【19.08.04追記】刀ミュ「つはものどもがゆめのあと」感想と考察
ミュージカル刀剣乱舞『つはものどもがゆめのあと』
東京公演を観劇してきました。
当日券チャレンジもしましたが、東京公演は残念ながら1回のみで終了。
記憶が完全に消えないうちに、感想を書き記しておきます。
ストーリーについては冒頭に。
ネタバレご注意ください。
余談ですが、わたしは歴史がからっきしダメ、
ストーリーを1回で理解できない、軽い相貌失認なので、
衣装が変わると誰が誰かかなりあやしくなります。
特に今回、人間キャストについて致命的な勘違いをしている可能性が高いです。
間違っていたら教えてください。
(あと、割と記憶が怪しくなってきたので、話半分に聞いてください)
ストーリー
新たに顕現した髭切、膝丸を部隊に加え、
平安末期の歴史を守るという使命が下される。
だが、審神者は悩み事を抱えているようで、
髭切、膝丸に二つの密命を下す。
ひとつめは、今剣を見守ること。
どうやら審神者は、平安時代の刀である源氏兄弟と相見えることで
今剣が影響を受けるのを心配しているらしい。
そして二つめは、三日月宗近の動向を監視すること。
源氏兄弟はその真意を測りかねるが、
自ら隊長を志願した今剣の下、三日月宗近、小狐丸、岩融とともに
平安末期へと向かう…
今回は源氏兄弟が密命を受けるということもあり、
全体で動くより個々のパートが多かったです。
三日月←→小狐丸の考え方の対比
(何に重きを置いて戦うのか)、
岩融←→今剣の関係性、成長
(自分と今剣が非実在刀であることに気づく岩融と、自分の存在に疑問を抱く今剣)、
源氏兄弟コンビの調和。
(ふわふわしながらも要所要所で鋭い髭切を狂言回しに据え、
それをサポートするしっかり者かつコメディ要員も兼ねる膝丸)
そこに史実が絡んできます。
1.義経の異母兄弟、頼朝が平氏打倒のため挙兵
2.義経の活躍により、平家滅亡(←このへんを刀剣男士が歌で説明。ミュージカル感!)
3.頼朝と義経が仲違い、鎌倉入りを止められる(←ここで勧進帳)
4.都落ち→自刃(←ここで今剣が義経に名を告げる)
ざっくり書くとこんな感じだと思うのですが(あってます…?)、
その最中、裏で三日月宗近がひとり暗躍します。
三日月宗近の行動
物語の最中、小狐丸は源氏兄弟が密命を受けたことを偶然耳にし、
三日月の行動に疑念を抱きます。
そして彼が泰衡に直接干渉をしたことを知り「それでは時間遡行軍と同じだ」と
三日月を叱責します。
小狐丸も三日月宗近も「歴史を守る」という目的は同じ。
(劇中でもそのことについて触れられています)
ただ、考え方が決定的に違う。
小狐丸が重視するのは「主」。
審神者の命を受け、審神者に従い歴史を守る。
歴史に干渉をする時間遡行軍は「倒すべき敵」です。
一方、三日月が重視するのは「歴史」そのもの。
彼は自分が思う方法で未来へ繋がる歴史を守ろうとします。
結果として、それが「積極的に歴史に干渉する=時間遡行軍と同じ行動」
になったとしても、目的のためには手段を選ばない。
その対立のために二人は刃を交えることになるのですが、
それを止めるのが髭切でした。
「自分と似ているところがある」三日月について、
何を思っているか分かったという髭切は、
小狐丸に「自分を三日月だと思って質問をして」と言います。
そこで語られたのが、三日月と泰衡とのやりとりです。
三日月は、この出陣で藤原泰衡に数度干渉します。
そして「本来あるべき歴史」を全て彼に告げる。
初対面のはずなのに自分は友だと告げ親しげに振る舞う三日月に、
はじめは猜疑心を隠せない泰衡でしたが、最終的には自分の運命を受け入れます。
戦の天才である義経が生き延びると、この先血塗られた歴史が展開される。
正しい歴史を守るには、自分が義経を殺さなければならないという選択を。
義経を殺したくないと苦悩する泰衡が、運命を受け入れること。
自分の死後、蓮の花を供えて欲しい(※)と泰衡に託されるほどの信頼関係を築くまでに、いったい三日月はどれほど心を砕いたのでしょうか。
※泰衡の首桶からは蓮の種が発見され、1995年に発芽、泰衡没後811年後の2000年に開花に至ったそうです。
泰衡は「その気になれば三日月殿は自分を操ることもできたはず」と言っています。
なので、三日月は自分の態度と言葉だけで、彼を正史へと導いたことになります。
そのあたり、ミュージカルの三日月のキャラクターの解釈として、へー!と思いました。(みほとせの石切丸のように、危ない方にふれてしまっているのか? と劇中で思ったところもあったので)
三日月の行動の真意
なぜ三日月は泰衡に新実を語ったのか。
それは彼らが「確かなもの」だからではないか、と髭切は語っています。
(…語ってましたよね? 記憶に自信がない)
三日月や泰衡は「この先も語り継がれ、未来の歴史にも残る確かな存在」です。
三日月宗近というキャラクターは捉えどころがなく、
鋭さと鷹揚さが同居するキャラクターです。
そんな彼の視点は鳥のように全体を見渡せるものです。
歴史には様々な説があります。
未来に生きるわたしたちには、それが史実なのか伝承なのかを確かめる術はありません(確かめるために学問が発展したのだろうな、と思います)
三日月宗近は、史実と違う行動も意に介さない。
最終的に自分の知る歴史を守れればいい。
結果が同じならば多少の違いは異説として処理されるし、
自分が未来に存在することには変わりがないからです。
歴史は水のようなもの。
湧き出た水は流れ、分岐することがあっても、最終的に海へとたどり着く。
