晴れた日のねどこ

答えの出ないことばかり考えている

Take me out 考察。シェーン、キッピー、ダレン(までやって力尽きた)

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 ▼初見感想はこちら▼


 

初見の印象は「こわい」だった。登場人物の行動や心理がわからない部分が多くて。
その後見たときは愛や絆の部分がわかりやすく増してるように感じ、救いがあった。
そして頭のなかで登場人物の行動の理由などを毎日ぐるぐる考えて、それぞれの輪郭が薄ぼんやりと見えてきた気がする。

メイソンの言う悲劇がどういうことか初めはわからなかったけど、やっぱりこれは悲劇だ。



楽園という箱庭を失ってなお、そこに留まろうとした者と、そこから外に出た者。
ある部分では他者から虐げられる者が、無自覚に他者を排斥すること。
得られたものも大きいけど、失ったものも多く、失われた「楽園」には皆もう二度と戻れない。
それが良いことか否かは、きっとそれぞれの登場人物によって違うのだと思う。

 

※今回はがっつりネタバレしてます※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





シェーン

シェーンの異常な潔癖症は自分の排泄物まみれで発見されたという出自のせいもあると思う。

けれどゲイについての差別意識や、ダレンに沐浴について触れられたシーンの態度から考えると性的虐待を受けていた(ないしは同性にレイプされた経験がある)可能性もあるのでは?と思って、アメリカの当時の事情を調べてるけどなかなかない。


アメリカで起きる虐待の中で一番大きな割合を占めるのは、里親からのものだそうだ。シェーンはすぐに施設に返されたと言っていたので、その辺りは不明。ただ、転々としていたということなので、なんども別の里親に引き取られては戻された可能性も考えられるかもしれない。

施設での虐待というと、カトリック神父の小児性愛についての話が思い浮かぶけど、多分シェーンはキリスト教系の施設には入居してなかったんじゃないかなあ。宗教が母体になってる施設なら、信仰についての話もおそらくあると思うので。



●有色人種への差別意識

テレビインタビューのシーンでは「黒いのや黄色いのやサンバ踊ってるような奴がいるから気にならない」という、違いを受容しているような発言を彼はしている。これは自分と同じく、全員が野球をするという目的の下で動いているため違いが気にならないという意味かなと思う。

まともな教育を受けられなかったであろう彼は、自分が何を考えているのかを表す言葉を知らず、喋ること、書くことに若干のハンデがある。つまり他人との意思疎通に問題が生じていたはずだ。
だが、野球という世界では彼は唯一自由になれた。他者と共通の言語を使えた。そこでは人種は関係ない。それぞれが自分の役割を果たし、勝つことが目的だ。


つまり、人種や言語は関係ない。
彼は「黒いのや黄色いのやサンバ踊ってそうな奴」…言葉以外でコミュニケーションを取る人間が自分以外にもいることで、ハンデを感じずにいられた。つまり、救われていたんじゃないのか。

ただ、これはあくまでもマウンドやロッカールームという、野球の下に成立していた楽園のなかでの話。そこを出れば、彼は無知・無教養から人種差別主義者になる。
有色人種だと言われれば激昂するし、他者を「白人じゃない奴」「お前は半分人間じゃない」などという言葉を叫ぶ。
このシーンの、2/5は人間じゃない、どんな本にでも書いてある、つまりお前は半分人間じゃない!というような台詞、かなりきつい。
簡単な読み書きすら困難な彼が言う「どんな本にでも書いてある」という台詞。
自分の考えではなく、他者の考えを「正しいもの」の証明として振りかざすこと。
これこそが彼の未発達さ、からっぽさの象徴という感じだ。

おそらくシェーンは、野球の下に成立していた楽園では有色人種を受容し、楽園の外では否定している。その矛盾に気づいていない。これがまず、ひとつの悲劇だと思う。



●シェーンの抱える「からっぽ」さ
「俺にとって世の中は、知らないことがいいことの方が多い」
「それはお前が馬鹿だからだ」
シェーンとダレンのこのやりとりは印象的だと思う。

「誰もが羨む中産階級(ところで中産階級が「誰もが羨む」ものだというのがわからなかった…そうなの?)」で「(有色人種でありながら)白人にペコペコしないでいい」「神がかって」おり、自分に自信がある(ように見える)ダレンは、十分な教育を受けていたことが予想される。

一定水準以上の人間には、知識は有益なものになる。
だがそれに満たない人間には、自分自身の居場所や現実を突きつけられる毒のようなものかと思う。


「シェーン、お前はそんなことを考えてない」
「そうなのか?教えてくれキッピー」


自らを語る言葉を持たず、粗末に扱われてきたであろうシェーン。「自分に話しかけてくれたから」お前は友人だとキッピーを評するシェーン。彼は、恐ろしいほどからっぽだ。

キッピーは「自分はシェーンを理解できる」との傲慢さから彼に声をかける。「お前はそんなことを考えていない」、これも「シェーンを理解できている」という前提からの言葉だ。
キッピーは、実は少しもシェーンを理解していない。
言葉で全てを明らかにし、言葉によって世界を説明し理解できると思い込むキッピーには、その外側の世界にいる「言葉を持たざるもの」であるシェーンのことを理解できない。二人はすれ違っている。

「からっぽ」のシェーンはキッピーの傲慢さを見抜けない。それを優しさだと思う。
「からっぽ」のシェーンは、自分が何を考えているかがわからない。だからキッピーの言葉を自分の本心だと思う。

シェーンは、憎むべきダレンの言葉さえ受け入れてしまう。「からっぽ」だから。


「死ね」


ダレンがデイビーに放った言葉、シェーンはそれをそのまま実行する。自分が自由になれる「野球」という世界で、クローザーとして。
カワバタが言っていたように、シェーンにとってもきっと「負けることは死ぬこと」だ。
だからシェーンはデイビーを「殺した」
結果的にそれは、野球の試合という閉じた世界を飛び越えて、デイビーの命そのものを奪ってしまった。


痛々しいくらいに剥き出しのシェーンの姿や叫び、それを理解できると思ったキッピーの傲慢さ。
自らを語る言葉も、他者を理解する言葉も持たず、ある意味で子どものように無垢に、野球だけに生きるシェーンに、デイビーへの言葉を聞かれてしまったこと。
これもまた悲劇だ。



少し引っかかってる部分が少し。
キッピーとダレンが面会に来た場面での「白人じゃない奴が一人いなくなっただけだ」という台詞。あれはデイビーについて指していると思うのだけど、デイビーは有色人種ではないのでは…?
そこで混乱した。誰か教えて欲しい…






キッピー

繰り返し彼について考えるうちに、自分のなかのキッピー像というのが少し変わってきた。

 引用失礼します


キッピーは頭が良く、スウェーデン系だからなのか性的マイノリティに関しても理解があり、「チームの中で」ダレンの一番の友人だ。
エンパイアーズの他のメンバーと同じく、野球を愛し、おそらく勝つことへの意欲も強い。

今私が考えているキッピーの手紙代筆の理由はこんな感じだ

  1. 負け始めたエンパイアーズをまた勝たせるため
  2. チームメイトのシェーンへの嫌悪感の緩和
  3. シェーンを理解できているという傲慢さ
  4. ダレンへの好意



1〜3は初見でも感じていたんだけど、4は物語を反芻していて思い至った。


キッピーは、物分かりがいい大人なんかじゃないのかもしれない。
意外とこどもっぽいところがある人間なのでは?


