晴れた日のねどこ

答えの出ないことばかり考えている

愛という名の下に、私たちは暴力を振るってはいないか?〜推しへのプレゼント問題〜

 

 

「他人への干渉は、善かれ悪しかれすべて暴力」

 

 

好意が相手の負担になることってあるよな、
それって不幸なすれ違いだなあという出来事がありました。
推し事に関係ないところでの話です。


ちょうどその時、わたしは推しへのプレゼントを考えていました。

そのためこの出来事が、自分の中でのプレゼント観、他者との関わり方、推し方を改めて考えるきっかけになりました。
現在の考えを記しておきたいと思います。


当然のことですが、これが唯一絶対の正解だと思っているわけではありません。
受け取り手によって答えは色々だということは百も承知です。

あくまでもわたし個人の考えの表明であること、こんなプレゼントは良くない、やめた方が良い、という趣旨ではないことを先に明記しておきます。
(ただ「受け取る側への想像力を忘れないようにしたい」という気持ちを持っておきたいですね、という問題提起の側面はあります)



プレゼントってなんなんでしょう。
推すってなんなんでしょうね。


推し事ではなくプライベート(?)においても共通する考えなのですが、
わたしの人間関係におけるこうありたいというスタンスは

「見返りを求めない」
「他者をコントロールしようとしない」
「自分の思想を押し付けない」
「なるべく他者の負担にならないように気をつける」

というようなものです。

あくまでも自分の行動は自分の中で完結しており、
相手も同じ気持ちだったらラッキー!くらいの感じ(でありたい、という希望)。


プレゼント、難しいですよね。
推しに贈るものに限らず。

推しへプレゼントを贈るという行為が初めてで悶々としていたのですが、
最終的に「自分が身近な人に贈る時と同じようなスタンスでいれば、大きな間違いは起こらないのでは?」という結論に達しました。


自分の場合はこんな感じです。


以下、詳細です。

 


物理的負担にならないもの

とてもかさばるとか重いとか。
商品名を出し、名指しで欲しがっていない限り、リスクが高いと思います。

でも、仮に推しがケトルベルを欲しがっていたとしても贈らないと思う…
プレゼントボックスに入れるまでが大変だし、送るにしても送料が…
あと、数人のファンが贈ったら確実に邪魔になる。
やはり、かさばるものは自分的にはナシです。

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心理的負担にならないもの

ここでは特に「金銭的負担」について書きます。
高価過ぎるものです。
受け取る側の心理として、高価過ぎるものを受け取るのは怖いです。そして身構えます。わたしは恋人からでも割と怖いです。「待って!? 相手が気に入らなかったらどうするの…?リスク高すぎでは…?」と思います。割と本人にも言っちゃうほう。

「どういう気持ちでこれが贈られたか」
これを考えると、わたしはちょっとしんどくなります。

例えば「高価だけど頑張って買っちゃった、喜んでくれるかなあ…」
みたいなシチュエーション。
受け取った自分が気に入らなかったら、わたしは割といたたまれなくなります。
気に入ってもちょっと申し訳ない気持ちになる。

「このくらいの出費、全然平気です。喜んでくれます?」
みたいなシチュエーション。
実はこれもわたしはつらい。
なぜなら自分をお金で買われているような気持ちになるから。
「相手を喜ばせたい」という気持ちより、いつの間にか「自分を特別扱いしてほしい」、「相手をコントロールしたい」という気持ちがこの人の中で大きくなっているのでは…?という邪推をしてしまいます。


これが「自分のファンから」贈られた物だとどうでしょうか。
なんにせよ、高価なものってなんらかの圧を感じちゃうんじゃないかなーと思います。(高価じゃなくても感じると思いますし)

 

人は他人から何らかの施しを受けた場合に、お返しをしなければならないという感情を抱く(Wikipediaより)

 


上記を「返報性の原理」といいます。身近な人間なら比較的簡単にお返しをできますが、数多くいるファンの一人ならどうしたらいいんだろう…。
着用画像をUPする? 顔を覚えてファンサをする?
なんにせよそこにリソースを割かないといけません。
それって本業以外のところだから、あんまりそこに気を回して欲しくない…