三日月が守りたいのは、その最終的な部分です。
一方、小狐丸は伝承の刀です。
(その名を冠する刀は複数存在し、現存するものもありますが、小狐丸そのものは伝承の刀であり、現在行方不明です)
だから、積極的にその時代の人物に干渉する三日月の行動とは相容れない。
それは「歴史のif」であり、その行動により自分自身の存在が危うくなる可能性があるからです。
おそらく小狐丸は無意識にそれを悟っている。
だからあそこまで審神者に傾倒するのではないでしょうか(個人の考えです)。
そして髭切。
彼もまた劇中で語られる通り、不確かな存在です。
髭切、膝丸ともに、その名を冠した刀は現存しています。
ただ「それが確かに髭切/膝丸なのか」は曖昧です。
伝わる逸話が本当のものなのかどうか。
そして現存するものが、果たして本当に歴史に登場した刀そのものなのか。
今回のストーリーは、その不確かさを逆手に取ったものでした。
三日月宗近が藤原泰衡に干渉し、義経を殺すように告げた瞬間、
髭切の脳内に「新たな記憶」がうまれます。
その時、泰衡が帯刀していたのが、髭切の本体だったからです。
不確かではあるけれど、現存している(とされる)髭切。
千年の時を生き、三日月宗近と同じく達観した視点を持つ彼は、
今回の三日月と小狐丸の意見をつなぐ存在として機能しました。
非実在刀、岩融と今剣
同じ時代に存在したはずの源氏兄弟と岩融。
しかし岩融は、源氏兄弟の記憶がない。
それに疑問を感じ、彼は一つの仮説に至ります。
「自分と今剣は、実在しない刀なのではないか」
源氏兄弟の行動が、今剣を苦しめるものなのではないか?
と思った岩融は、今剣を苦しめないでくれ、あやつはまだ子供なのだ、
と二人に告げます。
岩融と今剣は、舞台序盤、
本丸の他の男士に見せるために勧進帳の稽古をしていました。
弁慶が義経を打ち据える場面で、岩融は
「演技であろうと今剣を打つなどできん!」
と稽古の手を止めてしまいます。
物語中盤。
岩融の想いに気づいていた三日月は、
実際の弁慶と義経の姿を彼に見せます。
それはまさしく、自分が途中で稽古を止めた勧進帳、その場面でした。
弁慶は容赦なく義経を打ち据えます。
関所の門番が「これ以上やったら死んでしまう!」と声をあげるほどに。
関所を通るため、主君に手をあげる弁慶。
彼を信じて耐える義経。
そして、二人の正体に気付きながらも見逃した門番。
三日月は岩融に、
見守り保護することだけが優しさではないこと、
そして今剣は岩融が思うよりも成長しているのではないかと告げます。
物語後半。
自刃直前の義経と再び会った今剣は、自分の名を名乗ります。
(逃げる義経と弁慶を一度助けていた今剣と岩融は、名前を問われ「名乗るななど持たない」と答え、「次に会った時に名を名乗り会おう」と義経に言われています)
「今剣と申します。この名前に聞き覚えはありませんか?」
それは、自分が実在したか否かが判明する問いです。
義経は、初めて聞く名だ、しかし覚えておこう、と今剣に告げます。
「義経公の守り刀」をアイデンティティとし、刀剣男士として顕現した今剣。
おそらく阿津賀志山の頃の今剣であれば、その質問を義経に投げかけることはできなかったでしょう。
ミュ本丸では確実に時間が流れている、と今回感じました。
みほとせで今剣の「きらきら」を物吉くんが歌ったりなど、
若干のクロスオーバー感(同一本丸なのでこの言い方が正しいのかは謎)がありましたが、
今回は完全に、阿津賀志山があっての作品でした。
ミュ本丸についての考察(ややネタバレ含)
三日月は、今回の出陣で初めて泰衡に接触した際、
彼に対し友のように振る舞いました。
そして、過去に幾度も泰衡に会い、言葉を交わしたかのような発言をしています。
このことから、三日月宗近は今回だけでなく、
何度も時間遡行を繰り返している可能性が高い。
おそらく過去の出陣でも審神者に告げず、単独で歴史に干渉していると思われます。
(それに気づいたため、または刀剣男子の成長のためなどの別の思惑があり、源氏兄弟に密命を下したのではないかと思います)
そしてここからは完全に憶測なのですが。
ミュ本丸…ほかの本丸の存在も示唆していません…?
私がそう思ったのは、
三日月が過去に時間遡行を繰り返し、
泰衡に接触したのが一体いつなんだ?と疑問に思ったからです。
果たして同一時代にそんなに何度も三日月は出陣したのでしょうか?
真っ先に思ったのは、
三日月宗近の記憶は他本丸と共有、クラウド化されてるのでは?ということでした。
刀剣男士の顕現に、刀の実存は問いません。
事実、今回の話で、ミュ本丸での今剣は非実在刀だと証明されています。
つまり本丸が複数あれば、その本丸の数だけ刀剣男士自体は顕現可能です。
そして、ミュ本丸の刀剣男士は、はっきりと口にしています。
「集まってくれた、たくさんの主たち」
「今日は主たちを楽しませるために頑張っちゃおうかな」
これまでのシリーズも含めた2部のライブで、加州清光単騎出陣で、
彼らは観客を審神者と言い、主が複数存在していることを明言しています。
つまり、わたしたちが見ている「あの本丸の刀剣男士」以外にも、
別の本丸があると、本人たちが知っている。
わたしは、その別の本丸の三日月宗近と、
この本丸の三日月宗近が
記憶の共有をしているのではないかと思いました。
泰衡と会話を交わし、過去に親交を深めたのは、ほかの本丸も含めた数多の三日月宗近たち。
何かの手違いで「あの本丸の三日月宗近」は、
その記憶を有してしまったのではないか?
