晴れた日のねどこ

答えの出ないことばかり考えている

ミュージカル刀剣乱舞が人生のターニングポイントになった話

 
先日久しぶりに会った友人に近況報告をした。
その際、2.5次元舞台がどういうものなのか、
一体どこに魅力を感じたのかを話すことがあり、
自分でも新しい発見があったので、
忘れないうちに書き留めておこうと思う。
 
そして考えるうちに、自分の中に明確な意識改革が起きていたことがわかった。
後半ではそれについても触れる。
 
なお、わたしがここで指す2.5次元舞台というのは、
9割がミュージカル刀剣乱舞のことだ。
 
 
 
刀ミュ以前以後での違い
 
刀ミュにハマる前の自分
  • 舞台、ミュージカルなどはほぼ見たことがない
  • むしろ舞台は気恥ずかしいというか、観ているとなんだかいたたまれないような気持ちになるタイプ
  • 円盤は滅多に買わない
  • グッズは一切不要。余計なものは持ちたくない
  • ドラマや俳優などに興味は無い。好きなタレントも特になし(強いていうなら若い頃の松平健(暴れん坊将軍)と伊吹吾郎(格さん))
  • チケットの取り方もよくわからない
 
刀ミュにハマった後の自分
  • 同じ演目でも複数回観たい
  • 円盤?買います。課金します
  • グッズ欲しい。フィギュア?買います。ブラインド商品も買うよ!
  • 推しの俳優ができ、接触イベントに行く
  • 交換譲渡ツイートを何度もチェック
 
 
 
刀ミュ、そして2.5次元舞台の魅力
 
色々あるのでざっと列挙し、次の項目で詳細を書いていくことにする。
  • 設定上「自本丸」「他本丸」という棲み分けができる=解釈違いを前向きに楽しめる
  • 「キャラクター」を見るという非日常感で、自分とは別物として捉えることができる
  • 脚本家、演出家はもちろん、役者ひとりひとりのフィルターを通し表現されるキャラクターなど、何人もの人間が関わることで、ストーリーや人物描写に厚みと魅力が増す
  • ひとつとして同じ舞台が存在しないというライブ感(日替わりパートあり、演技の違いあり)
  • ストーリー/ライブの二部構成のお得感とジェットコースター感
  • ライブパートでは声援を送れる=カタルシスが得られる
  
 
 
刀剣乱舞」の特異性
 
他の作品と大きく違うのは、やはりプレイヤーの数だけ本丸が存在することだと思う。
それにより、メディアミックスの際も「違う本丸の話」として割とすんなり受け入れられる。
 
わたしのゲームの最推し和泉守兼定なのだが、
自本丸の兼さんと刀ミュの兼さんは別物だと思っている。
ネガティブな意味ではなく、ポジティブに。
 
自本丸の兼さんは活撃の性格に近いのだが、刀ミュの兼さんはキュートでかわいい。
刀ミュの堀川くんとの関係性も、
「わ、わたしの知らなかったふたりの一面を知った気がする…!!」と、
自本丸のキャラクター像に大変な影響を与えた。(※)
 
しかし、これが唯一絶対の公式のキャラクター像として提示されていたらどうだろう…と思う。
かわいいけど、これはこれですごくいいけど、
わたしの思っていた兼さんと違う…!と、しばらく悶々としたと思う。
 
 
違う本丸の話として捉えられる遊びの部分があるからこそ、
みんな違ってみんないい…」とおおらかな気持ちで愛でられる。
とてもありがたい。
 
 
 
 
わたしたちが見ているのは「刀剣男士」
 
物事にツッコミを入れがちでなかなかのめり込めないタイプゆえ、
観劇自体のハードルも高かった。
舞台の上で役者が怒ったり泣いたりするのを、どこか冷めた気持ちで見てしまう。
 
演技をするときに素に戻ったりしないのかしら…
どういう過程を経てこの演技になったんだろう…
こんな大げさな感情表現をしている人が日常にいたら引くよなあ…
 
など、雑念ばかりがぐるぐると回り、
純粋に楽しめない自分に罪悪感がつのる。
 
 
しかし、刀ミュは不思議と平気だった。
 
それは舞台の上に立つ存在を役者…
つまり同じ人間としてではなく、「刀剣男士として」見ていたからだと思う。
双眼鏡を使ってステージを見るというのは初体験で、余計なことを考える暇がなかったのかもしれない。
よく知るキャラクターが動き、喋り、歌い踊る姿に、それを演じているのが役者だということを忘れていた。
 