高価なものは、不幸なミスマッチがおきないかしら、と思います。
だからわたしは贈りません。

一点豪華主義で好みを外したり、相手の負担になったりすると自分自身にもダメージがあるので、数点の組み合わせというパターンが多いです。



相手が嫌な気持ちにならない、引かないもの

これは本当に基本的な部分ですよね。
でも、愛ゆえに盲目的になったり暴走したりする人もいるんじゃないかなーと思います。

 

tmmrrw.hatenablog.com

tmmrrw.hatenablog.com


プレゼントに関しては、こちらのブログを大変おもしろく読ませていただいたのですが、その中で「わー…!」と思ったのが

 

けど、アダルトグッズですよ?それが新品だとは限らない。一時期バレンタインの手作りチョコに経血や髪の毛を混ぜるという完全にヤバい人が話題になったりもしたけど、対俳優でもそういう人がいるんだというのを感じました。

「それでもプレゼントあげたい!」の悩み。 - 意思あるところに道あり

 



ほんとうにこわい。
想像がつかない世界ですが、おそらくどこかにはいるんだろうな、と思います。

自分が贈られたら…と考えると、ほんとうにこわい。
いえ、贈る側はわからないようにやってると思うんですけど、だからなおさらこわい。ホラー。


「職場で皆に配られる手作りお菓子が苦痛」という潔癖性の方を知っていますが、普通の手作りお菓子ですら生理的に受けつけなかったり、苦痛に感じる方もいるんですよね。
食品とはまた話がちょっと違いますが、あまりにも個人の感情が混ざった贈り物も危険なラインだと思います。人によって判断基準はそれぞれです。引く人は引く。


贈る側の自己顕示欲や隠された意思が大きくないもの

上記に密接に関連するけれど、線引きが人によって違うのですごく難しいもの。
ここでは「手作り品」「あまりにも想いが大きい、重いもの」について書きます。
今回のエントリで、一番叩かれそうな部分です。

色紙、イラスト、歌、自作ポエム、自作アクセなどのハンドメイド品、
これらはすべて、高リスクなのでわたしは極力避けます。
(また、自分自身が過去に類似するものをもらい、困ったものでもあります)

1.好みの問題がある
2.クオリティが低い場合がある
3.気に入らなかったとは言いづらい(言えない)
4.処分するのが申し訳ない
5.こわい
上記のような理由です。
順を追って説明します。


1.好みの問題がある
世の中に流通している商品は、多くの人の手を経て製品化されたものです。
微妙で繊細な調整を繰り替えし、「お金を払ってもいいレベル」をクリアしたものです。
そんなものですら、好き嫌いがあり「これは買わないかなー」という判断をわたしたちは日常的にしていますよね。
ベストセラーの漫画や小説、映画の良さが全く分からず「あれのどこがいいの?」なんて言ったり。
そう、好みは人それぞれ…。

例えば絵を生業にしている、文章を生業にしている方が自分の作品を贈ったとしても、受け取り手が「好みじゃないな…」と思う可能性もあるわけです。
嬉しい気持ちとはまったく別の問題として、です。


2.クオリティが低い
プロの作品ならいざしらず、素人の作品ならどうでしょうか。
わたしが手放しで喜べるとしたら、自分がとても大事に思っている存在が、一生懸命作ってくれた場合かなあと思います。
例えば、幼稚園児のこどもが自分を思って作ってくれた…みたいなシチュエーションだとかなりグッとくると思います。あの小さかった我が子が!こんなにも上手に指先を使えるようになって…!と思うと感激もひとしお。

だけど、他人は作品発表の場でも、あなたのおかあさんでもない

「相手を思って一生懸命作ったものだから喜んでくれるはず」
というのは、超理論の展開だとわたしは思います。
それ、自分が他人からもらったとして喜んで飾ったり、身につけたりしたいものでしょうか。
相手と自分は別の人間だという客観的な視点は忘れないようにしたいです。