三日月宗近は知りすぎてしまった、 それは「刀剣男士」そのものについてを指しているのではないか、とわたしは今回の舞台を観て思いました。
刀ミュシリーズのイメージビジュアルは、季節をモチーフに展開されてきました。
阿津賀志山は春。
幕末天狼傳は夏。
三百年の子守唄は秋。
そして、今作は冬。
次回作は一体どうなるのだろう?
ここまで集客が見込めるコンテンツが、この4作で終わるとは考えづらいしな…
とぼんやり考えていました。
完全に妄想ですし、可能性は低いと思いますが、
次回作からは他の本丸の存在や政府について…
「刀剣乱舞」の根幹に関わる設定の部分についてのストーリーが出てきたら、
とても楽しそうだなあと思いました。
大所帯になってきた今、
「他の本丸の刀剣男士」としてなら、
やむを得ない事情によるキャスト変更も抵抗が薄れそうですし、
同じキャラクターが同時に二振り登場する、
なんていうのも楽しそうです。
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2019.08.04追記
葵咲本紀を観てきました。他本丸説はなさそうですね。しかしまさかここで、つはものの伏線を回収してくるとは…
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演技やキャラクターについて
今作は今までで一番ミュージカルしてる…!と思いました。
今までの刀ミュは、お話の中に歌唱パートが組み込まれてるという印象でしたが、
今回は歌でストーリーを語るシーンがある。
残念ながらわたしは歴史がわからないのとヒアリング能力が低いので、
「わあー、歌いながら歴史を説明してるぞーー!」というような
小学生の作文みたいな感想になってしまうのですが、
耳がよく、歴史も分かる人ならより楽しめるんじゃないでしょうか。
※本当に歴史がダメなので、「与一!ドリフターズで見たやつだな!?」みたいな感想しかもてない。学がない。
以下はキャラクターについて。
三日月宗近(黒羽麻璃央)
歌唱力がパワーアップしてました。
今までわたしはどことなく儚さを感じていましたが、
今回はそれを感じませんでした。
そしてあれ?と思ったのは、演技の感じが今までの三日月と違う…?
というところでした。
ミュージカル刀剣乱舞の三日月宗近は、王子様感が漂うというか、
鷹揚としつつも美麗な青年、という印象を持っていました。
だけど今回は、なんだかしゃべり方も違うし、今までの飄々とした感じが薄い…?
上手く言えないので、ここはまた次の機会にじっくり見たいです。
(あと、らぶフェスはどんな感じの三日月で来るんだろうか…!)
小狐丸(北園涼)
圧倒的な声量に度肝を抜かれました。
すごく安定してる。
安定しすぎて、あれっ?これ今歌ってる? 録ったやつを流してる?
と本気で思いました。
さすが2度目の小狐丸という感じで、
衣装のさばきかたもとてもきれい…
三日月との殺陣のシーンは息を呑みました。
翻り、ふわりと広がるふたりの着物の袖に見とれていたので、
荒っぽいと他の方がおっしゃる肝心の殺陣を見れてない!
次にじっくり見ます…!
岩融(佐伯大地)
今剣を静かに見守るポジションなので、今回はやや陰が薄い印象でした。
でも、長物を扱う姿が堂々としていて素敵…!
薙刀伸びてません?気のせい?
パワフルに、力で押し通るような歌唱が印象的でした。
そして2部!2部の大地くんはとても良いですね…!
体格がいいので、踊る姿がとても映えます。
フードを被った衣装が非常にキュートです。
衣装を翻すところもかっこいい。
良い…(語彙力がない)
今剣(大平峻也)
初めの歌唱シーンで鳥肌が立ちました。
劇中劇ということで印象が異なるというのもあるのですが、
艶っぽさがにじむような歌声でした。
そしてやはり身軽!
息を切らさず舞台の階段を数段飛ばして飛び降りるところなど、
天狗の子なの…?と思いながら見ていました。
可愛らしさもあるのですが、
今作では大人っぽくもあり、芯の通った印象を受けました。
あとファンサが…かわいすぎる…死。
源氏兄弟(三浦宏規&高野洸)
なぜこの二人はまとめてなのか。
…どこを見たらいいのか混乱して、あまり見られなかったからです!!(悔)
ふんわりおっとりしつつも、戦いでは残忍な髭切。
兄者に翻弄され、名前を呼んでもらえず涙を拭うコミカルさを見せたかと思えば、
ダンスがあまりにもキレッキレな膝丸。
ふたりの歌唱シーンは度肝を抜かれました。
ラ、ラ、ラ、ラップ!!!!?????
2部も同じくラップがあり、これはもうアイドル?
美麗なアイドルでは?
そのうえ身体能力が高すぎて、見ていて混乱しました。
次…次は固定で追いたい…!!
膝丸は客降りで至近距離を風のように走り抜けて行きましたが、
そこがまた良かったです。
兄者以外にそこまで愛想よくしない感じ…!