はじめ、わたしはキッピーのダレンへの謝罪の意味がよくわからなかった。
シェーンの手紙を書いたことではなくて「自分がデイビーをあまり好きではなかったこと」を謝罪するというのが、今ひとつピンとこなかった。

→すみませんこのシーンではまだ手紙の話は出てなかった。(4/13訂正)

でもこれ、彼の行動原理を考えるときに重要な部分なのでは?
キッピーはダレンの理解者でいようとしたけれど、もしかして彼を理解できていなかったのかもしれない。


  • ダレンのようなスーパースターがすべての選手をチェックしてると思うか?という冗談めかした太鼓持ち的な発言
  • 5ツールプレイヤー、更に彼にしかない6つ目の要素〜という「主観的な」賛美のナレーション
  • 神がかっていたダレンよりも、人間らしい今のダレンが好きだという発言(=自分に理解できる存在にダレンが近づいたということ)
  • 自分はチームでの親友、デイビーは本当の親友というような発言
  • デイビーに嫉妬していたという発言
  • 俺たち友達に戻れるか?というラストの発言


もしかすると彼は、羨望の気持ちを隠してダレンと接していたんじゃないか。



ロッカールームでのダレンとの軽妙なやりとりは、なんだか気の合う男子学生のそれみたいだと感じた。
そして試合の場面。音楽に合わせてダンスをするシーンで、キッピーはメイソンの 尻をいたずらっぽい顔をしながらグローブでつついていた。


俺はお前の理解者だ、そんな顔をしながらキッピーはダレンと接しつつも、本当のところは彼を同じ地平に立つ対等な人間だとは思ってなかったのかもしれない。デイビーとダレン、天才二人の関係に嫉妬し、羨んでいたのかもしれない。

キッピーは、チームの低迷した士気を立て直すために手紙を代筆した。ダレンのことを考えるなら、それは奇妙な行為のようにも見える。けれど、「皆が野球を愛し、勝ちたいと思う」のが正しい集団で、彼はきっと「上手くやれる」と思い、それを実行した。そして、ダレンが孤立することもそれで防ごうとしたんじゃないかと思う。

彼が今まで積み上げてきた上手く立ち振る舞える技能、これもまた悲劇の一端を担っていたんじゃないかと思う。




ダレン
この人は本当に自信満々な人なのか?と思ったこともあったけど、今では考えが元に戻った。
ダレンは虚勢を張り、自らを強く見せようと振る舞う人物だと思う。

ダレンは不安を抱えている。ゲイであることがある種彼の負い目になっていたんじゃないかと思う。それはデイビーの発言に対し「本当のことを言っても自分を受け入れてくれるか」と問いかけた部分からも見て取れる。


きっとダレンは愛とか恋じゃなく、ただデイビーが好きだったんだと思う。
キッピーがダレンに憧れていたように。
自分と同じように野球の才能があり、何事にも動じず、物事を冷静に分析できるデイビー。

そんなデイビーに「俺は妻と子どもがいる。その点で、男として優れている」「お前のことがよくわからない」と言われるダレン。

ダレンは友達も知り合いもあまりいないと後半、メイソンに語っている。
それはおそらく真実で、彼は心を開いて他者とコミュニケーションを取っておらず、そのため「友人」と呼べる存在がいなかったんだと思う。


誰が見ても二人は親友だ。
ダレン自身も、それが事実だと信じたかった。
だからカミングアウトした。


デイビーも、彼なりにダレンが大事だし、好きだったはずだ。
でなければ、あれほどまでに怒る必要がない。
ダレンもデイビーもきっとお互いを信じたかった。
ダレンはデイビーの言葉を聞き、自分自身をさらけ出すことを選んだ。デイビーが受け入れてくれると信じて。
そしてデイビーはそれを受け入れられなかった。
敬虔なクリスチャンである彼は、戒律というの下に彼を糾弾した。


ダレンはデイビーに幻想を抱いていたんだと思う。
強く、物事に動じることのない、優秀な人間だというような。
しかしそれは、信仰によって守られた箱庭のなかでしか成立しなかった。

ボタンをかけ違ったまま進んだ8年という時間は、お互いにとって長すぎた。


デイビーは箱庭から出ることを拒んだ。
「楽園」を壊したのはお前だ、自分は裏切られたと叫んだ。


セクシャルマイノリティや信仰云々を抜きにしても、心を開いていない人間に対し、相手が無条件に自分を受け入れてくれるなんていうのは残念ながら都合のいい幻想だ。
(だからと言ってデイビーの行動を許容していいわけではない)



けれど、この話の登場人物全てが悲劇の担い手になっているわけではない。
自分と相手との価値観の違いをこえて、ダレンを「外」に連れ出した人間がいる。


メイソンだ。



 

 

 

 



…ってここまで書いたんですけど、めっちゃ長いな!思ったので次回に回します。
以下、ふんわりした脳直の感想。





ジェイソン
ジェイソンはゲイフレンドリーに見えて、心の底では偏見がある。
それはダレンがジェイソンにハグした時の彼の表情からも明らか。

「うわあ…」って顔してるよね。悪気はないんだろうけどなあ。悪気や悪意がない差別意識って厄介だよね…
ここの演技がわかりやすく変化していたありがたかった。




メイソン
メイソンかわいいよね。あのワーー!ってなってるところも、縋るような目も、喜びを隠しきれないところもかわいい。連れ出してもらったと思いながら、メイソンはダレンを連れ出してもいるんだよね。
わたしは「えっ、二人は惹かれあっていたんですか!?」くらい初見でぼんやり見てしまったので、次にダレンが愛おしそうにメイソンを見つめているのを目撃して「ワーーーー!」と思った。なんや…その表情…。圧倒的彼氏感。そしてメイソンの可愛さ。

ダークなところばかり見ようとしてしまうので、次はメイソンを追いかけて、ラブっぽい方面でも感想を書きたい次第。




スキッパー監督
ウィリアム・R・ダンジガー = スキッパー監督という話が英語版ガイドに載っているらしい。
その話を聞いて、ヒッ…っと息を呑んだ。
一体、次わたしはどんな気持ちで彼を観たらいいんだ…。
TMOは愛も描かれてるけれど、それぞれの背景を考えるとやっぱりすごく怖い話なのでは、と感じる。でもきっと、それがこの世の中のリアルな姿なのだろう。

ウィリアム・R・ダンジガーの手紙の「もしも自分の息子がゲイだったら…もちろん選択してそうなったら、という意味ですが」ってところに、いくら他の文でフォローしても拭えない根深い差別意識と無理解を感じた。選択してLGBTになるって考えなんだなと。
こわいよ!監督!!!!





デイビー
デイビーの四角四面な性格からなんとなく子どもの数は意図して決めたのでは?と思った。なのでクリスチャンのバース・コントロールについて少しググったんだけど、同性愛と同じくカトリックプロテスタントでサクッと「こうだ」と分けられるものでもないっぽい…?