ちなみにこれ「ちょっと腕に覚えがある素人」が割とやりがちかもなあと思います。文化祭ノリ、内輪ノリで盛り上がって、みたいな。

これのあやういところは、
それをやる人間の「作品を否定される事への耐性の低さ」です。

アウトプットを生業にしている人間であれば、作品と自分の人間性を切り離して考える訓練を日常的に行っているので、ある程度の耐性がある場合が多いです。
ですがそうでない人間だと、高確率で「作品=人間の価値」と混同するため、否定されたり受け入れられないと相手に悪感情を抱きがちです。

「自分のがんばり」「相手への気持ち」「作品のクオリティ」
これらをごちゃまぜに考えてしまうこと、「至らない部分もあるが、あなたのことを思って一生懸命作ったから受け止めてほしい」という甘えが生じてしまうのも大きな原因のひとつかと思います。
再度言いますが、「他人は作品発表の場でも、あなたのおかあさんでもない。



3.気に入らなかったとは言いづらい(言えない)
手作り品というのは、気持ちがこもっています。
だからうれしい。
でも、だからこそ「気に入らなかった」とは絶対に言えません。
言ったら相手が傷つくから。


4.処分するのが申し訳ない
これも上記と同じです。
本人は「気に入らなかったら捨てていいよー」というテンションでも、受け取る側からすると、捨てるハードルが高かったりします。


5.こわい
これが厄介なところなんですが、「自分の技術を認めてもらいたい」「すごいと思われたい」という自己顕示欲や承認欲求が混ざってしまったり、
行き過ぎた愛が怨念のようになった手作り品はこわいです。

それは「相手によろこんでもらうため」のプレゼントでしょうか?
「相手に自分を認めてもらうため」のものになっていないでしょうか?
「自分の想いを受け止めてもらいたい」という願望をぶつけていないでしょうか?

客観的に考えることって、大事だと思います。



補足としてですが、わたしはたとえ恋人から贈られたものだとしても、手作り品を喜べないタイプの人間です。理由は割愛しますが「受け取る側の人間がどう思うか」に対するジャッジが平均的な人と大きく異なるためです。


あと、この項目に関しては、本当に受け取り手によると思います。
例えばわたしの推しはオタク文化に造詣が深いようで、ファンアートも好きだと公言しています。
そういう方なら喜んでくれるんじゃないかな、とも思うんですよね。

なので、負担にならなさそうなもの…たとえばファンレターの封筒は毎回自作して、作品に絡めたネタ要素を突っ込んだりはしてます。封筒レベルであれば、かさばらないし、クスッとできるかもなーと思うし、そこまで重たくもないと思うからです。
おそらく保管のためのコストもそこまでかからない。


ヌケ感、大事だと思うんですよね。
あまりにも必死に誰かに迫られたらこわいじゃないですか。
少なくともわたしはこわいです。

そんな理由から、自他共に重たいと感じるおそれのある手作り品は
「わたしは」避けます。

 

この項目は、その品物が本当に相手に喜んでもらえるか? 独りよがりになってないか、ということを考えたいですね、という話が主題です。手作り品を否定するのが目的ではないということは、付け加えておきます。



他人に譲りやすいもの、譲るときに罪悪感を抱かないもの

気に入らないプレゼントってどうしてますか?

わたしは処分に困ってクローゼットにしまってました。目に入るたびに、これどうしよう…と思い、そのたび見なかったことにしました(割と場所を取り、高額だろうなという品物でした)

物って、所有するときに保管場所も考えないと駄目なんですよね。
管理するコストがかかる。

わたしの推しは俳優です。当然演技をすることが本職なわけです。
そんな彼に、本職以外でリソースを割いて欲しくない。

なので、気に入らなかったとしても気軽に他人に渡せそうなもの、渡しても罪悪感をあまり抱かなそうな物がいいかなーと思ってます。
生活雑貨とか。




処分する際に手間にならないもの

これも上記に関連しますが、とにかく本業以外で負担になるリスクを取りたくない。
個人的には他人にあげても、フリマサイトやオークションに出してもらっても全然OKですが、それも手間がかかります。
そして、それを悲しく思う人もいるだろうということ、そういう行為を叩く人がいるだろうというのも容易に想像がつきます。