あと、アイラインが美しかった。
武蔵坊弁慶(田中しげ美)
弁慶さま好きです。力強い。かっこいい。
今回は弁慶さま祭りという感じで(?)、
屈強な男好きとしては大歓喜です。
2部で弁慶さまがキュートなお歌があって、そこも満足。
お召替えもたくさん見られて幸せです。
出番が多くてうれしい。
しげ美さんかっこいい。好き(語彙力)
まとめ
今回、はじめてTDCホールに行ったのですが良いですね…
第一バルコニー、かなり見やすかったです。(他の席だとまた感想が変わりそう)
舞台上に落ちる照明もとても美しい。
これは高さがあるこの会場ならではなのかもなあと思いました。
そして客降りも今剣ちゃんと膝丸が来てくれてうれしい。
今剣ちゃんは全方位的にファンサをバシバシと決めていて、
審神者のハートを撃墜していました。
目隠しからのふくれっつらとか、投げチューとか。
罪な子…
次はストーリーを反芻した上で、
それぞれのキャラクターの心情を想像して
演技をしっかり見たいなー!と思います。
(初回はストーリーを追うので精一杯で、あんまり色々見られないので)
そして2部! ダンサーさんも見たいから本当に目が足りません。
一体どうすればいいのか。
あと数回観たいけど、東京凱旋は当日券も出ないし難しそうですね…
千秋楽じゃなくてもライビュやってほしいです。
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やばい人はガチでやばい。せめて隠れてやりましょう。
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手紙を書くときのTips。内容以外で気をつけることについて。マシュマロ返信で印刷方法追記しました(2019.05.29)
全人類ブログを書こうぜ。感想を言うのはこわくないぞ。
これから書きたい記事・最近書いた記事(2019.08.04更新)
今回振り返ったものは一旦整理&円盤後の感想へ
・わたしたちはパトロンにはなれない〜誰のための推し事か〜 ★★☆
・わたしは舞台に何を求めているのか〜舞台はテーマパーク、ディズニーととしまえん〜 ★★★★
・イベントってどうすればみんなが幸せになれるんだろうね? ★★★
・オタクと推しと自意識と〜事実と妄想、自覚と無意識〜 ★★★★☆☆
・わからないボックス運用方法
・「お前だって誰かを踏みじにって生きている」 ★★★★☆
・わたしたちは推しを消費している〜ファンと応援というグロテスクな構造〜 ★★★☆☆
・自分の意見を伝えるのが怖いあなたへ〜全人類ブログを書こう〜恐怖や悪意との戦い方 ★★★★★★☆
・キャバクラ・ホストで例える推し事について★
・【気をつけろ、プレの話は燃える】着用報告=自分は推しに気に入られている なのか?★
・BBA、アスペ、メンヘラ 〜スラングを使う心理とデメリット〜
・高額転売に怒る茶の間を揶揄するオタク、視野狭窄になっている
・要望を伝えるのは悪なのか?〜肯定しか許されないという地獄〜★
・『普通』じゃない=劣っているという思い込み故に生まれるモンスター
・推しに親しい人がいたらどう思う?マシュマロ返信
・現場用コスメアイシャドウ記事
・同担拒否と同担歓迎
・著作権とローカルルール(ジャニーズと宝塚と俳優)
・演劇と役と人種について
舞台、イベント感想
・メサイア トワイライト ー黄昏の荒野ー感想 ★★★★★★★★★★☆☆(たぶん次作とあわせて、メサイアシリーズ全体の感想にします)
・黒ステ感想★★
・spiファンイベント「Nonfiction」感想(ネタバレなし)
・トルツメの蜃気楼感想
★ありがとうございまます。★が引用スター、☆がマシュマロで現状いただいてるリクエストです。(2019.8.4現在)
気軽にどうぞ。だいたいTwitterで答えてます。
回答スタンスは「丁寧なものには丁寧に、無礼なものにはそれ相応に」
悪意があると感じたもの、無礼なマシュマロなどは有料noteで答えます。(先人の知恵に習う)
こまめに確認してないので、急いで何か聞きたかったり議論討論したかったらリプかDMをください。 ふわふわなのうれしい(甘え)
▼ツイ廃です▼
気軽にフォローするとTLが埋まります。 が、ブログにまとまる前のあれこれが読めます。きみはこのツイの量に耐えられるか!?
11月現場覚え書き。デパート!、キンプリ、刀ミュ、ウエアハウス
一日置きくらいに見られると一番幸せな気がします。反芻する暇が欲しい。
ネタバレしない程度に一旦軽く吐き出しておきます。
デパート!
笑って泣けて、心があたたかくなる作品。
全員の歌唱力が高くて、心がふるえる。
どのキャラクターにも感情移入できた。
Wキャストでキャラクターの違いを楽しめるのもいいなー。
大好きな作品になりました。
仕事や才能、人間関係について考えられる。
急遽チケットを増やしたけど、できればもっとたくさん観たいと思った。
生演奏というのも最高に贅沢!
舞台KING OF PRISM Over the Sunshine!
大好きな大好きな作品の舞台化!うれしい。
再現度が異常すぎる。なぜそんなにも再現した。
クレイジーすぎる(褒めてる)
星元裕月さんが本当に本当に!美しすぎる。
妖精とか天使みたい。
spiさんのアレクがセクシーすぎました。たいへん。
ただ、応援上映は個人的に複雑。
応援はキャストがコールを求める場面と
ライブシーンだけでいいかなという気持ち。
わたしは川崎チネチッタの民なので、バルト9系の民とは相容れない…。
(ミナトさんがシン君に「セロリかー」というところで「ちがうよ!」とコールした人がいて、真顔になりました。シン君の話をしているのであって、あなたの好みは聞いていません…!)