全シリーズに共通することだが、
刀ミュはカーテンコールでの発言も、キャラクターのまま行われる。
それも役者のにおいを感じさせず、よかったのかもしれない。
 
真剣乱舞祭2016の千秋楽、拍手が鳴り止むのを待ってしゃべったのは確か清光と蜂須賀の2人だったと思う。
ぽつりと「うれしい」と口にした蜂須賀を、わたしは役者の高橋健介としてではなく、蜂須賀虎徹として今でも見ている。
その時の話をすると「蜂須賀のあれは本心ぽかったよねえ」という会話になる。
まるで「蜂須賀虎徹がステージの最後、喝采を浴びて漏らした本音」のように感じたのだ。
 
 
 
 
大勢の命を吹き込まれ、現世に顕現した刀剣男士
 
美しいイラストと声により、原作のゲームでも刀剣男士は魅力的だ。
止め絵のみというのが少し残念ではあるけれど、想像する余白を残されていると捉えれば、それはそれで非常に楽しい。
 
が、2.5次元舞台は、その供給が少ない部分に容赦なく殴り込まれる感覚だった。
 
脚本家、演出家、役者の解釈、
そして2部の衣装で広がるキャラクターの幅と可能性。
 
「えっ、このキャラクターにそんな一面が!?」
「あのキャラクターはこういうふうに動くんだ…」
 
いままで自分の頭の中にいたキャラクターが、
大勢のプロの手を経て明瞭な輪郭を持ち、新しい魅力を得て現れたように感じた。(※1)
 
 
わたしは何かを作る職業というのは、ほかの職業よりも
仕事に多くのリソースを割いていると思っている。
作品というのは、その人が命を削って作り上げるものだ。
 
ゲームの刀剣男士は刀の付喪神だが、
2.5次元の刀剣男士は、
舞台を作り上げた方の命を少しずつ宿し、生まれた存在のように感じる。
 
 
 
 
 
舞台は「ナマモノ」、複数回鑑賞の魅力
 
「全通」という言葉を知ったのは、刀ミュを観るようになってからだ。
全部に通う…? なんで? 同じ演目でしょ?
よほどお金があるのか…? それとも狂信的なファンなの…?
と思ったのを覚えている。
 
しかし「三百年の子守唄」東京公演の2日目と最終日を観劇し、強く思った。
これは何度でも観たい。
自分の目で違いを確かめたいし、体感したい…!
 
 
そう思わせたのは、
村正を演じる太田基裕さんの演技、そして蜻蛉切を演じるspiさんの殺陣だ。
 
 
太田さんは三百年の子守唄の稽古に遅れて参加したそうだ。
本番までの期間はわずか2週間。
それを知ったのはずっと後なのだけれど、
わたしは初観劇で、まったくのノーマークだった村正にすっかりハマった。
 
「村正ってこんなキャラクターなの!?」
 
あやしく美しい容貌や歌唱力はもちろん、
キレのある上半身の動きと妖艶な腰つきが対象的なダンス、
そして予期しないところで笑う、底知れない演技。
 
 
えー、村正やばいよーと思いながら、
毎日Twitterで2部の禊レポを漁った。
そして待ちわびた2回目の観劇の機会、東京公演最終日。
またしても、わたしは打ちのめされた。
 
 
演技がちがう…!
 
 
意味ありげにそっと蜻蛉切の胸のポンポンに触るシーンは、2日目は無かった。
刀についた敵の血をわかりやすく振り払うところ、
刀身に自分の姿を映してゆらゆらと眺めるところもそう。
時間遡行軍の背に座るところはあったけど、お尻を撫でてぴしゃりと叩いたりはしてなかったはず。
舌を鳴らしながら猫みたいに大倶利伽羅を呼んだりしてなかったし
「本多た・だ・か・ちゅ・ど・の(吹き矢フッ!)」とかしてなかったよ!!!
なにこれ!!!!
 
コミカルさとセクシーさと鋭さが増している…!
 
 
 
そして蜻蛉切。
真剣乱舞祭2016千秋楽、ビジュアルが発表されたみほとせメンバーのなかで、
一番の衝撃を受けたのは蜻蛉切だった。
これ、本物じゃん…!と目を疑った。
 
ゲームの兼さんが好きすぎてすっかり忘れていたけれど、
わたしは体格が良いキャラクターが好きだ。
spiさん扮する蜻蛉切の姿で思い出した。
 
舞台に立つ彼は、実際とても素敵だった。
伸びやかで奥行きのある美しい歌声、
台詞を話す時の落ち着いた発声、
武人としてのキャラクターと2部のセクシーさの落差、
そして自分の本来の好みを思い出させてくれた、完璧なビジュアル。
 