自己満足であげたものを、他人がどうしようがその人の自由じゃないかなあとわたしは思うんですけどね。人の気持ちってむずかしいです。

なんにせよ、捨てるときにも分別だとか個人情報だとかで手間がかからないものが良いなと思っています。



まとめ

身近な人への贈り物、推しへの贈り物についてがごちゃ混ぜになってしまいましたが、わたしのプレゼント観はこんな感じです。
基本的にリスクヘッジ優先です。
これは相手のためという面もありますが、自分のためでもあります。

だって、推しに贈った高い服を着てもらえなかったら嫌じゃない!!!?????


わたしは嫌です。
嫌だし「あれ高かったのになー…せっかくあげたのに…」と思っちゃうと思います。(※)


あと、プレゼントにお金をかけたり、それを推しが使ってくれるかどうかにやきもきする暇があるなら、そのぶんのお金でチケットを増やしたい。そして板の上で輝く推しの素晴らしさを噛み締める時間に充てたい。

だって、推しに喜んでもらいたいですけど、プレゼントをあげることで推しに好きになってもらいたいわけじゃないですもん。
いや、素敵なファンだぜ…と思ってもらえたらそりゃうれしいですけど。


 

 

 

 

 


贈り物って個人の価値観が浮き彫りになるよなあと思います。
それはもうはっきりと。残酷なほどに。

他人の好意をどのような形で、どれくらい受け取ってきたか。
自分の好意をどんな風に表明してきたか、それを受け取る側はどういう反応だったか。
それらが覆される出来事があったかなかったか。
他人からどういう風に接されてきたか。
他人に対してどういう風に接してきたか。
他人に対してどういう風に接されたいか。

そういう小さな積み重ねが、贈り物、ひいては他者とのつきあい方のスタンスを作るんだろうなと思いました。何が良い、何が悪い、その経験があるから優れているとか劣っているというのとはまったく別問題として。

あらゆることって、わりと組み合わせで解決したり問題が起きたりすると思うんですよね。
自分が良いと思うやりかたが成立してるのであれば、今の居場所が「それが成立する組み合わせ」「それが成立する場所だから」だと思います。
ただそれだけ。

そして、それは普遍的なルールではない。



例えば、わたしは先ほど書いた通り、手作りの品物はうれしくない人間です。
それを聞いて「ひどい人間だ」「思いやりが無い」「かわいそうな人だ」と言う人もいると思うんですよね。

でもわたしは全然気にしません。だって、嫌なものは嫌だから。
贈り物って、相手に喜んでもらうためのものでしょう?
じゃあうれしくないものをもらっても、贈ってしまっても、
お互いハッピーじゃないよね。


だからわたしは先に「こういうのは好きじゃない」と言っておきますね、というスタンスです。
ミスマッチが起きるのは嫌だし、自分のために無駄なリソースを割いて欲しくないからです。(俺はこれを作るのが楽しいし、君に渡したいんだ!と自分の近しい人に直球で言われたら、また話は違ってくると思います。なぜならかわいいから。品物が気に入るかどうかとは全く別の話としてですけど。
そして全く親しくない人間にそれをやられたら黙殺します)

もちろん、もらってしまったら喜ぶポーズは取ると思います。
ほとぼりが冷めた頃に「実は手作り品ってちょっと苦手なんだよね、なんでかというと」と話すかもしれません。相手のことが好きで、これからも関係を続けていきたいなら、ですけど。


そして逆に、そういうものを心から喜べる人もいると思います。
何事も組み合わせなんですよね、たぶん。
だから難しいし、答えが出しづらい。


ただ、こと推しへのプレゼントというものに限って言えば
・他人からの絶え間ない好意を捌くのに疲れているかもしれない
・自分がよかれと思って贈ったものが負担になる可能性がある
・相手も同じ人間である(何でも受け入れてくれる存在ではない)
ということは肝に銘じておきたいなあと思います。


特に、そういう方々は本音を言える立場ではないですから。
何を受け取っても笑って「うれしい」と言わざるを得ないでしょう。


どんなにうれしくても、逆にどんなに負担に思っても、
本当の本心の部分を窺い知る事はファンにはできないんですよね。


 