ミュージカル『刀剣乱舞』〜つはものどもがゆめのあと〜
三条キャストが2回目ということもあって、掘り下げてきたな…!という印象。
1作目の復習と、歴史の勉強をして行ったほうがより楽しめそう。
今作はミュージカル感が増してた。
そして膝丸の身体能力やばい…
バルコニー席なので心配だったけど、
ファンサ的にはアリーナ席より美味しかったかも。
舞台上に落ちる照明もとても綺麗。
とにかくチケットが取りづらいので、千秋楽以外もライビュして欲しいくらい。
2部はキャストもそうだけど、ダンサーさんも追いたいので目が足りなさすぎる。
しげ美さんの出番が増えててとてもうれしい。すき。
わたし個人の問題として、相貌失認の傾向があるので、
しげ美さん以外の人間キャストが
誰が誰かわからなくなるという致命的な弱点がある。つらい。
(歴史が全然わからないので、さらに)
ウエアハウス
これ、どう処理したらいいか自分の中で答えがまだ見つからない。
この舞台のことを考えるたび、心がざらざらする。
衝撃的な舞台だった。
味方さんの視線が、手の動きが、表情が、目に焼き付いて離れない。
3人の会話の中で生じ、積み重なる違和感にゾクゾクした。
もう少しじっくり考えたい。
このくらいのキャパが初めてだったのですが、新鮮でした。
まだ回数が増える舞台もあるけど、取り急ぎ覚え書き。
後日ゆっくり書きたい。
灯りをつなぐように
命は、大切だ。
命を、大切に。
そんなこと、何千何万回言われるより、
あなたが大切だ。
誰かが、そう言ってくれたら、それだけで、生きていける。
昔やっていたCMだ。
顔の見えない「誰か」に向けての言葉じゃなく、
ただひとりの「あなた」に向けての言葉は、
いつだって、まっすぐに胸に響く。
表裏があり、言動に食い違いがある人が理解できなかった。
信じられなかったし、信じたくもなかった。
嘘をつき、迎合し、
自分をごまかしてまで他人とつながりたくはなかった。
それは相手を軽んじて、馬鹿にすることにほかならないからだ。
できるのは、誠実であろうとすることだけだった。
傷つくことすら選べない臆病者にはなりたくなかった。
嘘をつかず、ごまかさずに他人と向き合うのは裸で往来を歩くようで、
嗤われたりじろじろと見られたりした。
気味悪がられたり、石をぶつけて喜ばれた。
そのたびに、心はぐしゃぐしゃになった。
「まっすぐすぎる」
何人もの人間から言われたその言葉の真意は様々だった。
見慣れないものへのとまどい。
嗜虐性が垣間見える好意。
そのやり方で傷つきはしないかという心配。
そして、わたしのやり方に傷ついた人の、ふるえるような呻き。
結局のところ、わたしも同じように、
きっと何度も他人を傷つけている。
だけど違うやりかたなんて思い浮かばなかった。
ただただ、心の底から誰かとつながることを諦めたくなかった。
痛くても良かった。
嘘をつきたくなかった。
みんながやっているように、わたしも誰かと笑ったり、
他人と一緒にいたかった。
そばにいてほしかった。
あの日、客席に降りて、
自分も含めた全員を同じひとりの人間として扱おうとした
彼の姿を思い出す。
おそれずに弱さを晒し語りかける姿は、
暗闇を照らす光のようだった。
傷ついた記憶も傷つけた事実も、
なかったことにはできない。
けれど、
「誰か」じゃない、いるかどうかさえわからない、
ただひとりの「あなた」を求めた夜の底で、
他人とつながることを諦めたくなくて
吐き出すように泣いたいつかの自分に、
そっと寄り添ってもらえたように感じたのだ。
おかしな話だと嗤われてもいい。
時間を超えて、いつかの祈りは通じたのだ。
だからあの日の彼の姿を、
わたしはきっと何度も思い出す。
これから先のわたしの祈りは
あの日手渡された灯りをつなぎ、
「あなた」を照らし、手を引くことだ。
もうここは、ひとりきりでふるえた夜の底じゃないから。
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奇跡みたいな時間でした。
他人との違いや、それをどう取り扱うか。
spiファンミーティング「STAY WITH ME」のレポはこちら
宝石の目 -裏側-
宝石の目
宝石のような目をした人に会ったことがある。
日本人でも稀に緑がかった目をした人はいるが、
彼は緑や青や黄色のかけらが散りばめられたような目の色をしていた。
はっきりと聞いたことはないけれど、
肌や髪の色、骨格や顔立ちは東洋人のそれだったから、
西洋との混血というわけではなかったんだろうと思う。
初めて会話をした日に、その目の色の美しさに息を飲んだ。
だけど、最後に会話をした日まで、それについてわたしが褒めることはなかった。
それが彼を傷つけるかもしれないと思ったからだ。(※)
美しさというのは、わかりやすい力だ。
その力に圧倒され、抱えきれなくなったとき、心に湧いた称賛の気持ちを相手に伝えたくなる。
だけど、いつだってそれには覚悟が必要だった。少なくともわたしには。
その称賛は「あなたは異物だ」という宣告にも繋がるからだ。
悪意に満ちた侮蔑が人を追い込むことは誰にでもわかる。
だけど、称賛が人を孤独に追いやることに気づいている人は、きっと少ない。
美しさも醜さも、突き詰めれば等しく呪いだ。
そのどちらもが「自分と相手は違う存在だ」という宣言には変わりがない。
この国では、他者との違いはギフトとしてより、きっと呪いのように感じることが多い。
宝石のような目をした彼について話をしたら、
「それは言っても良かったと思う」と言う人がいた。
あなたのその言葉が、その人の宝物になるかもしれないからと。
そうなのかもしれない。
もしまたどこかで逢うことがあれば、
「相変わらずきれいな目だね」なんて
軽い調子で、無邪気なふりをして言えるかもしれない。
今なのか、未来なのか、それがいつかはわからないけど、
