自分の差別意識と折り合いをつけ「外側」に気づいた話〜TMO感想前書きとして〜
LGBTを「気持ち悪い」と思う人を指して「どんな人を想像しますか」という問いかけが冒頭からあるけども、その人が人どんなに懐っこい笑顔を浮かべようと、どんな人間であろうとそれは紛うことなき差別意識です。差別という行為と人柄とは全く関係ありません。まずそこを切り離してくださいとしか言えん
— バンビのまんま (@still_bambi) 2018年4月7日
過去が間違ってたら、間違ってたと自覚して、正しい方向に進めるように努力したらいいだけなのに、なんで「過去まで否定された気分」と言ってるんだろう。自分が差別意識を持ってると自覚するのはつらいと思うけど、だからって逃げていいわけじゃない。
— かんそうぶん (@KansouBn) 2018年4月7日
Take Me Outの感想を書こうと思っていたけれど、いま自分のTwitterのTLに多く流れている話から、これは自分のためにも独立して書いておくべき内容かもなあと思った。
今日は、わたしが自分のなかの差別意識に気づいた話と、それとどう付き合っていったのかという話をする。問題解決のための有効なプロセスが記しているわけではなくて、単純に運良くそれに気づき、今に至るまでの自分語りでしかない。だからこれが誰かのためになるかというと疑問が残る。
でも、自分が「普通の」「大多数の」人間のために作られた世の中で生きていこうとした時に感じた息苦しさや葛藤、何に差別意識があったかについては少しだけでも触れられるかと思う。
Take Me Outで語られる差別についてブログで感想や考察を書く、前書きみたいなものとして書き残しておく。(と言いながら、初見の感想はもう書いたけど。あとこのエントリに直接TMOの話はないです。ただ、そこから感じたことはすごく入ってる)
わたしは二十数年間「普通に」扱われることが少ない人生を送ってきた。
蔑まれたりこそこそと笑われたり、その逆で盲目的にちやほやされたり、何かを与える振りをして搾取対象として扱われたこともある。
誰かのゴミ箱になったりアクセサリーになったり、なんだか随分と上っ面の部分だけを良いように扱われることに諦めと憤りを感じつつ、それでも懲りずに相手に希望だったり期待だったりを持ち続けてしまうような、めんどくさいメンタリティで長い間過ごしていた。
周りの人間は皆それなりにうまくやっているように見えた。表層的な話をし、本心を喋らず、対峙する人間によって顔を使い分け、その場しのぎの内容を悪びれず口にしているように感じた。
彼らはそこから生じる矛盾に傷つき、心を痛めているようにも見えた。
なら初めからそんな面倒なことはしなければいいのにと思い、内心わたしはそれをばかにしていた。
わたしは幼い頃から、嘘をついてまで他人と関わろうとは思っていなかった。
相手にとっても自分にとっても、それは侮辱だと思っていた。
それが原因の一つとなってどこに行っても浮いていて、居心地の悪さを感じていた。
大多数の人間と同じように振舞えばよかったのかもしれない。
だけど、どうしてもそれができなかった。
言葉が通じる人は誰もいなかった。
嘘をついて上辺だけで他人と関わるなら、そんなものはいらないと思った。
だけど、諦めきれず手を伸ばして伸ばして、伸ばし続けた。
その度に自分はひとりきりなのだと痛感させられたとしても、
それでも心の底から誰かと繋がりたかった。
わたしは成人してから、初めてまともに他人と意思疎通ができるようになった。
それまでは同じ言語を話しているはずなのに、家族を含め言葉が通じる人間が一人としていなかった。
自分と同じだとは思えないけれど、自分と同じように他人を扱う人間がいるのか、というのを初めて知って、不思議な気持ちになった。
それを足がかりにし、少しずつ他人との会話や対話を学んだ。
言葉が通じる人間がいなかったわたしにとっての「コミュニケーション」は、長い間「自分の言いたいことをまっすぐ間違えず伝えること」だった(今思うと、相手不在のただの壁打ちだ。その頃はそもそも、自分が何を考えたり感じたりしているのかすらもわからなかった)。
大人になって初めてできた友人たちは、わたしを「普通の人」として扱った。
