晴れた日のねどこ

答えの出ないことばかり考えている

STAY WITH ME の伏線 〜spiファンミーティング0910〜

spiファンミ stay with me

 

人は自分に欠けているものを他人に求め、
自分の影を他人のなかに見ると、相手を遠ざけようとする。

そして「あなたのために」と言う人は、
本当は「自分のために」それを叶えたい、
というのがわたしの持論だ。

例えば「君を幸せにしてあげたい」の本当のところは
「相手を幸せにすることで自分も幸せになりたい」んだと思う。
他者への干渉は、善かれ悪しかれ全て暴力だとわたしは思っているのだけれど、
それは「他人のためにこうしたい」と思ったのはあくまでも自分で、
突き詰めればただのエゴでしかないからだ。


前置きが長くなった。

今回のspiさんのファンミーティングは、
愛にあふれたとても素敵なものだったと思う。

開催前からspiさんが運営スタッフを信頼している様子が伝わってきたし、
スタッフの方も一緒に楽しんでいるアットホームな雰囲気だった。
グッズについても事前に意見を聞いて反映してくれ、
海外のファンについても参加枠を作るという
柔軟な対応をしてくれた。

ファンのことを考え、寄り添い、
そしてポジティブで前向きなメッセージを贈ってくれた、
そんなファンミーティングだったと思う。

そのポジティブさの裏の繊細さを読み取って、
不安を感じている人もちらほら見かけたけれど、わたしの意見はちょっと違う。

「見られる側」の業を背負う覚悟も決意もできていて、
その上で、生身のひとりの人間としてspiさんはわたしたちの前に立った、
そんなふうに思った。


いろいろ考えていたらすごく長くなってしまったので、
順を追って書いていく。




まず、ファンミーティング開催前の話。

個数制限の話をしたペリスコでの真摯な姿に、
わたしはちょっとびっくりしてしまった。
言葉を選びながら、それでも画面の向こう側の私たちに
「これが一番いいと思った」と語る姿に、ああ、この人は良い人なんだなと思った。

わたしはspiさんのことを
「明るくてお調子者で恵まれた育ち方をした、ひねくれていない人」のように思っていた。
テンションで押し切る、イケイケのパリピみたいなところがあるのかなーというような。(※1)

その「自分の中のspiさん像」に違和感を感じたのは、
ブログに書いてあった「止まれない12人」の朝倉の組み立て方を見た時だった。

ロジカルで精緻。何より中心に据えられているのが「自分」じゃない。
いや、演劇っていうのはきっとセッションみたいなもので、
誰が前に出すぎてもきっと成立しなくって、だからそれは当然なのかもしれないけど、
まず中心に据えるのが「役」であり「演出家」であり「脚本家」
…つまり「他人」なんだなと思った。

『朝倉(僕がやった役)はどんな人物である”べき”なのか』

一番おや、と思ったのはここで、
この人はスタートの時点から、自分のことではなく、
自分の立ち位置や役割を考えて動こうとする人なのだなと思った。(※2)



それはファンミーティングのステージ別の構成でも顕著だった。

「後列でも楽しめる構成」というのは事前にアナウンスされていたけれど、
まさか本人が客席に降りるなんて思ってなかった。
しかも会場は満員のライブハウスだ。


ステージ冒頭の二曲目の余韻に会場が浸るなか、突然
「後ろのほう、箱あるでしょ?」「俺、そこ立つから」
と言ったspiさんに、みんな呆気にとられる暇すらなかったと思う。
言い終わってすぐにバーを乗り越えて、観客をかき分けてspiさんが会場後方の壇上に立ったから。

びっくりしすぎて当日は何も考えられなかったけど、これ客降りファンサどころじゃない。
尋常じゃない。

わたしは刀ミュでのspiさんのファンサを、安全面から危惧していた。
もちろん、メインキャスト全員が同じ立場ではある。
しかしspiさんのファンサは他と比べて明らかに手厚い。
そして、ちょっとどきっとするようなものが多い。
ライトを浴びて美しく歌い踊る男が、そんな至近距離で自分にファンサをしてくれたら、ちょっとおかしな方向に舵を切ってしまう人も現れるんじゃないか…と勝手にハラハラしていた。
正直言うと「体格に恵まれているし、何かあっても対処できると思っているのでは…?」と思ってた。


でも違った。たぶんそういうことじゃない。
これ、ファンを信頼してるんだ。
じゃなきゃ、満員のライブハウスの客席に降りたりできない。


求められていることを読み取って、自分に提供できるものはなんなのか。
寄り添って、考えて、そしていつだってそれを差し出していたのだ。

相手を信頼して。



CDステージでの「恋におちて -Fall in love-」の説明で
「俺のことを好きな人は、心に痣がある人だと思う」という発言は、すごく印象的だった。
そして、油断できない人だと思った。(※3)

『俺が得意なのは相手とのシンクロ』
『動きや出してる音や空気感をコピーするの得意なんだって自覚がある』
spiさんは以前ブログに書いていた。

他人とのシンクロっていうのは、非常に厄介だとわたしは思っている。
例えば息をするように自然に他人とシンクロしてしまう種類の人間だと、
かなり意識して自分の境界を守らないと、相手の思考が洪水のように流れ込んでくるものだから。
特に、得意な理由として『耳がいいから』とspiさんは挙げている。
耳は目と違って、簡単には塞げない。