キリスト教の中でも同性愛について認めようとする派閥もあるらしいけど「繁栄という正しきもの」から逸れた傾向ということで「同情」の対象として、との考えだったりするところもあるらしくて、いろんな考えがあるんだなあと。

TMOでもロマーレでも「悪魔」という言葉が出てくるのは、やはりキリスト教が関わる話だからなのかなあ。


spiさんのデイビーの演技好きだなあ…。
「そういう考えを持って生きてる人」って説得力がすごい。だからこわい。発言の意味や理由がわかるぶん、とてもこわい。


ちょっと気になってることがあるんですけどね、デイビー、髪の毛の後ろがピヨっとしてることないですか?わたしが見たときだけかな? ね、ね、ねぐせ!?!?こんな堅物なのにねぐせかな!?と思って動揺したんですけど、そういうセットですかね…。個人的にはかなりグッときました
かわいいやん…大人の男の人にねぐせついてるとか、かわいいしかないやん…しかもあんなかたい役なのに…。いや、セットなんだろうけどさ。
あと、踊ってるところかわいい。かたい人物かと思いきや、パジャマみたいなラフなボトムなのもかわいい。さすが脳直の感想。エモーショナル(物は言いよう)
 

はじめはダレンとのシーンを見て「おいデイビー!!!お前!!!」と思ったんだけど、あれ?もしかして彼も彼なりに葛藤が?とか思い始めると深みにはまってしまいそう。
デイビーについて、またちゃんと感想を書きたい。
こんな萌え語りじゃなくてな!!! 真面目なやつをな!!









「俺たちまた友達に戻れるかな」
「俺たち友達だったのか?」

というあたり、カラッとしてるというか、日本の話ではないなという感じがして好き。
うれしいことも悲しいこともひっくるめてそれが人生だし、また日々は続いていく…という感じがNext to normalを思い出した。海外原作のお芝居は、そういう雰囲気のものが多かったりするのかしら。



座席の関係もあると思うけど、演出も、回を重ねるとよりわかりやすくなっているように感じた。登場人物が纏う空気や感情がより伝わって来たし、エンパイアーズの団結力や阿吽の呼吸みたいなものももっと感じられた。お芝居ってナマモノだ。この舞台が1ヶ月上演されて、それを何度も観られるのがうれしい。



つぎはどんな発見があるかな。たのしみ!
 
 
 
 
「外側」の話とか「わからないものをわからないものとして理解する」話と絡めて書きたかったけど、今日は一旦ここまで。
TMO、考えること多いなー!
 
▼関連記事▼
 

自分の差別意識と折り合いをつけ「外側」に気づいた話〜TMO感想前書きとして〜

 

 

 

 


Take Me Outの感想を書こうと思っていたけれど、いま自分のTwitterのTLに多く流れている話から、これは自分のためにも独立して書いておくべき内容かもなあと思った。


今日は、わたしが自分のなかの差別意識に気づいた話と、それとどう付き合っていったのかという話をする。問題解決のための有効なプロセスが記しているわけではなくて、単純に運良くそれに気づき、今に至るまでの自分語りでしかない。だからこれが誰かのためになるかというと疑問が残る。
でも、自分が「普通の」「大多数の」人間のために作られた世の中で生きていこうとした時に感じた息苦しさや葛藤、何に差別意識があったかについては少しだけでも触れられるかと思う。

 

Take Me Outで語られる差別についてブログで感想や考察を書く、前書きみたいなものとして書き残しておく。(と言いながら、初見の感想はもう書いたけど。あとこのエントリに直接TMOの話はないです。ただ、そこから感じたことはすごく入ってる)

 

 

 

 

 

 

 

わたしは二十数年間「普通に」扱われることが少ない人生を送ってきた。

蔑まれたりこそこそと笑われたり、その逆で盲目的にちやほやされたり、何かを与える振りをして搾取対象として扱われたこともある。

誰かのゴミ箱になったりアクセサリーになったり、なんだか随分と上っ面の部分だけを良いように扱われることに諦めと憤りを感じつつ、それでも懲りずに相手に希望だったり期待だったりを持ち続けてしまうような、めんどくさいメンタリティで長い間過ごしていた。

周りの人間は皆それなりにうまくやっているように見えた。表層的な話をし、本心を喋らず、対峙する人間によって顔を使い分け、その場しのぎの内容を悪びれず口にしているように感じた。
彼らはそこから生じる矛盾に傷つき、心を痛めているようにも見えた。

なら初めからそんな面倒なことはしなければいいのにと思い、内心わたしはそれをばかにしていた。

 


わたしは幼い頃から、嘘をついてまで他人と関わろうとは思っていなかった。
相手にとっても自分にとっても、それは侮辱だと思っていた。
それが原因の一つとなってどこに行っても浮いていて、居心地の悪さを感じていた。
大多数の人間と同じように振舞えばよかったのかもしれない。
だけど、どうしてもそれができなかった。


言葉が通じる人は誰もいなかった。
嘘をついて上辺だけで他人と関わるなら、そんなものはいらないと思った。
だけど、諦めきれず手を伸ばして伸ばして、伸ばし続けた。
その度に自分はひとりきりなのだと痛感させられたとしても、
それでも心の底から誰かと繋がりたかった。



 

 


わたしは成人してから、初めてまともに他人と意思疎通ができるようになった。

それまでは同じ言語を話しているはずなのに、家族を含め言葉が通じる人間が一人としていなかった。

自分と同じだとは思えないけれど、自分と同じように他人を扱う人間がいるのか、というのを初めて知って、不思議な気持ちになった。

それを足がかりにし、少しずつ他人との会話や対話を学んだ。
言葉が通じる人間がいなかったわたしにとっての「コミュニケーション」は、長い間「自分の言いたいことをまっすぐ間違えず伝えること」だった(今思うと、相手不在のただの壁打ちだ。その頃はそもそも、自分が何を考えたり感じたりしているのかすらもわからなかった

そこから「相手が何を言っているか聞くこと」を徐々に覚えた。ほかの人より十数年遅れだ。
今では「お互いの頭の中にある手札を持ち寄って会話を楽しむ」くらいのこともできるようになった。

 
 

大人になって初めてできた友人たちは、わたしを「普通の人」として扱った。
押し付けがましさも、同情もそこにはなかった。
ただごく自然に、自分と同じように扱ってくれた。
嫌悪でも嘲笑でも、羨望でも嫉妬でも欲望の対象でもわたしはなかった。
檻の外から眺められる動物のような気持ちで相手を見なくてもよかった。
上でも下でもなく、年齢も性別も顔も名前も能力も、何も関係がなかった。

対等な立場の同じ人間として頭の中を見せて、自分の経験から考え感じたことを提示してくれた。
同じように話すわたしの考えを否定せず、そうなんだね、と彼らは頷いてくれた。

 
 

彼らはわたしを、暗い夜の底から救い出してくれた。




 
 
 




人生の途中、ある事柄でわたしはマイノリティ側の人間になった。


もともとどこに行っても対人関係に居心地の悪さを感じ安心できることなんてなかったし、良くも悪くも少数側の人間として扱われたり、逆にそれを利用して小狡く生きていたけれど、今度は紛れもなく「あちら側」「こちら側」に分かれている、そんな気がする場所に突然突き落とされてしまった(と当時は思った)

 

気持ちは複雑だった。
周りの人のおかげで今の自分があるということを忘れた訳ではなかった。
だから自分と同じ境遇の人を見て、なんでもないような顔をして理解を示した。でも、内心「うわ…」と思ったりした。
当事者なのに差別意識がなかなか消えずに何年も板挟みになった。
おかしな話だと思う。相手は自分と同じなのに。
 
周りの人が当たり前のようにやってくれたことを、わたしはできなかった。


わかったような顔をしてるのにわたしは本心ではちっともわかっていないし、「それ」と一緒にされたくないのか。
自分は「そっち側」に行きたくない。
「これは普通ではない」
「同じだと思われたくない」
 
 

初めはショックだった。
自分も差別主義者なんだという事実は、なかなかにこたえるものがあった。
認めて受け入れて折り合いをつけるのには長い時間が必要だった。
今はようやく、それを口に出して言えるまで消化できた。


 


