晴れた日のねどこ

答えの出ないことばかり考えている

ブログを書くことの功罪

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あーーー、全人類ブログ書いて欲しいなーーーーー!!

こんにちは。
9月から始まった推しが出演していたミュージカルが全国ツアーを経て、先日大千秋楽を迎えました。その間、季節もいつの間にか夏から冬へ変わりつつあります。
だけど推し含め、キャストの方々はもう次の仕事に向けて前を向いています。すごいなあ。
わたしは次の現場まで、しばらく余韻に浸りたいと思います。


今日は書きかけで止まっていたブログすごい!うれしい!という話を書きます。
なぜならとてもうれしいことがあったからです。

 

 

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後で書きますが、このマシュマロについて触れます

https://twitter.com/KansouBn/status/1059759364611878912

 

 




世の中にはコントロールできるものとできないものがあります。すごく雑に分けると、コントロールできるものは「自分」、できないものは「自分以外すべて」だとわたしは思います。
(もっとも、自分の特性を把握できていないとコントロール可能なはずの自分すら持て余し、振り回されがちです。だから可能な限り、自分がどういう人間なのか把握しておいた方が人生が捗ると思います)


ブログでも同じだと思います。
続けていくときにコントロールできるのは、自分自身に関して。どういう芸風(?)でいくか(わたしの芸風はドライ&ウェット、考察&こじらせポエムです)、更新頻度はどうするか、モチベーションをどう保つか、とか。
コントロールできないものは他者からのアクションです。


ブログを一年ちょっと続けてきて、素晴らしいものの多くはコントロールできないところにあるのではと思いました。


コントロールできる = 自分で想像ができる範囲のもの

コントロールできないもの = 想像が及ばない範囲のもの

 

じゃないですか。
自分以外の何かから与えられるものって、彗星とか隕石みたいに自分にない未知の物質を運んできて、良くも悪くも自分を変質させるんじゃないか…と感じます。

 

 

 


ブログの良い点


まずコントロール可能な良い点を挙げます。

 

・自分の考えや気持ち、立ち位置が整理できる

人間の頭のなかって案外曖昧模糊としています。
何を考えているのかはもちろん、自分が「本当はどう感じているのか」すら把握するのは難しかったりします。


例えば何かに腹を立てたとして、むかつく!とか気に入らない!というのは簡単です。
だけど、なんで腹を立てているのかまで他人にわかる形で説明できる人って少ないと思うんです。
もちろん曖昧なまま、雰囲気で感情の共有や同調は可能なんだけど、理由がわからないと後々軋轢の理由になったりする。わたしはそれがめんどくさい。

わたしの他人との会話の目的は感情の共有ではありません。
感情のままキャッキャするのも好きなんだけど、それよりもっと好きなのがお互いの頭の中を見せ合って新しいものを見つけたり考えを深めることです。
で、それをやるためには自分の考えや気持ちを言語化できないといけない。
じゃないと深い話ができない。




例を挙げます。
日々推し事に励み、舞台俳優のオタクとして生きる方ならわかると思いますが、観劇マナーが悪い人に遭遇すると最悪ですよね。貴様は首筋に手刀を叩き込まれてえのか?

 

 


そこで行動を起こすかは話がそれるので置いておき、わたしはなんで腹がたつのか、何に引っかかったかを考えるのが好きです。好きというか、考えずにはいられないです。
誰かに苛立ちを吐き出すのは簡単なんですが、それだと排泄と何も変わりがない。だったら嫌な出来事や気持ちも建設的なものに変化させたい。(吐き出すこともあるんだけど、そのあとそういうステップを踏みたい)


本題からそれるので途中経過は省きますが、わたしはマナーが悪い人間にある種の嫉妬を感じていると気づき、非常に驚きました。

 


すぐ近くにいる他者への想像力が乏しく狭い視野、自分だけが快適であれば良いという傍若無人さ、自分を俯瞰で見られない幼児性、それに疑問を抱くことのない欠如した羞恥心や、鈍感に生きていられることに対する嫉妬です。