「自分のことを好きになる人は心に痣がある」というのは、
spiさんが耳をすませて感じた結果なんだろう。



はじめに書いたけれど、
人は自分に欠けたものを他者に求め、自分の影の部分を他人に見つけると遠ざけようとするものだと思う。
spiさんが見せてくれる「明るく楽しいspi」「やさしいspi」に惹かれる私たちは、
きっと自分に欠けたそれらに憧れているし、求めている。
そんなファンの抱える傷や痣を読み取った上であえて指摘し、遠ざけるのではなく、
「これはそういう人たちのために選んだ曲だ」と話す姿に、
わたしはその場で固まってしまった。
この状況で、この場でそれを言うのかと。

spiさんは「見られる側」の人間で、
つまりそれはいつだって丸腰で大衆の前に立っているようなものだ。
熱い想いという名の独りよがりな気持ちをぶつけられることも度々あると思う。

あなたたちは心に痣を抱えているでしょう?
この、普通ではありえないような距離感と状況での問いかけは、
今まで以上に一方的な想いをぶつけられるリスクを高める行動だ。



私たちは毎日些細なことで傷ついている。
打ちのめされ、疲弊し、心はささくれ立っている。
だけどその傷をなかったことにする人は多い。
認めれば本当に傷ついてしまう。惨めになってしまう。弱い自分を自覚せざるを得なくなる。
だから目を背ける。自分の心を守るために、大したことないと笑い、傷つけた相手を悪く言う。そうやってやり過ごす。

「心に傷を抱えています」なんて、あんまりおおっぴらには言いたくない。
恥ずかしいしなんかかっこ悪いし、ちょっと中二病をこじらせたみたいだし。
でも、spiさんは、あえてそれをした。
自分も同じだと私たちに言った。

ステージの上からじゃなくて。
私たちと同じ場所に降りて。



「糸」をCDに収録した経緯の説明の時に、
spiさんは自分が会場を横断したことを歌詞になぞらえ
「縦の糸はみんなで、横の糸は俺なんです」と言った。
心に痣を持つ「あなた」と
同じように青タンだらけだという「わたし」が、今日出会ったこと。
そこで生まれたやさしい気持ちを持って誰かに接すれば、
それが誰かの傷を庇えるかもしれない。

過去にとらわれず、今日、いま、ここから未来を見つめよう。
そう言われてるみたいだと思った。

自分を傷つけた世界を憎むんじゃなく。


「俺たちが世界を変える!」
そんなことを軽々と言ってのける姿に、この人はなんて人だろう…と思った。
そんなのは綺麗事だ。声高に叫べば笑われる、そういう種類の大言壮語だ。
いつもならそう思う。

わたしたちは明日からもまた傷つくし、打ちのめされる。毎日それを繰り返す。
…だけどそれでも、と思った。

後ろの人が見えやすいようにと自主的にしゃがむ人があらわれて、
「ありがとう、でも後ろのほう大丈夫?きつくない?」と心配するspiさんがいて。

あのライブハウスにいた300人、昼夜あわせて約600人。
その人たちみんながライブハウスを出たあと、昨日よりちょっとだけやさしくなれたら、
そういうやさしさが周りにも広がったら。
…それってちょっと、世界が変わっちゃってない?





何かを生み出す仕事は過酷だ。
自分自身と常に向き合い、自問自答し続けなければならない。
感性と理性を総動員してアウトプットを行う。
走り続け、捧げ続ける。

わたし自身もそれを生業としているのだけれど、
能力の限界から目を背けたくなったり、
自分に嘘をつきながら誰かの心を動かすことに耐えられず、逃げ出したくなったことがある。
「アウトプット=自分自身の人間としての価値」
そんなふうに混同しやすい職だ。

それに加え、俳優は自分自身が商品となる。
常に無遠慮な評価と好奇の視線に晒される。
そんな彼らの決意と覚悟はいかばかりか。
想像すると、途方もない気持ちになる。




「やっと会えたね!!」「愛してる!!」
あの日、強烈な照明を背中に浴びてspiさんはステージに現れた。
満員の客席を見て、大声で、全身で、爆発するような喜びを表現したspiさんのことを思い出す。

「ファンの事が大好きだ」とか、
「みんなが」とか、spiさんはよく言う。

よくあるファンサービスとか、ポーズなのかもしれない。
でもあの日、横浜の小さなライブハウスでその姿を見て、
ペリスコで噛みしめるように個数制限の話をする姿を見て、
わたしは思った。