なぜ折り合いがつけられたかというと、単純に運が良かったんだと思う。

ここ数年の間で、わたしは自分と同じ状況の友人ができ、たくさん話をした。
彼らは聡明で、わたしが悩んだり立ち止まったりした時に話を聞いてくれ、思いもよらなかった角度から物事に光を当ててくれた。
彼らは力強く、その場にとどまってなどいなかった。
事実をまっすぐに受け入れ、状況を分析し理解し、策を練り人生を切り拓いていた。
そして適度な無関心と愛情を持ち、わたしの領域を侵すことなく、ただ静かにそこにいてくれた。


わたしは自分の人生が他人によってめちゃくちゃにされ、損なわれてしまったと思ったし、自分が世の中の「普通」の人間より劣る存在になったと思っていた。
怯むことなく走り続けるような昔のあの強い自分には二度と戻れないし、それは永遠に失われたのだと思った。
 

しかし、それは間違っていた。
 
 

個を個として認識するのではなく、雑なくくりに押し込めて「◯◯はこうだ」と思い込み苦しんでいたわたしの前を、友人たちはしっかりと歩いていた。
決して他人を否定することなく、何度でも「それでいい」と肯定してくれた。
何が良いとも悪いとも断じたりせず、ただ自分が選び決めたことを淡々と進めていた。
その背中を見て、わたしは自分の思い込みの無意味さにゆっくりと気づくことができた。



他人の決めた基準などどうだっていいのだ。
そんなものは考え方ひとつで、いつだってひっくり返せる。

状態に色をつけるのは、自分や誰かだ。
自分と違う考えや能力を持つ他者が同時に存在しているだけで、
優劣さえも本当はそこにはない。

「ただ違う」それだけなんだな、と腑に落ちた。
 
 
 


強がりでもなんでもなく、わたしは失うことで、より多くのものを得られたのだと今では思う。

自分と違う誰かを見たときに、気の毒に思ったりかわいそうだと感じたりする気持ちは昔から極端に薄かったが、今では「この人はこういう人なんだな」思うだけだ。
自分から無関係な誰かに積極的に干渉しに行ったり、おかしいと糾弾したり、気味悪がったりということもない。
もちろん人間なので、例えば見慣れない容姿の人などが歩いていたら反射的にちょっとびっくりはすると思うけども。(都会にいて良いなと思うところは、人間のバラエティに富んでいるところだと思う。母数が大きい分、多様性に触れるチャンスが多い)



過去が間違ってたら、間違ってたと自覚して、正しい方向に進めるように努力したらいいだけだと思う。自分が差別意識を持ってると自覚するのはつらいと思うけど、だからと言って逃げていいわけじゃない。
 

差別はあるし、それはきっと消えない。
残念だけどそれが今の「普通の世の中」だと思う。
だけど、自分が心の中で無意識のうちに蔑んだり「かわいそう」と思っているマイノリティ側に突然なる事だってある。他人事じゃない。
それはいつだって地続きだと意識したほうがいい。例えば事故や病気で、身体や精神に障害を持つ事はある。自分に限らず、近しい人がそうなる可能性もある。
だから、少しずつでも理解しようと手を伸ばしたほうがいいと思う。拒絶をし続けていたら、きっと当事者になった時かなりきつい。


「かわいそう」と憐れむことは、それを自分とは違う異物だと見なす事だし、無意識の、悪意なき差別だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
個を個として認識するのではなく、雑なくくりに押し込めて「◯◯はこうだ」と思い込み苦しんでいたわたしの前を、友人たちはしっかりと歩いていた。
 
 
 
 
夜の底から救い出してもらったわたしは、今度は「箱」の外側に連れ出してもらったのだ。
 
 
 
そこは自由で、風通しが良い。
 
だから次は、わたしの番だ。



 
 
 
 
 
 
 
 
▼夜の底の話▼

 

▼TMO2018 初見感想▼

TMOは内側に留まる者と外側に出る者の話だと思う。
次の感想はまた今週中にでも書く。

 

 

 

推しへの「好き」の31のポイントと、気になる隣のガチ恋事情に答える

 

自分で作った質問に自分で答えます。

 

問1 推しへの好き度(10点満点)

推しはいろいろな面を見せてくれますね。
それぞれの場面で推しのことをどれくらい好きですか?

・板の上………………… 10点
・接触イベント………… 8点
・トラブル対応(板の上以外)… 3点
・仕事への意識………… 8点
SNS…………………… 8点
人間性………………… 10点
・顔、体格……………… 9点

自由記入欄)
好きです!!!特に板の上でのアクシデントにめちゃくちゃ強いところが最高にかっこいい。(でもトラブル対応は色々…色々頑張って欲しい)
 
 

問2 推しへの尊敬度(10点満点)

好きと尊敬は違います。「例えばクズな人間性が好き(尊敬はできない)」などもありうると思います。それぞれの場面で推しの尊敬度を教えてください。

・板の上………………… 9点
・接触イベント………… 6点
・トラブル対応(板の上以外)… 3点
・仕事への意識………… 8点
SNS…………………… 2点
人間性………………… 5点

自由記入欄)
演技に対する姿勢や考え方を尊敬しています。接触イベントはすごく疲れていたりするのが心配になるのでこの点数。
有名人なのでSNSの位置情報などには気をつけてください。まじで。まじで!!!
 
 

問3 推しへの気持ち(親しみ・情)(10点満点)

推しを見るとどんな気持ちになりますか? 時には我が子のように愛しい気持ちが湧いたり、兄弟のように親しみが湧いたりすると思います。それぞれ該当するものがあれば教えてください。なければ自由記入欄に項目の追加をどうぞ!

・知人レベルで見ている……………… ?点
・友人レベルで見ている……………… 4点
・肉親レベルで見ている……………… 0点
・生き別れの双子レベルに感じる…… 7点
・自分の子どものような気持ち……… 4点
・たまに会う親戚目線で見ている…… 8点
・憧れの先輩目線で見ている………… 6点
・かわいい後輩目線で見ている……… 2点
・観察対象(昆虫とか)……………… 10点

自由記入欄)
考え方が面白い、可愛い無垢な男の子!みたいな気持ちでほのぼの観てることが多い。
だから役に入ってる時に「えっかっこいい!!」「うわ、男らしい!!!!?!?」と思って動揺する。千の仮面を持つ男かよ…紅天女を演じてくれよ…
 
生き別れの双子レベルというのは、「ウワーー、言ってることめっちゃわかる!!!」と(一方的に)感じることがあるという意味です。あと観察対象。めちゃくちゃ観察したい。
 
 

問4 もしもなれるなら推しの…(10点満点)

プライベートな質問になってきましたね。回答は任意です。

・友達になりたい……………… 3点
・恋人になりたい……………… 1点
・嫁になりたい………………… 2点
・親戚になりたい……………… 8点
(自分の仕事の)先輩になってほしい……… 0点
(自分の仕事の)後輩になってほしい……… 2点
・ペットにしたい……………… ?点
・関わりたくない……………… 8点

自由記入欄)
推しのことは大好きなんですけど、関わりたくないです。心労で禿げそう。いや、実際に関わるのであればすごく素敵な人かもしれないんですけど、性格的になんかこう …めちゃくちゃ衝突するか意気投合するかの二極では、という感じがする(オタクの妄想)ので、あくまでも俳優として推したい気持ちです。ガチ恋ではないですが、わー、男の人やん!?かっこいい…と思う気持ちはあるので、恋人とか嫁にも若干点数を入れてみました。
そして書いてて思ったんだけど、ペットってなんなんだろう。
 
あ、あと、仕事の先輩後輩にはなりたくないけど、一緒に仕事をしたい気持ちはある。
自分の培ってきた能力で 推しの利益を出したい!!!みたいな気持ち…!!!!
 
