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それは『大丈夫』ではない 〜ファーストテイク朗読劇「ナイスコンプレックス」〜

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ファーストテイク朗読劇「ナイスコンプレックス」を観てきました。

これは2006年に実際に起きた事件と、脚本のキムラ真さんの半生を併せて作られた(6/3マチネ、カテコでのキャストの発言より)お話です。

キムラ真さん演出は「止まれない12人」「チャージマン研」を観たことがあるのですが、脚本をされている作品は初めて。

 

ファーストテイク朗読劇というのは

『「一発真剣勝負で、演劇と向き合う」がコンセプト。

上手く見せるに飽きた人にぴったりの偶然から生まれる新鮮劇。

余計な演出を一切排除し、役者が脚本から受けたインパクトをそのままお届けします。』

とのことだったので、観客としても前情報を入れない方が良いだろう…と思い、当日にのぞみました。

ファーストテイク朗読劇についてはまた後述します。

 

 

 

以下感想です。(ネタバレあり)

片親ながら立派に息子・健介を育て上げた母親と、演劇の道を志し邁進する健介。

劇団の仲間や恋人にも恵まれ、演劇のコンクールでグランプリも受賞。すべてが良い方向に動き出した頃、母親の認知症が発覚。

介護に追い詰められるも人に頼ることができず、周囲と摩擦を起こしてしまう健介。彼の変化に気づいた恋人の真紀さえも遠ざけてしまった健介が取った行動とは…

 

あらすじはこんな感じ。

 

推しが演じた主人公・健介はちょっとぶっきらぼうなところがある口数が少ない男でした。後日配信で別キャストの公演も観たのですが、もう少し明るい健介もいました。(同じ脚本なのにこうも解釈が違うのか…とびっくり。役者ってすごい…)

 

今までいろんな役を演じる推しを観てきたけど、こういう終始低めの発声でいつもちょっとだるそう…という切り口ってあんまりなかった気がします。

推しは186センチとかなり大柄なのですが、ビジュアルの時点で勝利が約束されている…と思いました。体格に恵まれた成人男性が見せるやさしさや隙、弱い部分って、見た目とのギャップでぐっと引き込まれる

 

 

 

冒頭で書いた通り、この話は2006年に実際に起こった事件が元になっています。

その事件というのは「京都伏見介護殺人事件

母親の介護のために離職し生活苦に陥った息子が、母親と無理心中をはかった事件です(母親は死亡、息子は一命を取り留めました)

Aは最後の親孝行にとその日の夜から車椅子の母親を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、家に帰りたがった母親に「もう生きられへんのやで。ここで終わりやで。」と言うと、母親は「そうか、あかんか。一緒やで。」と答えた。Aが「すまんな、すまんな。」と謝ると、母親は「こっち来い、わしの子や。わしがやったる。」と言った。この言葉を聞いて、Aは殺害を決意した。
wikipediaより引用。なお、劇中では居住地が北海道に変更されている)

 

この部分は、聞いたことがある人も多いかと思います。

 

事実だけでもかなりしんどいのですが、劇独自の設定として、健介が他人に頼れない理由が母親にあるところが最高にしんどい。

「他人に迷惑をかけては絶対だめ」
「お金を借りてはいけない」
「お金を借りるくらいなら自分の生活を切り詰めなさい」

 

健介は母親のこの言葉を愚直に守り続け、追い詰められていきます。

必死に働き息子の健介を育てた母親の覚悟。それが呪いのように健介を縛り、誰にも頼ることができなかったのは悲劇でしかない。(実際の事件では、その発言は病死した父のものだったそうです)

 

 

推しは台詞がないシーンでも演技をすることが多く、台詞がない時に客席に見せるリアクションや、くしゃっとした笑顔があたたかくて、母親や劇団の仲間が好きなんだとすごく伝わってくるんですね。

在学中から築き上げてきた劇団の相棒との関係に軋轢が生じるも、「ここだけは変わんないで欲しいなあ」とひとりごちるシーンや、自ら恋人を遠ざけようとする姿は、見ていて非常につらかったです。

 

 

一番つらいのは、終盤の母とのやりとり。

些細なことで「昔に戻ってしまう」認知症の母。

普通に会話ができていたと思いきや、突然「十数年前に戻り」、息子が眠っているから静かにしろと言い出したり、健介が作った食事を自分が作ったと思いこみ勧めてきたり。

おむつに粗相をしてしまい「自分は早く死んだ方がいい」と泣き出す母を叱責する健介の声がきっかけで、目の前にいるのが誰だかわからなくなったり…

 

