宝石の目 -裏側-
9月9日、わたしは横浜にいた。
その日は久しぶりの夏日で、
ワールドポーターズの映画館へ向かう途中、 隣を歩く友人がぼやくように言った。
「わたしたちはさあ、どこにも逃げられないんだよ」
遊園地のアトラクションを右手にぼんやり見ながら、そうだね、 とわたしは相槌を打った。
彼女はわたしとよく似た「痣」を抱える人間で、だからこそ、 その意味がよくわかった。
彼女は明るい調子で話していたけれど、声には怒りが滲んでいた。
そのとき彼女が言った言葉はここには書かない。
だけど、きっと聞く人によっては言葉に詰まったり、 居心地悪く目を伏せたり、
もしかしたら「そんなことを言うな」 と怒るかもしれない。
そんな類の言葉だった。
わたしはげらげらと笑った。
彼女が言った言葉は事実でしかない。
まっすぐ事実を見つめた上で、
どう生きていくか、 どう生きたいかという覚悟を口にした、それだけだ。
だけど、それを「ただの事実」 として認めてくれる人はあまりにも少ない。
人は、他人のことを、自分の好きなように色をつけて判断をする。
だからいつも息苦しい。
「なんかさあ、おもしろがって言ってるし笑っちゃってるけど、
でもちょっとだけ心がざわざわするね」
ふたりで笑い転げたあと、わたしが言うと
そうだね、 と彼女は頷いた。
ふたりでこの話をすると、いつでも大声で笑ってから、 少しだけさみしくなる。
わたしたちが抱える「痣」は消えない。
一生抱えて生きていかないといけない、そういう類のものだ。
時々その事実に打ちのめされる。
だからこそわたしは笑う。
打ちのめされたらその度に、傷ついた自分が変わればいいだけだ。
ふたりで映画を観て、パンケーキを食べて、
朝話したことはすっかり忘れていた。
だけどまた、きっとわたしたちは思い出すし、
時にはひとりで泣くと思う。
そのときに、ふたりで笑ったこの日のことが、
彼女やわたしに静かに寄り添い、 やさしくあたためる記憶になればいいと思う。