 
 

問5 推しへの気持ち分布図

f:id:Bn295:20180406153513p:plain

各ゾーンを上下左右にさらに四分割しています。
16のマスから近いものを1位〜3位までお選びください。

http://tagvote.grinspace.jp/Cb01_Vote?Key=164ccd7c82f64498b4f2786798622813


開票は2018年4月13日(金)10時です。

もしよろしければ是非!!

 

 

こんなかんじです。

他の方の回答も聞きたいので、ブログのネタがなかった場合など是非!

 

と思ったけど、点数をつけるってなかなかやりづらいですね!?

 

 

あなたの「好き」の31のポイントと、気になる隣のガチ恋事情

桜が終わりつつありますね。
この季節だけ白くなった桜の木々をまぶしそうに見上げる人も好きだし、
風が吹くたびに散る花びらも、少し経ってから鮮やかに透き通った新緑が出てくるのもとても好きです。春はいいなあ。寒くないってだけで、気持ちがおおらかになります。



さて、突然ですが本題です。
推しがいる方々に聞いてみたい。


あなたは推しが好きですか?好きじゃないところはありますか?
尊敬していますか?してませんか?
親しみを感じますか?雲の上の人だと思いますか?
もしも関わることができるなら、どんな風に関わりたいですか?


というわけで、質問を考えてみました。
あなたの「好き」がどんな「好き」なのか、もし良ければ教えてください。

聞きたい!!!!!
以下、コピペ用です。画像を使っていただいても構いません。

書き足したいことがあれば自由記入欄をお使いください。 

 

 

 

問1 推しへの好き度(10点満点)

推しはいろいろな面を見せてくれますね。
それぞれの場面で推しのことをどれくらい好きですか?

f:id:Bn295:20180406152958p:plain

・板の上………………… 点
・接触イベント………… 点
・トラブル対応(板の上以外)… 点
・仕事への意識………… 点
SNS…………………… 点
人間性………………… 点
・顔、体格……………… 点
自由記入欄)

 

 

問2 推しへの尊敬度(10点満点)

好きと尊敬は違います。「例えばクズな人間性が好き(尊敬はできない)」などもありうると思います。それぞれの場面で推しの尊敬度を教えてください。

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・板の上………………… 点
・接触イベント………… 点
・トラブル対応(板の上以外)… 点
・仕事への意識………… 点
SNS…………………… 点
人間性………………… 点
自由記入欄)

 

 

問3 推しへの気持ち(親しみ・情)(10点満点)

推しを見るとどんな気持ちになりますか? 時には我が子のように愛しい気持ちが湧いたり、兄弟のように親しみが湧いたりすると思います。それぞれ該当するものがあれば教えてください。なければ自由記入欄に項目の追加をどうぞ! 

f:id:Bn295:20180406153245p:plain

・知人レベルで見ている……………… 点
・友人レベルで見ている……………… 点
・肉親レベルで見ている……………… 点
・生き別れの双子レベルに感じる…… 点
・自分の子どものような気持ち……… 点
・たまに会う親戚目線で見ている…… 点
・憧れの先輩目線で見ている………… 点
・かわいい後輩目線で見ている……… 点
・観察対象(昆虫とか)……………… 点
自由記入欄)

 

 

問4 もしもなれるなら推しの…(10点満点)

プライベートな質問になってきましたね。回答は任意です。

f:id:Bn295:20180406153358p:plain

・友達になりたい……………… 点
・恋人になりたい……………… 点
・嫁になりたい………………… 点
・親戚になりたい……………… 点
・(自分の仕事の)先輩になってほしい……… 点
・(自分の仕事の)後輩になってほしい……… 点
・ペットにしたい……………… 点
・関わりたくない……………… 点
自由記入欄)

 

 

問5 推しへの気持ち分布図

これが実は一番聞きたかった。

 

ところでガチ恋関連記事を読んでからこっち、すごく気になることがあります。 好きなタイプ、好きになるタイプ、付き合ってうまくいくタイプ、付き合いたいタイプ、付き合ってみたいタイプは全部違うと思うというのは前述の通りなんですが、「寝てみたいかどうか」というのも恋や愛に関係なく、独立して成立する問いだと思うんですよ。 推しを隠して語っているブロガーの方などに、ぜひその辺りを聞いてみたい。

愛にも恋にもなりきれない 〜ガチ恋アンサー〜 - 晴れた日のねどこ

 
もともとはガチ恋向けの質問でした*1。あなたの好きはどんな好きですか?
精神的な好きなのでしょうか。肉体的な好きなのでしょうか。

「付き合いたい!」がふわふわしたお付き合いなのか否か。
「ガチ恋じゃないけど機会があれば是非一度」という人もいるのではないか。
あまりそういう目では見ないな…という方もいると思います。
こっそり教えてください。(こっそりじゃなくてもいいです) 

 

f:id:Bn295:20180406153513p:plain

文字が見づらくて申し訳ない…横軸が精神/肉体、縦軸が恋愛感情のあるなしです


便宜的に

  • A純愛ゾーン
  • B大人ゾーン
  • C友達ゾーン
  • Dセフレゾーン

と名付けました。

さすがにこれは本音が言いづらい方も多いかと思うので、
無記名投票フォームを用意しました。
各ゾーンを上下左右にさらに四分割しています。
16のマスから近いものを1位〜3位までお選びください。

http://tagvote.grinspace.jp/Cb01_Vote?Key=164ccd7c82f64498b4f2786798622813


開票は2018年4月13日(金)10時です。

もしよろしければ是非!!

*1:余談ですがもともと記事タイトルを「ガチ恋☆グラデーション」にしようと思ってました。ちなみにきらりん☆レボリューションは見たことがありません

Take Me Out 2018、初見感想

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ネタバレかもしれないところは反転してますが、気になる方は自衛してください。

Take Me Out 2018、初見感想。Twitterからざっくりまとめ。

 

 

登場人物のそれぞれが、自分が良いと思った選択を取る。

保たれていた均衡が破れ「楽園」は失われる。
皆が当たり前のように心に抱える歪み、それがあぶり出されるような話だと感じた。
楽園がなくても私たちは進むしかない。

あやういバランスの上に成り立っていたかりそめの楽園を失い、ラスト、ダレンは歩き出したんだと思う。



人は意図せず他者を傷つける。

例えばジェイソンが話しかけるのは、彼的にはあのタイミングでしかあり得なかった。
だけどダレンの「なぜ今なんだ」という言葉どおり、それは心の底にある差別心が滲み出たような場面だと思う。
ダレンがカミングアウトしたその日に話しかける意味。
チームに移籍して3週間。雲の上の存在のダレンに「話しかけるから今だと思って」「自分は問題ないと思う」と言う理由。

きっと私たちは無意識のうちに、誰かを損ね、傷つけている。




ダレンは頭が良くてメンタルのトレーニングもしっかり行ってるんだろう。だからこそ他人の弱いところを突くことも可能なんだろうと思った。会話の中で他者をコントロールしてイニシアチブを握ることも。
それはもしかして人種による負い目から形成された性質なのか?
他者のコントロールだったり、会話のイニシアチブを積極的に握ろうとするのって、相手を対等に扱おうとしてるなら必要ない。それってこちらが優位に立つための行為だから。そういえばダレンは他者と自分を全く対等に扱っていない。