この人は、誠実でありたい人なんだ。
この人は、ほんとにうれしいし、ファンが好きなんだって。




「今日のルールその3! 友達を作ること!
ちょっと隣の人に挨拶してみて」

冒頭のルール説明のコーナーで、spiさんは言った。
それは「相手を個人として認識し、ひとりの人間として扱いましょう」という意味だ。

はじめから、そこにいる全員を「ひとりの同じ人間として」彼は扱おうとした。
自分も含めて。



…あの日、ファンミーティング2部のラスト、
ステージに戻ったspiさんは、会場の声援を受けながら言った。

「俺もこれが当たり前だと思わないようにしなきゃな」

なんとも言えない顔で笑うその姿を見て、
この人は、そういう気持ちのやり取りで傷ついた事がある人なのかもな、と思った。

どれだけ言葉を交わした相手でも、
一緒にいたいと願ったり誓ったりした相手ですら、
それが叶わず離れ離れになることだってめずらしくないのだ。


\愛してる!/という声援に「今だけでしょ?」と冗談めかして笑ったのは、
きっと本音も混じっているんだろうと思った。


「ファン」なんて移り気だ。いつか絶対にいなくなる。
見る側はいつだって身勝手で、
好きなように見て、好きなように対象を消費する。
それを止めることも、追いかけることもできないのだ。


だったら初めから、傷つかないように心のなかに入れなければいいだけなのに。

あの日見た姿や聞いた言葉はとても嘘や演技には思えなくて、
なんだかすごく、生々しかった。
だけど不思議と悲壮感はなくて、
わたしが感じたのはただただまっすぐな強さだ。

弱さを人前に晒せる人は、強い。


目の前からファンである「あなた」がいなくなることなんて、
きっととっくにわかっていて、その上でspiさんは言ったのだ。

「俺はずっとここにいるから」「いつでも帰ってきていい」

その短い言葉から私が感じたのは、
この場所に身を捧げて生きていくという、覚悟の深さや強い意志だ。




spiさんが言っていたように、わたしも心に痣がある人間のうちのひとりだ。
長くなるので省くけど、わたしはファンミーティングでのspiさんを見て、
なんだか戦場で仲間を見つけたような気持ちになった。

見ている景色や戦う場所は違うけど、自分と同じ戦い方をする人がいるのだ、と思った。


もちろんそれは、わたしの勝手な想像だ。
当然この一連の文章も、
わたしが見た風景を、わたしが感じたように書いただけだ。
観測も答え合わせもできないし、
事実だとか真実だとかは思わない。


だけどそれでもいい。


「わたしがそう感じた」のは事実だし、
spiさんが「そう思えるような景色を見せてくれた」のも事実だ。
だから、あの日のファンミーティングは、

最高のショーでありエンターテインメントだった。(※4)

「このしあわせものめ」
糸を歌い終わったspiさんは言っていた。
本当にそのとおりで、あれは逢うべき糸に出逢えた、
仕合わせで奇跡みたいな時間だったんだと思う。




ここ数日は、ファンミーティングについてずっと反芻していた。
そのなかで、あることに気づき、
伏線がきれいに回収された物語を読んだような気持ちになった。


「あなたのために」と言う人は、本当は「自分のために」それを叶えたい、
というのがわたしの持論だ。

ふと、spiさんはどうなのだろうと思った。
ファンである私たちのことを考え、真摯に向き合ってくれた彼は、
一体何を望んでいるのだろうか。

そこで物販で買ったCDが目に入り、なんだ。と思った。
はじめから、秘密も何もなく、
なにもかも彼は開示していたんだなあと思って、少しおかしくなってしまった。

 


「俺はずっとここにいるから」「いつでも帰ってきていい」
2部の最後にそう言った、彼の今回のファンミーティング、そしてCDのタイトルは
「STAY WITH ME」だ。(※5)

 

 


spiさんのブログの記事のひとつに
「一生よろしくお願いします」というものがある。

 


わたしはまた劇場に行く。
spiさんの姿を観に行く。
そうすれば近くで、側で、ライトを浴びる姿が見られる。

 

 

 

あなたがそう言うのなら、わたしも言う。


「STAY WITH ME」


わたしの、わたしたちの側にいてください。
一生よろしくお願いします。



これがあの日、わたしが受け取ったメッセージの答えだ。

 

 

 

 

 

 

 


※1 ちなみに、それまではSHOWROOMやダイチ呑みの滅茶苦茶なハイテンションなどから「この人は爆撃機のような人間なのか…?  (いや、でも狂人ぽい人って好きなんだよな…)」と思っていた。

 

※2 過去のブログにそういうことが書いてありましたね。恥ずかしながら、その時点ではしっかり読んだり、さかのぼって読んだりしてませんでした。

 

※3 小手先のテクニックじゃなく、生身で飾らず突っ込んでくるような人は油断ならない。こちらも真剣にならないといけない。もはやこれは戦だ。

 

※4 本心であろうと演技であろうと、どちらにせよ素晴らしいし最高だし好きにならざるを得ない…これってトリビアになりませんか?

 

※5 「STAY WITH ME」はシチュエーションにより意味が変わる言葉で、死にそうな人に対してだと「しっかりして」、戦場だと「俺について」だと知って悶絶した。あと、アンサーステージで「好きなタイプは?」について「ついてきてくれる人」とspiさんは答えてましたね。

この質問が1,2部両方に入っていたのも、それに対するspiさんの答えも奇跡では?

あの会場にいた人々は、奇跡の目撃者だったのでは? 割とガチで。

 

 

 

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