檻の外から眺められる動物のような気持ちで相手を見なくてもよかった。
上でも下でもなく、年齢も性別も顔も名前も能力も、何も関係がなかった。
対等な立場の同じ人間として頭の中を見せて、自分の経験から考え感じたことを提示してくれた。
同じように話すわたしの考えを否定せず、そうなんだね、と彼らは頷いてくれた。
彼らはわたしを、暗い夜の底から救い出してくれた。
人生の途中、ある事柄でわたしはマイノリティ側の人間になった。
もともとどこに行っても対人関係に居心地の悪さを感じ安心できることなんてなかったし、良くも悪くも少数側の人間として扱われたり、逆にそれを利用して小狡く生きていたけれど、今度は紛れもなく「あちら側」「こちら側」に分かれている、そんな気がする場所に突然突き落とされてしまった(と当時は思った)。
気持ちは複雑だった。
周りの人のおかげで今の自分があるということを忘れた訳ではなかった。
だから自分と同じ境遇の人を見て、なんでもないような顔をして理解を示した。でも、内心「うわ…」と思ったりした。
わかったような顔をしてるのにわたしは本心ではちっともわかっていないし、「それ」と一緒にされたくないのか。
初めはショックだった。
自分も差別主義者なんだという事実は、なかなかにこたえるものがあった。
認めて受け入れて折り合いをつけるのには長い時間が必要だった。
なぜ折り合いがつけられたかというと、単純に運が良かったんだと思う。
ここ数年の間で、わたしは自分と同じ状況の友人ができ、たくさん話をした。
彼らは力強く、その場にとどまってなどいなかった。
わたしは自分の人生が他人によってめちゃくちゃにされ、損なわれてしまったと思ったし、自分が世の中の「普通」の人間より劣る存在になったと思っていた。
しかし、それは間違っていた。
個を個として認識するのではなく、雑なくくりに押し込めて「◯◯はこうだ」と思い込み苦しんでいたわたしの前を、友人たちはしっかりと歩いていた。
決して他人を否定することなく、何度でも「それでいい」と肯定してくれた。
その背中を見て、わたしは自分の思い込みの無意味さにゆっくりと気づくことができた。
他人の決めた基準などどうだっていいのだ。
そんなものは考え方ひとつで、いつだってひっくり返せる。
状態に色をつけるのは、自分や誰かだ。
自分と違う考えや能力を持つ他者が同時に存在しているだけで、
優劣さえも本当はそこにはない。
「ただ違う」それだけなんだな、と腑に落ちた。
強がりでもなんでもなく、わたしは失うことで、より多くのものを得られたのだと今では思う。
自分と違う誰かを見たときに、気の毒に思ったりかわいそうだと感じたりする気持ちは昔から極端に薄かったが、今では「この人はこういう人なんだな」思うだけだ。
自分から無関係な誰かに積極的に干渉しに行ったり、おかしいと糾弾したり、気味悪がったりということもない。
もちろん人間なので、例えば見慣れない容姿の人などが歩いていたら反射的にちょっとびっくりはすると思うけども。(都会にいて良いなと思うところは、人間のバラエティに富んでいるところだと思う。母数が大きい分、多様性に触れるチャンスが多い)
過去が間違ってたら、間違ってたと自覚して、正しい方向に進めるように努力したらいいだけだと思う。自分が差別意識を持ってると自覚するのはつらいと思うけど、だからと言って逃げていいわけじゃない。
差別はあるし、それはきっと消えない。
残念だけどそれが今の「普通の世の中」だと思う。
だけど、自分が心の中で無意識のうちに蔑んだり「かわいそう」と思っているマイノリティ側に突然なる事だってある。他人事じゃない。
それはいつだって地続きだと意識したほうがいい。例えば事故や病気で、身体や精神に障害を持つ事はある。自分に限らず、近しい人がそうなる可能性もある。
だから、少しずつでも理解しようと手を伸ばしたほうがいいと思う。拒絶をし続けていたら、きっと当事者になった時かなりきつい。
「かわいそう」と憐れむことは、それを自分とは違う異物だと見なす事だし、無意識の、悪意なき差別だ。
個を個として認識するのではなく、雑なくくりに押し込めて「◯◯はこうだ」と思い込み苦しんでいたわたしの前を、友人たちはしっかりと歩いていた。
▼TMO2018 初見感想▼