優位に立とうとする人間は、心の底では自信がないことも多い。

ダレンの自信に満ちたあの言動は、弱さの裏返し、虚勢を張っての部分もあるのかもなと思った。(事実、「楽園」を失い彼は傷ついたし、「シーズンの前と後では全然違う、シーズン前は自信があった」と語っている)

彼の弱さがわからないからトッディは苛立っていたんだろう。
彼の弱さがわかるから、キッピーはダレンと友人だったんだろう。
そしてわかるからこそ、キッピーはシェーンにああいう接し方をしたのかもしれない。



他者を理解できるというのは恐ろしく傲慢な考えだ。
私たちは他人のことなど本当には理解できない。
だからこそ慎重に手を伸ばし、相手に寄り添うしかできない。
そこを見誤り、自分には他者が理解できると思い込めば、事態はおかしな方向に転がり始める。




わたしは2016年版take me outを知らない。
だから、過去のキッピー*1も知らない。だけど味方さんの喋り方に木村伝兵衛ぽさを感じたので、熱海殺人事件を観ていてよかった…。
自信に満ちて聡明で、少し傲慢さがにじむ感じだった。ずるさも。
初見と2度目以降だと見方が変わる役だろうなあ…次観るのが楽しみ…



シェーンを演じる栗原さんの演技がすごく生っぽくて、心がザラッとする。
なんだかすごく「リアルにそこにいる」ような佇まいだった。演技を超えて、生々しく迫ってくるような、アンバランスな存在感。
シェーンの歩んできた道のりを思うと胸が詰まる。シェーンの行動を見た側の気持ちも、シェーンの立場の気持ちもわかる気がする。ある種、ものすごく無垢で剥き出しの役だと思った。
最後に少し語られたシェーンについて。牛乳瓶を一つ残らず銃で砕いたシェーン。その銃口が人間に向けられなかったことが、なんだか逆に、胸を締め付けられるような気持ちになった。





spiさん演じるデイビーの、冷たい手で心臓を掴まれるような声が耳に残って離れない。
外側はかたいけど、やわらかくてちょっと抜け感があるような声で、喋り方はカチッとしてる。抑揚のつけ方がオーバー気味で、吹き替えぽいというか。規範と戒律を守る、有能な男という感じだった…

役が変わるたびに全然違う面を見せてくれるから、もっと見たいなと思う。
止まれない12人の朝倉くんやH12の哲人くんみたいな柔和な面があるかと思いきや、デイビーみたいな四角くてかたい面を出してきて、びっくりするんだよ、spiさんの演技を見てると。

パンフレットにもあったけれど、spiさんは聖と俗、透明と濁りというような両極端な面を併せ持っていると思う。今まで磨いてきた技術で、役にあわせてそれを取り出したり組み上げたりして、わかるように観客に見せてくれる役者さんだなと思う。魅力的で、とても好きだ。
クリスチャンであり*2、日本人とアメリカ人のハーフであり、所属グループでLGBTの啓蒙活動のイベントにも参加したことがある彼は、どんな気持ちでデイビーという役に触れ、どうやってデイビーという男を演じたのだろう。

なんにせよ、親友のはずのダレンを拒否し、罵り、少しも自分の考えを変えようとしない頑なで冷たい声がこわくて仕方がなかった。

こわくて、すごく魅力的だった。
 
 
 
 
またこの舞台が観られるのがうれしい。
はやく観たい。まだ「これはどういうことだ?」っていうシーンも多いので。
 
とりあえず、今感じたことを覚書として書いておく。
あーーー、はやく観たいなあ。
 
 
 
 
そういやTMO観る方は、田亀さんのこのインタビューを読むと何か思うところがあって良いかもしれない。
「ゲイフレンドリーなのに、根っこのところで偏見があるのに気づいていない人です。なんとなく拒否感を抱いている人にはしょっちゅうお目にかかる」
「「あからさまな差別には闘えばいいだけ」という田亀さんが、厄介だと感じているのは、本人も気づいていない偏見だ。」

 わたしはジェイソンにこれを感じた。

 


 
  
 
 
 
▼spiさんに関連してるかもしれない記事▼
ポエムだぞ!!!気をつけな!!!!



 

 

マシュマロとかDMとかいつでも気軽にどうぞ。

ふわふわ好きです。ふわふわして…アタシをふわふわにしてよ!

marshmallow-qa.com

 

*1:関係ないけど、キッピー・サンダーストームってかっこよくないですか。技名か?くらえ!キッピーサンダーストーム!!!本名がクリストファーというのも良い。

*2:2018年現在、彼がクリスチャンかどうかは知らないけれど

他人とどこまで関わるか。歩み寄るとは何なのか〜その①〜

先日書いたこの記事。


これについたコメントからつらつらと考えたツイートをざっくりまとめ。
非常に有益な気づきがありました。コメントくれた人、ありがとうございます。

 

 

まだ他人にうまく共有できるほどはブレークダウンできてなくって、自分だけがわかる考えの塊みたいな状態だけど一旦放流。

この自他の線引きは、おそらく若手俳優オタクの同担意識、マウンティングとも関わってくる部分だと思ってる。(雑に言うと、若手俳優オタクは他者の線引きが曖昧、かつ自分の機嫌のコントロールを他者に依存しているから病むし情緒不安定になる…というのをちゃんと書きたいんだけどなー。マズローの法則、ジョハリの窓、妄想性障害とかと絡めて。ただしアマチュア妄想野郎なので精度は高くない)


 

 

他人とどこまで関わる?

全力でこちらを拒否してる相手に、直接尋ねる形での「歩み寄り」をする必要はないと感じてる。そういう人にとって、こちらは生きた人間じゃなくてただのコンテンツだから。

だけど、「理解できない!自分を否定する奴はクソ!」とハナから決めつけるのは思考停止なので嫌。で、できることといったら「どうしてそんなに嫌がるんだろう?」って想像、推測することしかない。だって、全力で拒否してる相手、しかも理性じゃなくて感情面で嫌がる相手に「なんで?」って聞いてもまともな返事が返ってくると思えない。(嫌悪感程度なら聞く可能性はある、実際聞いたし。その基準はわたしの尺度)

 

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Aさんに話しかける様子を「狂人だ!」と言って晒すBさん



「自分を悪く言う人間Aさんに話しかけた狂人」としてこちらを晒して楽しんでる第三者(Bさん含むモブ)に、「なんでそんなことするんですか?」って聞く必要あるか?
ないな…!

だってそれ、その人たちがもっとおもしろくなるだけで、わたしにはなんのメリットもないもんなー。「ほらやっぱり狂人だ!」ってなるだけでは?

  • まともな返答が返ってくる可能性が極めて低い
  • 問いかけることで相手が喜ぶ
  • わたしは嫌な気分になるのがわかりきっている
  • だけど理由は知りたい

→どうしてだろう?と考えて自分なりの答えを出し、これからに活かす
うーん、やっぱりわたしにできる最大の歩み寄りはこのラインだな。

 

  • わたしを晒す→自分の常識と違うという拒否反応からの行為
  • それを目撃したわたしが嫌な気分になる→揶揄されたという不快感+晒し行為自体が自分の常識と違うという拒否反応からの気持ち

 

正解は気になる。が、おそらくそれはほぼ絶対にわからない。
仮に相手がわたしに向き合ってくれたとしても、そこを明文化して話してくれる可能性は低いと思う(自分の気持ちや行動原理を言葉にして他人に伝える人は極めて少ない)

 

 

「分かり合えない」を「わかりたい」

あーわかったぞ。
「時間と労力をかけて関わるのが無駄(現段階で分かり合える可能性が極めて低いため)」ということのに気づいてはいるけど、ちゃんと自分でそれに納得するための儀式だな。
いつものやつだ!!!