この辺の話で十分エントリが書けるので今日は深くは語りませんが、書いているうちにこういう風に頭の整理ができるのがブログのいいところだなあと感じます。
「あいつなんなの!?」と叫んでいるだけじゃ、絶対そこにたどり着かないので。

 


誤解のないように言っておきますが「マナーが悪い人間への嫉妬」と言っても、傍若無人な行為が優れているとは一切思いませんし、嫉妬=羨ましいともニュアンスが違うし、そういう人間になりたい訳でもありません。詳しくは多分また別の記事で。

もうちょっと突っ込んで話すと、のうのうと生きていることへの怒り = 自分の感じる生きづらさ…みたいな話になってくるんですけどまあそれは置いておいて、なんにせよ「なぜそう感じたか」をクリアにしておくと、自分自身との距離が近づいたように感じて安心します。


そして借り物の言葉で話さなくても済む。
誰かの受け売りや、「ルールやマナーに則った」発言には魅力も説得力もないとわたしは思います。深みが全くないから。


できれば自分の言葉で話をしたいし、魅力的まで行かずともましな人間になりたい。だからわたしは、拙くても自分の頭のなかを言葉に落とし込もうとあがきます。





「その時の自分」の記録ができる

生きていると日々考えは変わっていきます。
デジタルはタイムスタンプがつくので、自分の考えを書き残しておくといつ頃どんな考えを持っていたのかがわかり、振り返りに便利です。
実際、1年経たないうちに考えが変化した部分もたくさんあります。
ツイッターだと振り返りが大変なので、一つの話題について数千字を記事という形で残しておけるブログは便利だなあと思います。



参照が便利、自己紹介がわりになる

自分が興味がある事柄は、何回でも話題にします。
あーもーそれ書いたわ!前に書いたわ!という場合、URLを出せば説明がショートカットできます。便利。
そして自分にとってのブログは頭のなかを見せる場所なので、自己紹介として機能します。便利。



見た目や話し方に拠らない、純粋な「考え方」での自己表現ができる

人は見た目が9割という言葉があるように、視覚情報が印象を占める割合は大きいです。
関係性ができていない人間との対面でのコミュニケーションは、見た目の印象に引っ張られがちです。好印象であれ悪印象であれ。
メイクをしたり気に入った服を切るのは楽しいけど、所詮顔も体も入れ物でしかないからな、だからこそ、見た目に対応が左右されずに頭のなかを見せてコミュニケーションが図れるのは楽しいな、と思います。



なぜブログを書くかとかメリットなどはこの辺りにも書いているので、もしよろしければ。




 

 


コントロール不可能な点


他者からのアクション

ありがたいことに、ブログを書いていると感想を頂いたりします。
今は大部分がマシュマロになってしまいましたが、以前はDMでも感想をいただいていました。なかには、ひとつの記事について賛同する部分しない部分を細かに書いて、対話を試みようとしてくれる人もいました。
 


以前も書きましたが、わたしはブログを書くことで、不特定多数の人間に好かれたいとは思っていません。むしろ、言うと心証が悪くなるであろうことをあえて口にしフィルタリングをしているところもあります。(ウエットでポエミーな記事で共感や理想を抱いた人が、オタクの後ろ暗い部分についての考察記事を読んで手のひらを返してきたりするので)


わたしは最大公約数の話題をするんじゃなくて、不恰好ではみ出た、だけどほかの誰かも絶対に抱えているものだったり、皆がひた隠しにしてあまりおおっぴらにしないであろうものの話をしたい。


そういうことをやっていると、反感を買います。
この人は「わたし」を攻撃しているんだ!と思ったどこかの誰かに、匿名で殴りかかられたりします。(殴りかかってきてる時点で図星だと言ってるようなもんだけどなあ…なぜなら苛立つ=自分ごとだと感じているから…と個人的には感じます)


 



反感を買うというデメリットに先に触れましたが、この辺りを掘り下げる気はあまりありません。意見を述べたり対話を試みるのではなく、ただただ感じた不満を感情的をぶつけたいだけの人は、こちらに変革をもたらす力はないからです。