わたしは常に、そう思って生きています。

傷ついた事を傷ついたと言える人、言えない人、言うことが許されない人、
いろんな人がいると思います。

だから、なるべく自分の好きな人の負担にならないように、
自分の好意が相手を傷つけないように、
間違ったら引き返せるように、
いつでも自問自答を繰り返して生きていきたいと思います。


ファンであるわたしたちには何が正しいのかは永遠にわかりません。
だけど、想像する事ならできるわけですから。


好きな人にはできれば健やかに、
心の底から笑っていて欲しいです。


 

 





※余談ですが、雑誌で見た某ブランドと某ブランドのコラボルームウェアがとても素敵で、「これを着た推しが見たい…!しかもぬくぬく!推しの健康も守れる!さいこうかよ」と思い、うっかり買いかけたことをご報告しておきます。(実際、店舗に行って割と真剣に検討しました。)でも、舞台一回分ちょいの値段なのでやめました。あぶねえ。頭を冷やしてよかったぜ。わたしには高いです、これをプレゼントとして贈るの。これで気に入らなくて着てもらえなかったらショックだよーー!そしてその場合、処分の手間をかけてほしくないよーーー!!
リスクやお値段、可愛い推しを見たいという自分の欲望 < そのお金で舞台を見たい
という気持ちに気付いたので、買うのをやめました。
服って好みもあると思うしね。あとサイズもね。




おわりに。
わたしはオフラインの会話の中では聞き手に回ることが多いです。傾聴に徹する事も多いです。なぜなら、人間は他人に話を聞いてもらいたい生き物だからです。
心情を吐露する人って大体の場合、すべて受け入れて「それは大変だったね、えらかったね」って他者に甘えたいんですよね。別に意見とか解決策を他者に求めてない。

しかし、傾聴するタイプって、「他人を感情のゴミ箱にする」タイプの餌食にもなりやすい対等な、もしくは対等に持ち込める人間関係ならその辺は調整可能ですが、「ファンと俳優」って、そういう地獄がめちゃくちゃ広がってそうだな、と思います。

相手は否定しようがないですから。

「自分をなんでも受け容れてくれる」と勘違いして、
好意という名の暴力を振るう人。
それを他人から指摘されたら、「わたしは好きだからやっている」「相手は否定していない」と自分を正当化する人や、妙な勘違いをしてしまう人も数多くいるんだろうなーと思います。

「わたしは好きだからやってるんだ!」という相手不在の自分勝手な感情って、ストーカーと変わらないんですけどね。

そして、「相手はそれがお仕事」「ファンを否定できない」というのは、常に肝に銘じておきたいなーと思います。

「推しは喜んでた!だから平気だもん!」
それはそうです。演技のプロですもん、相手は。
「自分は例外」「自分の推しは例外」とか思い始めたら、すでにかなりやばいと思います。



楽しい推し事ライフを送りたいなー。

 

 

2017/12/11追記

現在twitter経由でこちらの記事を読んでくださる方がとても多いので、関連記事も置いておきます。お時間がありましたらぜひ。また、感想などありましたらコメント・twitterのDM頂けるとうれしいです。

 

当記事に頂いたコメント(画像参照)

f:id:Bn295:20171102151019p:plain

 

上記への返信記事です

kansoubn.hatenablog.com

 

関連記事

kansoubn.hatenablog.com

 

 

 

2017/12/18追記

 

岡田育さんにtwitterにて言及していただきました!ヤッター!

 

上記はこちら↓のツイートを引用RTしていただいたものです。わーい。

そしてコメントからの展開というのは【愛と暴力シリーズ2】、返信記事のことかな、だったらうれしい。やったー! 

 

このあたりの経緯はこちらにまとめています。

kansoubn.hatenablog.com

 

2017/12/27追記

プレゼント問題3です。長いので後半からでOKです。
お時間ありましたらぜひ。

kansoubn.hatenablog.com

 

ここまで読んでいただき、どうもありがとうございました!