直感では関わっても良いことはないとわかってる。
だけど、どうしてそう感じたのか分析しないと納得できない。直感だけだと自分が信用ならない。だからわざわざ「こうかもな」って仮説を立てる。

それはどこまでいっても仮説でしかなくて、本当のところはわかりはしないんだけど、それでもなんとなく近づいたり理解したような気持ちになれて納得ができる。
何度も言うけれど、これは錯覚でしかない。
だって、これはわたしの仮説でしかないから。

 

 

他人の心の輪郭にふれたい 

誰かの心の輪郭に触れたように感じて興奮する。

突然の暴力にどう対処するか 〜インターネットで殴られたら〜 - 晴れた日のねどこ

 
それはこの場合には当てはまらない。
わたしが興奮できるのは、あくまでもその人の生々しい感情の部分に触れたと感じられた時。
自分で考えた仮説じゃない、それでは意味がない。なぜならそれは、真実じゃないかもしれないから。


生々しい感情が何かっていうと、この話だと「晒す」って行為そのものだったり、ブログでいうと「ネガコメを書き込む」っていう行為そのもの。
それらの行為は、どうしたって何かしら暗い感情が漏れ出てる。
普段は澄ました顔をして「悪いことなんてしません」みたいな人間、きれいごとを言ってるんじゃないかしらって人が、耐えきれずに匿名で石をぶつける、その状況がリアルで生々しくて、めちゃくちゃ良い。

気持ちよくなるために他人を殴ってる、それを自覚してるのか、無自覚に自分を正当化しながらやってるのかはわからない。
だけどその行為は、純粋に本能からの行い。それだわ。本能を抑えきれずに心を剥き出しにしてる姿、それを目撃できたっていうのが興奮する。

 

 

心を剥き出しにして生きる人はきっと少ない

本能って純粋じゃん。混じり気がない。だから好き。

心を剥き出しにして生きてる人なんてほとんどいない。本音や本心を隠してみんな生活をしている。軋轢を避けるため?自分の心を見せるのが恥ずかしいから?否定されたくないから?傷つきたくないから?理由はわからないけど、大多数の人が心に服を着込んで生きてる。
だから怒ってる人とか見るとワー!ヤダー!と思いつつも妙にテンション上がる部分がある。
(少し話がそれるけど、本音や本心と感情ってちょっと違う。一緒くたにしてる人は多いけど。)


レアなんですよね、心を剥き出しにしてる人を目撃する機会って。
だからネガコメも美味しくいただけるのか…。
いや「不愉快〜」とは思うけど、書き込んだその瞬間っていうのは、めちゃくちゃ純粋に、本能むき出しで書き込んだわけでしょ? それが堪らないんだな…。自分の行動が他者の心を動かした!!という達成感がすごいんだな。

つまり、わたしが頭の中を晒す→それに心を剥き出しにして反応する人がいる→(他者の心の輪郭に触れ)わたしの心が動かされる

この構図が良い。(余談ですが、わたしは本音や本心、自分の頭の中を晒しているけど、感情を晒しているかというと、実はそうでもない)

 

 

無防備の純粋さに心を打たれる

これは悪癖だと自覚があるけれど、わたしは泣いてる人見てると笑っちゃうんですよ。
でもこれも多分根本は同じだ。うれしいんだな、その人の剥き出しの姿を目撃できたのが。
この人はいま裸で立ってるんだなと思うと、うれしいし愛しさみたいなのがこみあげるんだなー。

少し疑問なんだけど、子どもが泣いてると「あらあらー!」ってなる人が多いのに、大人が泣いてるとオロオロするのはなんで?あんまり大人は泣かないから? わたしは大人でも同じような気持ちだ…。
あ、でも泣いてる男の人を見たら「だいじょうぶだよー!」ってきゅんとする女の人は多いのでは? よく分からなくなってきたな。
泣いてる男の人を見ると、胸がいっぱいになるよな…。抱きます!みたいな…なんというか…保護せねば…!みたいな気持ちになる…(と言いつつ爆笑したりしてしまうんですけども。そして嫌がられるんですけれども)


あっ!!!無防備!!!そう、無防備!!!!!それ!!!!
泣いてるのも怒ってるのも、裸なんだよ!!!
で、わたし普段から裸でうろちょろしてるので、そういう人を目撃するとワー!この人も服脱いだぞーわーい!って思うんだよ!!(比喩)

 

そもそも脱いでるか、脱がすか

「他人の心の輪郭に触れたように思えて興奮する」というのは「自分の行動で他者の心が動いた」ときなんだな基本的に。
普通に心を開いて話してくれてる人相手だと、話がぐんぐん進むって意味でエキサイティング!と思うけど、快楽という意味での興奮はない。ただ、小学校の時にプールでやった宝探しみたいな、潜ってきらきらしたものを一緒に探すみたいな、そういう楽しさがある。

わたしの推しは以前ブログに「オーディエンスに対して何かをするっていう事に潜在的な喜びがあった」と書いていた。
ほんとそれな過ぎて…。わかる…わかるぞ…!(わかったような気持ちになる患者)
自分の計算した行動によって他者の心が動くのって、強烈に気持ちがいいし、その快感を知ったら抗えないんだよ…(個人の意見・解釈です)

 

 

わたしにとっての「歩み寄る」

質問、意見、異論などがあったらどうぞ、とbioに書き添えてわたしはTwitterのDMを開放している。それは他人と対話がしたいから。
意見が違うもの同士で話をしてみて、新たに違う見方ができればラッキー!と思うので。
それは、お互いの頭の中を見せあって、歩み寄る行為だと思う。


だけどブログのネガコメは、一方的に書き込まれたもので会話のラリーができない。「歩み寄り」ができない。端から相手にその気持ちがないので。
だけどわたしは強欲なので、すべてを養分にして楽しみたい。
だから「歩み寄ったような錯覚」を得るために色々考える。

さっきの心が動かされるって話とは違って、こっちは頭で考えて推測する作業で、また違った楽しみがある。目線を変えてポジティブに捉えたらどうなる?って楽しみもあるし。

 

 

まとめらしきなにか

すごい!ブログって楽しいね!始めてよかった。

人生タイミングが命だけど、これはほんと、今じゃないと書けなかったと思う。

推し事っていう主軸があって、そのまわりをうろちょろしてるから他人に読んでもらえてる。そしてネガコメがつくから色々考えられるんだよなあ、若俳オタクの同担監視的な意味で。
推し事関係なくこういうことを書いているブログだったら、注目すらしてもらえなかったはず。

そして少し前だったら、煽りをもろに喰らって相手の思う壺って行動とってただろうし。
はーー。すごいなー、持ってるなあわたし!!!!(ポジティブ脳)
 
 
この話はたぶん微妙に続くけど、今日は一旦こんな感じで終わります。
 
 
 
 
 

 マシュマロ返信

 

厨二病的には、<選ばれし者>みたいな感じがするので否定されるとそれはそれで残念ですが、残念なのはわたしの脳みそですね。
 

 海外は気軽に心療内科とか精神科にかかるって話を聞いたことがあるけど、日本は根強い偏見がある。ってとこから、そういう診断ってされるのか、されるとしたらどのくらいの頻度でなのか、患者に結果が開示されることはあるのか、というのがふと気になった。

 

たとえばHSPは日本だと診断してくれる病院って確か北海道に一箇所だったと思う。友人が精神科にかかった時、自分はHSPだと思うと話したけど、主治医がそれについてあまりよく知らなかったらしいし。いや、サイコパスHSPだと知名度が違うから同列で語るなという話だけど。

 
Twitterでつぶやいてたら、同じ方?から返信をいただきました。

 ありがとうございます!