その言葉が彼の宝物になる日がくるのかもしれない。(※1)
だけどわたしには、まだ答えが見つからない。
やっぱり、それを伝えるのは、少し怖い。
先日参加したspiさんのファンミーティングで、
少し気になった言葉がある。
a thousand miles でノリ方を教えてくれたとき。
言葉がよくわからない、と笑いながら言ったとき。
「俺って外人だから」
明るく言ったその言葉に、少しだけ胸がざわついた。
そしてステージから客席に降りたとき。
「実在するよ! 俺って人間なんですよ!」
そう笑った姿に、息が詰まった。
舞台でライトを浴びる人は華やかだ。
同じ人間じゃないみたいだ、そう思う。
いかに「異物」として振る舞い、
「特別な存在」として自分を他者に認識させるか。
時間や能力を投入し、自分自身を武器として戦う場所で
そう思わせるのはきっと必須で、
なのにわざわざ客席に降りて話す姿は
何度も何度も「あなたとわたしは同じだ」と言ってるみたいに聞こえて、
だから、なんだか、どうしていいかわからなくなってしまった。
私たちが美しいと感じる彼の容貌は、
ブロードウェイで一度「アジア人だから」と言い渡されたものだ。
めぐまれた大きな身体も、
彫りの深い顔立ちも、
ピンクがかった白い肌も、
トパーズのような目も、
私たちから見たら私たちと違うように見えるのに、
なんだか不思議だ。(※3)
「俺って外人だから」
それはただ、違いを端的に表すのに便利な言葉だ。
言葉というのは、気持ちのぜんぶを掬いきれない。
いつでも何かが少しこぼれる。
それを知っているから、なんだか落ち着かない気持ちになる。
そして、だからこそ、やっぱり少しだけ考えてしまうのだ。
自分と同じだと思っていた相手に、
「あなたとわたしは違う」と言われたときの気持ちを。
自分自身を武器として戦うならば、
他人との違いは当然有効な手札のひとつだ。
昔すれ違った人には伝えられなかったけれど、
自分自身を晒して戦う、その覚悟を決めた人たちには
積極的に伝えたいなと思う。
なるべく大きな声で、聞こえるように。
惜しみなく。
あなたは素敵だ
あなたが好きだ
あなたのことをみていたい
あなたが授けられ、
錆びないように磨いてきたその武器が、
あなたの道を切り拓き、
あなたを守る力になりますように。
宝物になるようなものかはわからないけれど、
選んでくれたその道を照らす光のひとつとして
この言葉が届けばいいなと思う。
※
彼の目はオパールのように美しい色をしていた。
可能性のひとつとしてだが、疾病により後天的にその色になった場合、本人の中で折り合いがついていない場合もある。
また、薄い色の虹彩は光に弱く、サングラスで目を保護しないと難儀するという人物も知っている。
※1
かけた言葉が宝物になりすぎた場合、意図しないかたちでの好意を向けられることもある。
容姿に関しては、善かれ悪しかれ、あまり触れないのがスマートだというのが私の持論だ。それを武器にしているタイプの「一般人」には場合により言うことはあるけれど。
あと、脱線する(し、自分の中でのイレギュラーではある)けど、褒めて欲しいオーラを出す人を褒めると大層かわいい顔をして喜びますよね。すき。
STAY WITH ME の伏線 〜spiファンミーティング0910〜
人は自分に欠けているものを他人に求め、
自分の影を他人のなかに見ると、相手を遠ざけようとする。
そして「あなたのために」と言う人は、
本当は「自分のために」それを叶えたい、
というのがわたしの持論だ。
例えば「君を幸せにしてあげたい」の本当のところは
「相手を幸せにすることで自分も幸せになりたい」んだと思う。
他者への干渉は、善かれ悪しかれ全て暴力だとわたしは思っているのだけれど、
それは「他人のためにこうしたい」と思ったのはあくまでも自分で、
突き詰めればただのエゴでしかないからだ。
前置きが長くなった。
今回のspiさんのファンミーティングは、
愛にあふれたとても素敵なものだったと思う。
開催前からspiさんが運営スタッフを信頼している様子が伝わってきたし、
スタッフの方も一緒に楽しんでいるアットホームな雰囲気だった。
グッズについても事前に意見を聞いて反映してくれ、
海外のファンについても参加枠を作るという
柔軟な対応をしてくれた。
ファンのことを考え、寄り添い、
そしてポジティブで前向きなメッセージを贈ってくれた、
そんなファンミーティングだったと思う。
そのポジティブさの裏の繊細さを読み取って、
不安を感じている人もちらほら見かけたけれど、わたしの意見はちょっと違う。
「見られる側」の業を背負う覚悟も決意もできていて、
その上で、生身のひとりの人間としてspiさんはわたしたちの前に立った、
そんなふうに思った。
いろいろ考えていたらすごく長くなってしまったので、
順を追って書いていく。
まず、ファンミーティング開催前の話。
個数制限の話をしたペリスコでの真摯な姿に、
わたしはちょっとびっくりしてしまった。
言葉を選びながら、それでも画面の向こう側の私たちに
「これが一番いいと思った」と語る姿に、ああ、この人は良い人なんだなと思った。
わたしはspiさんのことを
「明るくてお調子者で恵まれた育ち方をした、ひねくれていない人」のように思っていた。
テンションで押し切る、イケイケのパリピみたいなところがあるのかなーというような。(※1)
その「自分の中のspiさん像」に違和感を感じたのは、
ブログに書いてあった「止まれない12人」の朝倉の組み立て方を見た時だった。
ロジカルで精緻。何より中心に据えられているのが「自分」じゃない。
いや、演劇っていうのはきっとセッションみたいなもので、
誰が前に出すぎてもきっと成立しなくって、だからそれは当然なのかもしれないけど、