ブログを一年ちょっと続けてきて、素晴らしいものの多くはコントロールできないところにあるのではと思いました。

コントロールできる = 自分で想像ができる範囲のもの、コントロールできないもの = 想像が及ばない範囲のもの、じゃないですか。
自分以外の何かから与えられるものって、彗星とか隕石みたいに自分にない未知の物質を運んできて、良くも悪くも自分を変質させるんじゃないか…と感じます。

 

 ここで書いたように、素晴らしいものは外側からもたらされることが多いです。
そしてそれは、目を見て殴りかかる覚悟すらない悪意よりもずっとわたしの心を打つし、強くさせるんだなと思いました。




再掲しますが、先日いただいたマシュマロのなかにこういうものがあり、不覚にも少し泣きました。

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書いてくださっている「納得できる部分も、よくわからない部分も、合わせてあなたの魅力だと思います」というのはまさにわたしが世界に対して感じていることです。 そんなことを思ってくれて、伝えてくれる人がいるのがうれしい。

自分はひとりきりで誰とも繋がれないと泣いた学生時代や、心ない言葉で傷つけられて「自分が選んだ生き方とはいえしんどいなあ」とふとんにもぐりこんで静かに沈み込んでいく気持ちを抱えた日の自分に、「こんなことを言ってくれる人があらわれるよ!」と伝えたいです。 マシュマロありがとうございます。お守りと宝物にします。うれしい。
なんだよ…愛かよ…(ちょっと泣いた)

ツイッターで書いたお返事です。
 
 
 
 
自分がどういう気持ちで生きているかはこのへんとかこのへんとかこのへんに書いているので割愛しますが(早速引用を使うスタイル)、反感を買っても、どこかで誰かにありもしないことを言われていても、自分に嘘をつかずに発信をしているといいことがあるんだな、どこかの誰かと繋がるきっかけにもなるんだな、それが自分を助けてくれることもあるんだな、と思いました。
 
 
 
 
あきらめないでよかったな。
 
 
 
 
 
自分を誰かの前にさらけ出して立っていると嫌なことだってあるけど、不満じゃなくて意見を述べてくれる人もいるし、たまにこういう最高にうれしいことがあるし、いいもんだなと思いました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
というわけで、全人類ブログを書いてください。
ブログを書くと精神が安定し健康になり、宝くじに当たり石油王に求婚されます。(されません)
 
 
 
はー、書きたい記事溜まってるし、書いていこ!
それでは良い推し事ライフを!
 
 
 
 
 
▼マシュマロやってます▼

お前が好きだとかそういうふわふわしたやつうれしいです。 

マシュマロの返信も溜まってるので消化していきたい。

うれしいものとか考えさせられるものとか、尻叩きとかありがとうございます。

 

 

 

 

▼今後書きたい記事メモ▼
・信長の野暮感想(円盤キターーーーー!バクステもかわいい!最高!)
・心臓が濡れる感想(尻叩きありがとうございます…!!)
・独鬼感想(これも円盤おさらいパターンだな)
・なぜ自分に呪いをかけるのか〜推しとファンとマウントと〜ルッキズムに縛られてしんどそうなオタクの話)
サマエルのしっかりした感想(円盤でおさらいしたし書きたい)
・TMO感想(円盤観たら改めて書く)
・H12感想(この頃は推しがゴリラのような体型ではない)
・推しを自分の核にしてはいけない〜キャバクラで例える若手俳優について〜
・無意識なのか意図的なのかわからないマウントについて
・結局お花ってどうなのよ? 誰のための推し事なのか(諸事情により書かないかもしれない)
・spiファンミから考えた推しについて(イベントはSNS禁止なので感想のみ。)
・渋谷でヤル会フェス感想
・ブログを書く事の功罪←この記事です

・ジャージーボーイズ感想(終わってしまったけどCD出るーーーうれしいーー)

・属性とレッテル貼りと「わからないボックス」、人と関わる方法(マシュマロ返信)

・質問をすることの恐ろしさ(書くかなーどうかなー)

・映画 教誨師感想(玉置玲央さんに故郷の村を焼いてほしい) 

 
もしもこれが気になる!とかあったら引用スターとかマシュマロで尻を叩いてもらえるとうれしいです(他力本願)
 
 
 
 
 この記事が好きならこのへんも好きかもしれない
 (記事中と重複分あり)