 

 

 ※その後DMもいただきました。

 「わたしはこう思うよー」という意見を聞かせていただけるの、おもしろくて好きです。

 

 

 

イッヌーーーー!!!うちのイッヌを褒めていただけてうれしい。

そう、うちのイッヌはかわいいのです…ありがとうございます。

 

 ぬいぐるみ遊びをする患者

 

 
 
 
気軽にふわふわーっとしてください。
ふわふわ好きです。ふわふわ好きです!!!!

男、女、民族としての業。濁流に飲まれ抗い命を落とした女の物語〜ROMALE 感想

舞台Romale感想 晴れた日のねどこ

 

 

 

貸切公演に行ってきました。
1幕の終わりからほとんど泣いてた気がします。
これは無理!もう一回観ないと無理!と追いチケしたので、現段階でTwitterに書き散らした感想をざっとまとめておきます。
ストーリー自体のネタバレはなし。ただしインタビューからわかる程度の内容や、一部のセリフを書いているので、気になる方は避けてください。




ROMALE(ロマーレ)~ロマを生き抜いた女 カルメン
観終わってから後、このタイトルの意味がじわじわと胸に響いた。
ロマーレは  「男」「女」「民族」としての業をそれぞれ背負った登場人物と、愛という濁流に飲まれ抗い、命を落とした女の物語だ。


ストーリーの説明にも出てきた
「私って女はきっとあんたを不幸にする」
この台詞を聞いてから、涙が止まらなかった。

 

 幕間に投稿したツイート

 


カルメンのホセが可愛くなってしまう気持ちだったり、「その瞬間は本当にそう思って」口にした言葉は紛れもなく真実なんだよね。
一途でまっすぐで、だから眩しいホセにどうしようもなく惹かれて、でもどんなに惹かれあってても、これが上手くいかない恋だというのは初めからカルメンにはわかってる。

「楽しませてあげようと思って」
そんなことを言ってホセを遠ざけようとしても、結局は彼に囚われてしまう。
だってもう、惹かれあってたら仕方がない。どうしようもできない。誤魔化せない。

不幸になるってわかっててもホセの手を取ってしまうところに
カルメンのロマとして生きる絶望、諦念、それでも必死に手を伸ばすひたむきな愛を感じて、
涙がこらえきれなかったです。




ホセが伍長としてまとめる部隊の兵士たちは、カルメンを蔑みつつも彼女から目が離せない。
カルメンは誰にでも愛想を振りまいたかと思いきや急に冷たい目で拒絶してきて捉えどころがない。
ロマは「劣った」「卑しい」民族であり、カルメンは「阿婆擦れな女」
だから、俺たちが「遊んでやってる」んだ、そう思わないと多分やってられない、この差別が根付く社会の中で、本気で惚れてるなんて言えない。


だからこそカルメンは、ホセのまっすぐさ一途さが眩しいし怖い。
誰に蔑まれようと、構わない。
だけどホセだけには…という期待。でも分かり合えない絶望的な断絶が二人の間には横たわっていて、その度にカルメンは自分をロマだとまざまざと感じさせられる。

体に流れるロマの血は何よりも強い誇りであり呪縛。
誰よりも自由で気高く、そしてロマの血に囚われ、一生をロマとして生き抜いた女、誰よりも重い業を背負う女・カルメン



抗えないし隠しきれないくらい惹かれあってるのがわかる瞬間って確かにある。
言葉にしなくても、目で、表情で、手のかすかな動きで、何考えてるのか全部手に取るように感じられて、じれったくてたまらなくなるような気持ち。
どうしようもなく惹かれあってるって事実と、上手くいかない未来が分かりきっていることに打ちのめされそうになる。

そんな未来をつゆほども想像せずに、ただただまっすぐに「愛のようなもの」を向けられると、降伏するしかないよね…とカルメンを観て、その決意と、台詞に感じる諦念と少しのずるさに胸が詰まった。


 

自分ではどうにもできない濁流みたいな抗えない力で動きだすのが『恋』 そういうどうしようもない気持ち。 どうしようもないけど諦めているわけではなくて、 「その濁流、泳ぎきってみせるけど?」 みたいな、世界一強くなったような錯覚を起こす気持ち。 (だから気が狂ってると自分で思う)

愛にも恋にもなりきれない 〜ガチ恋アンサー〜 - 晴れた日のねどこ

 

 
 
これは以前ブログに書いた、「恋」について自分が思っていることです。
カルメンが劇中でホセとの二人の関係・気持ちを「濁流」と表現してたんだけど、ほんとに…ほんとにもう…うまい言葉が見つからない…
カルメン、一緒にお酒飲みたいよわたしは…(突然の告白)



というか、この登場人物全員とお酒飲みたいんですよわたしは。
モブ兵士の、階級に縛られながらもカルメンに惹かれ、自分自身の気持ちを否定し、彼女に決して心は開いてもらえないことに対する鬱屈ですら、もはや愛しい。
 
何を言ってるんだ?って感じだけど、恋も性欲もすごくピュアというか、気持ちとして純粋そのものだと思うんですよ。すっぱい葡萄みたいに相手を蔑んだり…という部分の話じゃなくて、自分を突き動かすような衝動というところに焦点を当てると、全然嘘がないと思うんです、人間の感情として。
 
だからもう、登場人物全員に「そうだね、わかるよ」って言って回りたい。
 
 
素晴らしいよロマーレ…ほんと全人類見てくれ…

正直恋愛ものでこんなグッとくる話に出会えると思わなかった。




以下、Twitterに書いたそれぞれの役についてちょこっと。


■スニーガ
伊礼さん、インタビューをみたらスケベな感じに…とかもうちょっと若かったらホセ役が来たかもしれないけど36歳だから(スニーガ役が来た)とおっしゃってて、え!TENTHのときあんな王子様みたいだったのにどうなるの!?と思ったら、スケベな権力者だった…!力で女を服従させるタイプ…! えろい!
権力持ってて周りが自分に従う人ばかりの人って、カルメンみたいな意のままに操れない女大好きだよな!わかるぞ!そういう存在を力でねじ伏せると興奮するんだろ!わかるぞ!!!!(決めつけ)


■ローレンス(太田基裕
思ったより出番が少なかったのがさみしいんですけど、めちゃくちゃ純粋じゃないですか…。カルメンに惹かれつつああいう心情って、浅瀬でキャッキャしてるぶんには楽しいけど深みにはまったらめちゃくちゃつらいやつじゃないですか…
つんと澄ました顔で、ロマの女であるカルメンを蔑みつつもものにしたいと思ってて、なんかでもそれって板挟みじゃんめちゃくちゃつらいじゃねーーーーか!!!!!なんだよ……あと軍服かっこいいです……
一幕のぷりぷり怒ってる太田さんが新鮮でした…落差!!!
 
 
 
 
 

 

 衝動的に追いチケしました。

 
 
また観られるのが楽しみ…。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
一点だけモヤッてるんですけど、東京芸術劇場プレイハウスのS席ってどこまでを言うんでしょうか…
S席と記載されてたけど、1階席の後ろから2,3列目レベルもS席扱いなの…?
と妙に納得がいかず。2階がA席なのかな。それとも貸切公演だと席種も違うのか?と気になってる。真相はいかに。