 
あまりのトリックスターぶりに衝撃を受け、
2度目の観劇は村正定点観測のような有様だったのだけれど、
蜻蛉切もまた変化をしていた。
 
はじめて三百年の子守唄を観劇した際、
わたしは少しだけ、蜻蛉切について引っかかった部分がある。
そしてこれから先、そこがどう変化するのかを見たくなった。
 
殺陣についてだ。
 
東京公演2日目、蜻蛉切の槍さばきは軽かった。
少し、軽すぎるようにわたしは感じた。
戦い慣れ、手足のように獲物を扱う軽さではなく、
武器としての質量が感じられないような軽さ。
 
キャラクターの体格の良さや雰囲気から考えると、
重心の位置や武器の取り回し方に、少し違和感があった。
 
でも2日目だしなあ…これ、どう変わるのか見たい…!
同行者にそう漏らしたのを覚えている。
 
 
そして迎えた東京公演最終日、殺陣ははっきりと変化していた。
動きの中に、明らかに槍の重さが感じられるようになった。
 
蜻蛉切というキャラクターはかなりの体格の良さを誇るので、
初めの方の軽々とした槍さばきでも
腕っぷしの強さを感じられていいのかもしれない。
しかし「重たい武器を扱っている」ような殺陣に変化したことで
より力強さを感じるようになった。
そして落ち着いた物腰と相まって、風格が増したようにも感じられた。
 
 
明確に、誰にでも違いがわかる日替わり部分だけじゃない。
演技は変わっていくんだ、
「舞台はなまもの」って、こういうことか…!と
身を以て知った。
 
 
 
 
カタルシスの得られる2部構成
 
わたしは一時期、キングオブプリズムの応援上映に足繁く通っていた。
冒頭のプリズムショーに声援を送るのがとても気持ちが良かったのだ。
 
見目麗しく、タイプの異なる3人のプリズムスタァの歌やジャンプに
毎回胸が高鳴った。
初めは羞恥心から声を出すのも恐る恐るだったが、
数回通えば慣れたもので、
名前を呼ぶ声も、応援の声も、
いつの間にか全力で出せるようになった。
 
先に述べた複数回同じ作品を鑑賞することもそうだが、
会場の空気に酔うことも、わたしはキンプリ応援上映から学んだ。(※2)
 
 
 
刀ミュはストーリーパートとライブパートの2部構成である。
 
1部でのシリアスな展開は、純粋にストーリーを楽しめ、
ミュージカルというメディアを通じ、キャラクターをより深く掘り下げる楽しみがある。
 
そして、問題は2部である。
こちらでは、今までとは全く違った刀剣男士たちの魅力を発見できる。
他人と馴れ合わない大倶利伽羅や、実直な武人といった風情の蜻蛉切が
美しく着飾り歌い踊るだなんて、にわかには信じがたい。
でも歌うし踊る。しかもうまい。
なんならめちゃくちゃセクシーだ。
 
 
しかも脱ぐ。
脱ぐといったら語弊があるが、
脱ぐことで徐々に衣装チェンジしていくんだから、脱ぐとしか言いようがない。
 
ゲームでの衣装チェンジは戦闘服と内番の2種類だというのに、
ミュージカルではなんと4種類だ。
A.戦闘服
B.2部衣装(上着あり)
C.2部衣装(上着なし)
D.2部衣装(肌見せ)
 
真剣必殺もカウントすると、
キャラによっては5種類といってもいいかもしれない。
そして更に、真剣乱舞祭では内番衣装も見られる。
 
 
ストーリーらしいストーリーもなく、
止め絵とボイスだけで生き延びてきた審神者にとって、
これはあまりにも供給過多すぎる。
 
 
 
さらに恐ろしいことに、彼らは客席に降りてくる。
 
よく知っているはずの刀剣男士が予想だにしなかった姿で歌い踊るだけでも一大事だというのに、
うちわに書いたファンサをしてくれる(かもしれない)。
誰がどういうルートで現れるかはわからない。
お気に入りのキャラクターが近くを通るかもわからない。
仮に通ったとして、目当てのファンサをしてくれるかどうかもわからない。
 
 
「これは、戦だよ…!」
 
 
倶利伽羅に言った石切丸の台詞は真実だ。
 
 
1部でストーリーにしんみりし、
2部のライブできゃあきゃあと声援をあげ、意外な姿にどきりとし、
ファンサがくるかもしれないとソワソワする…。
約2時間半の間に、感情が目まぐるしく動き、心が揺さぶられる。
 
あまりにも刺激が強すぎる。
 
 
かくしてわたしは快楽の奴隷となって、
その後東京凱旋公演を観劇し、キャンセル待ちに並び、
千秋楽ライブビューイングに行き、
それでも飽き足らず中国まで飛んで海外公演を観て、
そこでさらにボコボコに打ちのめされるのだが、それはまたの機会に書くことにする。(※3)
 
 
 