感情を抑えるように胸元に手を当て、自分が誰かわからなくなった母に「(おむつを替えるから)お風呂場、行きましょうね」と絞り出すようにゆっくりと言う健介。母を見送った後、やりきれずその場にしゃがみ込み嗚咽し椅子を殴りつける姿に、涙が止まらなくなりました。

 

 

 

稽古をせず本番に臨むファーストテイク朗読劇は、通常本番では見られない、役者同士が初めて繋がった瞬間に見られるものを届けられると、キムラ真さんは言っていました。

曰く「お客さんが普段観ているのは、いろいろな過程を経て届けられた牛乳。ファーストテイク朗読劇は搾りたてで雑味もあるけれど、その瞬間しか飲めない『本当』のもの」とのこと*1(6月2日スナックキムラなどでも詳しく語られています)。

推しも「台本をあえて読み込まないようにしていた」と言っていました。

だからこそ、役に入り込み、感情が乗った数々のシーンが非常に生々しい。

大きな手で顔を覆ったり、涙を袖で拭ったり、首まで真っ赤にし、泣きながら掠れた声で「どうして」とつぶやく姿に、何度も苦しくなりました。

 

 

『大丈夫』は大丈夫ではない

劇団ナイスコンプレックスのサイトにこんな文言があります。

作・演出をキムラ真が担当し、社会テーマ・実際にあった事件をモチーフに、「考えてもらう」ではなく「知ってもらう」をコンセプトとする。 

劇場のみで完結するのではなく、観客の脳髄に作品の一瞬を焼き付け残し、フラッシュバックさせる作品創りをしている。

 

今回の朗読劇「ナイスコンプレックス」は、一体何を「知ってもらう」ための話か考えた時、劇中に度々登場する「大丈夫」という台詞が思い出されます。

 

まずは母親が健介の恋人・真紀に伝える「大丈夫」
「あのね、健介が大丈夫って言ってる時は大丈夫じゃない時だから。その時は優しくしてあげてください。内緒ね、あの子怒るから」

 

劇団の後輩、港俊太が弁護士・棟木に伝える「大丈夫」
「誰かが大丈夫って言ってたら、それは多分大丈夫じゃないから。大丈夫ってのは自分に言ってんだよね。まだ頑張れる、まだできるって」

 

 

主人公・健介は周囲のいろんな人から「大丈夫?」と尋ねられるたび、「大丈夫」と答えます。そして一人で認知症の母を抱え込んでしまう。

母親から健介のことを聞かされていた恋人の真紀ですら、その「大丈夫」に健介との壁を感じ、伸ばしていた手を離してしまう。

 

この朗読劇は、事件の悲惨さと、「大丈夫」と強がる人の手を離さない大切さを知ってもらうための作品なのではないかと思いました。

 

 

余談

キャストは全員トップスが白いシャツ、ボトムスを黒に揃えていたのすが、推しはそこにシルバーのネックレスとブレスレットをしていました。それがまた主人公の造形に立体感と奥行きを加えていたように思います。無骨でぶっきらぼうだけど、朴訥としているわけではなく、ちょっと色気がある感じ。あえてアクセサリーを付けていたのかは分かりませんが、個人的には健介の人となりがわかる感じで好みでした。

 

演劇って、普段大人が抑えているいろんな感情を舞台上で見せてくれる側面もあると思ってるんですが、今回の推しの演技は本当に胸にくるものがありました。

やっぱり大きい人がぐしゃぐしゃに泣くのは反則だって!!!こっちも泣いちゃう!!!!

 

 

朗読劇がきっかけで、実際の事件についても調べました。かなり詳細に実際の事件をなぞっている部分と、キムラ真さんの半生を描いているであろう部分をときほぐしていく過程が面白かったです(この言い方はなんだか微妙ですが…)。

 

 

今回のspiさんの朗読劇出演は偶然から生まれたとのこと(詳しくは配信「6月2日スナックキムラ」で)。推しのまた違う一面を観られて良かったです。偶然に感謝!!

ファーストテイク朗読劇という特殊な試みなので難しいかもしれませんが、できるなら円盤化してほしいな

 

 

配信は6月30日まで。一度購入したら期限まで何度でも再生可能なので、もし気になった方は観てみてください。(6月18日現在、配信6本+台本が入手できるお得なコンプリートセットもまだ購入できるようです)

 

 

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*1:6月3日マチネカーテンコールより