まず中心に据えるのが「役」であり「演出家」であり「脚本家」
…つまり「他人」なんだなと思った。
『朝倉(僕がやった役)はどんな人物である”べき”なのか』
一番おや、と思ったのはここで、
この人はスタートの時点から、自分のことではなく、
自分の立ち位置や役割を考えて動こうとする人なのだなと思った。(※2)
それはファンミーティングのステージ別の構成でも顕著だった。
「後列でも楽しめる構成」というのは事前にアナウンスされていたけれど、
まさか本人が客席に降りるなんて思ってなかった。
しかも会場は満員のライブハウスだ。
ステージ冒頭の二曲目の余韻に会場が浸るなか、突然
「後ろのほう、箱あるでしょ?」「俺、そこ立つから」
と言ったspiさんに、みんな呆気にとられる暇すらなかったと思う。
言い終わってすぐにバーを乗り越えて、観客をかき分けてspiさんが会場後方の壇上に立ったから。
びっくりしすぎて当日は何も考えられなかったけど、これ客降りファンサどころじゃない。
尋常じゃない。
わたしは刀ミュでのspiさんのファンサを、安全面から危惧していた。
もちろん、メインキャスト全員が同じ立場ではある。
しかしspiさんのファンサは他と比べて明らかに手厚い。
そして、ちょっとどきっとするようなものが多い。
ライトを浴びて美しく歌い踊る男が、そんな至近距離で自分にファンサをしてくれたら、ちょっとおかしな方向に舵を切ってしまう人も現れるんじゃないか…と勝手にハラハラしていた。
正直言うと「体格に恵まれているし、何かあっても対処できると思っているのでは…?」と思ってた。
でも違った。たぶんそういうことじゃない。
これ、ファンを信頼してるんだ。
じゃなきゃ、満員のライブハウスの客席に降りたりできない。
求められていることを読み取って、自分に提供できるものはなんなのか。
寄り添って、考えて、そしていつだってそれを差し出していたのだ。
相手を信頼して。
CDステージでの「恋におちて -Fall in love-」の説明で
「俺のことを好きな人は、心に痣がある人だと思う」という発言は、すごく印象的だった。
そして、油断できない人だと思った。(※3)
『俺が得意なのは相手とのシンクロ』
『動きや出してる音や空気感をコピーするの得意なんだって自覚がある』
spiさんは以前ブログに書いていた。
他人とのシンクロっていうのは、非常に厄介だとわたしは思っている。
例えば息をするように自然に他人とシンクロしてしまう種類の人間だと、
かなり意識して自分の境界を守らないと、相手の思考が洪水のように流れ込んでくるものだから。
特に、得意な理由として『耳がいいから』とspiさんは挙げている。
耳は目と違って、簡単には塞げない。
「自分のことを好きになる人は心に痣がある」というのは、
spiさんが耳をすませて感じた結果なんだろう。
はじめに書いたけれど、
人は自分に欠けたものを他者に求め、自分の影の部分を他人に見つけると遠ざけようとするものだと思う。
spiさんが見せてくれる「明るく楽しいspi」「やさしいspi」に惹かれる私たちは、
きっと自分に欠けたそれらに憧れているし、求めている。
そんなファンの抱える傷や痣を読み取った上であえて指摘し、遠ざけるのではなく、
「これはそういう人たちのために選んだ曲だ」と話す姿に、
わたしはその場で固まってしまった。
この状況で、この場でそれを言うのかと。
spiさんは「見られる側」の人間で、
つまりそれはいつだって丸腰で大衆の前に立っているようなものだ。
熱い想いという名の独りよがりな気持ちをぶつけられることも度々あると思う。
あなたたちは心に痣を抱えているでしょう?
この、普通ではありえないような距離感と状況での問いかけは、
今まで以上に一方的な想いをぶつけられるリスクを高める行動だ。
私たちは毎日些細なことで傷ついている。
打ちのめされ、疲弊し、心はささくれ立っている。
だけどその傷をなかったことにする人は多い。
認めれば本当に傷ついてしまう。惨めになってしまう。弱い自分を自覚せざるを得なくなる。
だから目を背ける。自分の心を守るために、大したことないと笑い、傷つけた相手を悪く言う。そうやってやり過ごす。
「心に傷を抱えています」なんて、あんまりおおっぴらには言いたくない。
恥ずかしいしなんかかっこ悪いし、ちょっと中二病をこじらせたみたいだし。
でも、spiさんは、あえてそれをした。
自分も同じだと私たちに言った。
ステージの上からじゃなくて。
私たちと同じ場所に降りて。
「糸」をCDに収録した経緯の説明の時に、
spiさんは自分が会場を横断したことを歌詞になぞらえ
「縦の糸はみんなで、横の糸は俺なんです」と言った。
心に痣を持つ「あなた」と
同じように青タンだらけだという「わたし」が、今日出会ったこと。
そこで生まれたやさしい気持ちを持って誰かに接すれば、
それが誰かの傷を庇えるかもしれない。
過去にとらわれず、今日、いま、ここから未来を見つめよう。
そう言われてるみたいだと思った。
自分を傷つけた世界を憎むんじゃなく。
「俺たちが世界を変える!」
そんなことを軽々と言ってのける姿に、この人はなんて人だろう…と思った。
そんなのは綺麗事だ。声高に叫べば笑われる、そういう種類の大言壮語だ。
いつもならそう思う。
わたしたちは明日からもまた傷つくし、打ちのめされる。毎日それを繰り返す。
…だけどそれでも、と思った。
後ろの人が見えやすいようにと自主的にしゃがむ人があらわれて、
「ありがとう、でも後ろのほう大丈夫?きつくない?」と心配するspiさんがいて。
あのライブハウスにいた300人、昼夜あわせて約600人。
その人たちみんながライブハウスを出たあと、昨日よりちょっとだけやさしくなれたら、
そういうやさしさが周りにも広がったら。
…それってちょっと、世界が変わっちゃってない?