 
おわりに。
 
ここまで舞台の魅力、そして刀剣乱舞の魅力を書いてきた。
それでは、ここまでハマった決定打は一体なんだったのか。
 
ちょうどいいタイミングで、あらゆる要素がぴたりとはまったからだとは思う。
刀ミュにはまった後、若手俳優沼にも落ちたし、
いわゆる2.5次元俳優が出ていない舞台も観に行くようになった。
実物の刀剣を見に遠征をしてみたりもした。
幸運なことに、真剣を手に取る鑑賞会に参加をする機会にも恵まれた。
 
こんな情熱が一体どこから…?
自分はもっと生気のない人間だったはず…。
 
 
 
しかしひとつひとつ思い返していくと、
答えは意外と簡単に出た。
わたしは、自分自身を捧げて何かを提供してくれる人の姿に勇気付けられ、
それを未来に繋げて欲しいと思ったのだ。
 
そしてその気持ちは、わたしの行動を大きく変えた。
 
能力に対して正当な対価を払う人は少ない。
手放しで賛辞しつつ、当たり前のように対価を払わない…
つまり無意識のうちに対象を踏みにじる人はあまりにも多い。
(これについては長くなるので、また別の機会を設けて書こうと思う。)
 
わたしはそんな現状にずっと苛立っていた。
だから、自分が消費する側に回った今、感謝の気持ちを現実的な形として表したかった。
できる範囲でお金を落として、少しでも支援したいと思った。
エンタメ業界だけでなく、美術館や文化財に関わる団体もそこに含まれる。
ひとつのコンテンツを通じて自分が出会い心を動かされたものが、長く続いて欲しいと思った。
 
気持ちを伝える、その重要さも知っているが、もっと即物的な支援の大切さも十分わかっている。気持ちだけではどうにもならないことだってあるのだ。
そして、それにより少しでも長くジャンルや業界が続けば、自分のようにポジティブな影響を受ける人が増えるかもしれない。
 
 
もう、人生で一方的に何かを受け取るだけの時期は過ぎて、
何を返していけるか考えるタームに入ったと、自分自身について思っている。
 
 
 
そして目下のところ一番興味のあるジャンル。それが舞台だ。
 
後に残らないこの儚いものに、
大勢の人間が関わり、巨額の金と人の心が動く。
刹那的で享楽的だと思う。
 
舞台なんて、生活には必要がない。
真っ先に切り捨てられる部分だ。
その世界に触れなくても生きていけるし、
そういう一生を送る人も大勢いると思う。
 
 
だけど、わたしは知ってしまった。
 
舞台に関わる人たちの情熱を、
命をかけてひとつのものを作り上げる姿勢を、
たった数時間で消えてしまう空間に一生を捧げる人たちの本気を、
そして、それに触れて心が揺さぶられる快楽を。
 
 
真っ先に切り捨てられる遊びの部分、
「無駄な部分」は、
いつだって素敵で、輝いていて、心が躍る。
 
 
夢も恋もいつかは醒める。
だけどわたしを動かすこの熱は、
まだしばらく冷めそうにはない。
今ののめり込み方は落ち着くだろうけど、
静かに長く、わたしのなかに居座り続けるような予感がある。(※4)
 
 
自分を奮い立たせてくれたものたちに、
末長く恩返しができればいいと、今わたしは思っている。
 
 
 
 
 
※ 本当に本当にどうでもいい話なんですが、らぶフェス2016の衝撃が大きすぎて、今まで遠巻きに見ているだけだった薄い本というものを買うようになりました。あっという間に段ボール数箱分になりました。経済回してる!!!! はじめは兼堀派でしたが「いや、ウルトラセクシーでキュートかつエンジェルな堀川君と、ちょっと抜けてておちゃめでキュートな兼さんがいる本丸も存在するということは、堀兼という概念もありうるのかもしれない…」と思うようになりました。広がるキャラクター解釈。兼さんが幸せなら何でもいいです。あと、エロくない同人誌がもっと読みたい。
 
※1 特に蜻蛉切はなんなんでしょうね…?艶があり伸びやかでゆたかな歌声と、2部衣装のマニキュア…!
普段の戦装束の手甲・手袋の下にもあの爪が隠れているかと思うと、ドキドキが止まりません。やべえよ…!
 
※2 ターニングポイントになったのは刀ミュだけど、人生を変えたきっかけは確実にキンプリです。あれはシャブがすぎる。あと菱田監督は頭がおかしい(褒めてる)
 
※3 端的に言うと、死にました。そして沼に堕ちました。
 
※4 つーか落ち着かないと財布がやばいです。頼むから落ち着いてくれ。乙事主よーーーー!!!鎮まりたまえーーーーー!!!!