、自分はおかしいんじゃ?という気持ちを抱えているのは劇中の歌でもあったけれどゲイブを失ったことから目をそらすためにセックスに逃げてたのか?というのは邪推なのかなあ。
ダイアナが「わたしは欲求不満な(セックスレスの?)子育てで家に閉じ込められてる主婦とは違うの」みたいなことを言ってる台詞あったしなあ…。

冒頭から「わたしはパパとセックスしてくるの」と娘のナタリーに伝えているから何かしらの意図はあると思うし、ナタリーも「普通だったらこういう時どう振る舞うのか」と言っていたから、物語の重要なキーのひとつにはなるのでは?と思ったけど、そこ掘り下げた描写なかったのでちょっと消化不良でした。(でもここ、ダイアナは「ノーマルの象徴」である白い服を着てるんですよね)


もう一回観たかった…!

 

 


全体を通しての感想


N2Nは精神疾患をメインに据えているためにある意味では「他者との違い」がわかりやすく描かれていますが、突き詰めるとこれって普遍的な問いなんですよね。

 

わたしたちは、自分自身が見ている世界を “normal” …正常であり、標準であり、一般的な、「正しい」ものだと思いがちです。

 

しかし、本当は唯一絶対の正解なんてどこにもない。
皆どこかしら狂った部分がある。
その振れ幅は人それぞれだし、受け取り手も千差万別なので、単なる「性格の不一致」「違和感」などで処理されることも多くあります。
逆にその差異が「あいつはおかしい」「間違っている」などと糾弾の材料になることも珍しくない。

 

 

 “normal” …「普通」ってなんなんでしょうね。
一体誰が決めた基準なんでしょうか。

 

ネクスト・トゥ・ノーマルは「亡霊」にずっと縛られ続ける家族が、自分の信じる「普通」を求め、他者にぶつけ、愛されたいと願う物語だった。ゲイブのここにいる、生きている、というのは全員の心の叫びの代弁なんだろうな…

 

冒頭に書いた感想の再掲です。

 


Next To Normalは、自分にしか目を向けていないそれぞれの登場人物が、
現実を直視し、他者を受容し、一歩踏み出す人間賛歌の物語だとわたしは感じました。

 


他者を理解できなかったとしても、
他者から理解されなかったとしても。
迷ったり傷ついたりしても、
自分や相手が普通じゃないと感じても、
私たちは生きていくしかない。


これから先も「自分の普通」に逃げ込まず、
しっかりと事実を見つめられるように、
そして少しでも「誰かの普通」に寄り添っていけるように。

間違えたら何度でも話し合って解決していこう。

 

 

そんなことを感じたミュージカルでした。

 

 


まとめ

N2N、素晴らしいミュージカルでした。
ダイジェスト版のテンポも好きですが、是非フルサイズ版も観たいです。


初演時は安蘭けいさんとシルビア・グラブさんなんですね。
シルビアさんはミュージカル「デパート!」でのパワフルな歌声(特に2幕のアリア!)に魅了されてしまったので、お二人のWキャストで観たいなあ…再演希望です。

 

ガラコンで新納さんが歌った日本版ではカットされてしまったという →カットされたのはオフブロードウェイからブロードウェイにあがったタイミングだそうです。(1/17訂正))「feeling electric」もロックで素敵だったー!
この「feeling electric」、もともとのタイトルは確か舞台のタイトルと同じ「Next To Normal」→ 「Next To Normal」のタイトルがもともとは「feeling electric」で(1/17訂正)、表題曲なのに日本版でカットされてしまったんですよ!?と新納さんがおっしゃってました。それを聴けたなんて本当にラッキー…!

 

記事の途中にも書きましたが、精神疾患という重くなりがちなテーマを、「すべて解決」というハッピーエンドではなく、明るさ前向きさを感じさせつつ、観客へ問いかける形で終わらせた部分もとても好きです。

日本では差別対象になりがちな精神疾患が、こういった作品を通じて理解されていけばいいなとも思いました。(「差別意識はない」と言いながら無意識に蔑視や差別する人はとても多い。自分も含めて、「自分が思う普通」と違う人間に対し、100%フラットに接することができる人というのは少ないんじゃないでしょうか。)

 

 


わたしは観劇自体の経験も浅く、今回のTENTHでシアタークリエも初めて行きましたが、作品のクオリティの高さだけでなく、音響の素晴らしさにも感激しました。

 

TENTHは2週目、3週目も観劇予定なのでとても楽しみです。

 

 

 

 

▼舞台についての感想を書いている関連記事▼

kansoubn.hatenablog.com

 

 

 

 

関連記事など自分用メモ

紹介記事など
シアタークリエ10周年記念コンサート『TENTH』が開幕! 『ネクスト・トゥ・ノーマル』&『ガラコンサート』公開リハをレポート | SPICE - エンタメ特化... https://spice.eplus.jp/articles/166177

2018年1~2月の注目!ミュージカル
https://allabout.co.jp/gm/gc/472809/

キャスト新納さんのブログ
https://ameblo.jp/shinya-niiro/archive1-201801.html

 


ほかの方の感想ブログ(2018年版/初演版混在)

私たちの「隣」にある物語~『ネクスト・トゥ・ノーマル』(N2N)(ネタバレあり) http://bit.ly/16K6LWA

 

ネクスト・トゥ・ノーマル〜自分なり解説〜
https://genshinactor.wordpress.com/2013/09/10/nexttonormal/

 

精神疾患をテーマにしたミュージカル『ネクスト・トゥ・ノーマル(next to normal)』が本気ですごい。

http://www.atashimo.com/entry/nexttonormal

 

torata-nu.hatenablog.com

↑2018年版の感想。楽しく読ませていただきました!

 

 

nicjaga.hatenablog.com

↑歌詞の和訳があってありがたい…

 


初演時 
ミュージカル『next to normal』ゲネレポ 感激観劇レポ
http://okepi.net/kangeki/340

ミュージカル『next to normal』スペシャルライブイベント
http://enterminal.jp/2013/08/next-to-normal/

ブロードウェイ版紹介
https://aarontveit.themedia.jp/posts/1488725

 

 

 

 

 

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