何かを生み出す仕事は過酷だ。
自分自身と常に向き合い、自問自答し続けなければならない。
感性と理性を総動員してアウトプットを行う。
走り続け、捧げ続ける。
わたし自身もそれを生業としているのだけれど、
能力の限界から目を背けたくなったり、
自分に嘘をつきながら誰かの心を動かすことに耐えられず、逃げ出したくなったことがある。
「アウトプット=自分自身の人間としての価値」
そんなふうに混同しやすい職だ。
それに加え、俳優は自分自身が商品となる。
常に無遠慮な評価と好奇の視線に晒される。
そんな彼らの決意と覚悟はいかばかりか。
想像すると、途方もない気持ちになる。
「やっと会えたね!!」「愛してる!!」
あの日、強烈な照明を背中に浴びてspiさんはステージに現れた。
満員の客席を見て、大声で、全身で、爆発するような喜びを表現したspiさんのことを思い出す。
「ファンの事が大好きだ」とか、
「みんなが」とか、spiさんはよく言う。
よくあるファンサービスとか、ポーズなのかもしれない。
でもあの日、横浜の小さなライブハウスでその姿を見て、
ペリスコで噛みしめるように個数制限の話をする姿を見て、
わたしは思った。
この人は、誠実でありたい人なんだ。
この人は、ほんとにうれしいし、ファンが好きなんだって。
「今日のルールその3! 友達を作ること!
ちょっと隣の人に挨拶してみて」
冒頭のルール説明のコーナーで、spiさんは言った。
それは「相手を個人として認識し、ひとりの人間として扱いましょう」という意味だ。
はじめから、そこにいる全員を「ひとりの同じ人間として」彼は扱おうとした。
自分も含めて。
…あの日、ファンミーティング2部のラスト、
ステージに戻ったspiさんは、会場の声援を受けながら言った。
「俺もこれが当たり前だと思わないようにしなきゃな」
なんとも言えない顔で笑うその姿を見て、
この人は、そういう気持ちのやり取りで傷ついた事がある人なのかもな、と思った。
どれだけ言葉を交わした相手でも、
一緒にいたいと願ったり誓ったりした相手ですら、
それが叶わず離れ離れになることだってめずらしくないのだ。
\愛してる!/という声援に「今だけでしょ?」と冗談めかして笑ったのは、
きっと本音も混じっているんだろうと思った。
「ファン」なんて移り気だ。いつか絶対にいなくなる。
見る側はいつだって身勝手で、
好きなように見て、好きなように対象を消費する。
それを止めることも、追いかけることもできないのだ。
だったら初めから、傷つかないように心のなかに入れなければいいだけなのに。
あの日見た姿や聞いた言葉はとても嘘や演技には思えなくて、
なんだかすごく、生々しかった。
だけど不思議と悲壮感はなくて、
わたしが感じたのはただただまっすぐな強さだ。
弱さを人前に晒せる人は、強い。
目の前からファンである「あなた」がいなくなることなんて、
きっととっくにわかっていて、その上でspiさんは言ったのだ。
「俺はずっとここにいるから」「いつでも帰ってきていい」
その短い言葉から私が感じたのは、
この場所に身を捧げて生きていくという、覚悟の深さや強い意志だ。
spiさんが言っていたように、わたしも心に痣がある人間のうちのひとりだ。
長くなるので省くけど、わたしはファンミーティングでのspiさんを見て、
なんだか戦場で仲間を見つけたような気持ちになった。
見ている景色や戦う場所は違うけど、自分と同じ戦い方をする人がいるのだ、と思った。
もちろんそれは、わたしの勝手な想像だ。
当然この一連の文章も、
わたしが見た風景を、わたしが感じたように書いただけだ。
観測も答え合わせもできないし、
事実だとか真実だとかは思わない。
だけどそれでもいい。
「わたしがそう感じた」のは事実だし、
spiさんが「そう思えるような景色を見せてくれた」のも事実だ。
だから、あの日のファンミーティングは、
最高のショーでありエンターテインメントだった。(※4)
「このしあわせものめ」
糸を歌い終わったspiさんは言っていた。
本当にそのとおりで、あれは逢うべき糸に出逢えた、
仕合わせで奇跡みたいな時間だったんだと思う。
ここ数日は、ファンミーティングについてずっと反芻していた。
そのなかで、あることに気づき、
伏線がきれいに回収された物語を読んだような気持ちになった。
「あなたのために」と言う人は、本当は「自分のために」それを叶えたい、
というのがわたしの持論だ。
ふと、spiさんはどうなのだろうと思った。
ファンである私たちのことを考え、真摯に向き合ってくれた彼は、
一体何を望んでいるのだろうか。
そこで物販で買ったCDが目に入り、なんだ。と思った。
はじめから、秘密も何もなく、
なにもかも彼は開示していたんだなあと思って、少しおかしくなってしまった。
「俺はずっとここにいるから」「いつでも帰ってきていい」
2部の最後にそう言った、彼の今回のファンミーティング、そしてCDのタイトルは
「STAY WITH ME」だ。(※5)
spiさんのブログの記事のひとつに
「一生よろしくお願いします」というものがある。
わたしはまた劇場に行く。
spiさんの姿を観に行く。
そうすれば近くで、側で、ライトを浴びる姿が見られる。
あなたがそう言うのなら、わたしも言う。
「STAY WITH ME」
わたしの、わたしたちの側にいてください。
一生よろしくお願いします。
これがあの日、わたしが受け取ったメッセージの答えだ。
※1 ちなみに、
※2 過去のブログにそういうことが書いてありましたね。恥ずかしながら、その時点ではしっかり読んだり、さかのぼって読んだりしてませんでした。
※3 小手先のテクニックじゃなく、生身で飾らず突っ込んでくるような人は油断ならない。こちらも真剣にならないといけない。もはやこれは戦だ。
※4 本心であろうと演技であろうと、どちらにせよ素晴らしいし最高だし好きにならざるを得ない…これってトリビアになりませんか?
※5 「STAY WITH ME」はシチュエーションにより意味が変わる言葉で、死にそうな人に対してだと「しっかりして」、戦場だと「俺について」だと知って悶絶した。あと、アンサーステージで「好きなタイプは?」について「ついてきてくれる人」とspiさんは答えてましたね。
この質問が1,2部両方に入っていたのも、それに対するspiさんの答えも奇跡では?
あの会場にいた人々は、奇跡の目撃者だったのでは? 割とガチで。
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